私は変われないと思っていた。
家族に愛されず、学校にもまともに通えず、本に囲まれて孤独に育ってきた私には自然と自分に対する自信が薄れ、いつしか【私なんて】というのが考え方に支配されるようになっていた。
友を求め、変わりたいと願ってやってきたこの場所でも最初は何もかもがうまくいかなくて、やっぱり私なんてって何度も思ったわ。
けれど、今私はこの学校に来て少しは変われたって思っている。
アミティエとしてだけじゃなくて、友達も、親友も……マユリっていう恋人もできて、物事にも少しだけ積極的になれたって思っている。
それはきっと私には喜ばしい変化だっていうのはわかっている。
でも、友達ができて、恋人がいても全部が劇的に変われるわけじゃない。
ずっと自分を肯定できていなかった私は、やっぱりまだまだ私なんてって思うことはいくらでもあるの。
「蘇芳の髪って綺麗だよね」
東屋でのデートの最中。
料理部で作ってきたクッキーと立花さんから薦めてもらった紅茶を飲みながら他愛のない話に華を咲かせていたのだけど。
急にマユリが私の髪に触れてきてそんなことを言ってきた。
「え? そ、そんなこと、ない……わ」
マユリに褒められたことは嬉しいのだけど、あまり自分の髪に自信のない私は頬を染めて好きな人の言葉を否定してしまう。
「いや、あるって。初めて見た時も思ったけど、改めて見てもすごく綺麗だ。こういう髪を濡れ烏っていうんだっけ?」
それが女性の黒髪を褒める言葉だっていうのは知っているけど
「わ、私なんかよりもマユリの髪のほうがずっと綺麗よ」
私はそうやって応えてしまう。
でも、これは本当のこと。普段もそうだけれど、今みたいに陽の光がマユリの髪を照らすとまるで黄金のように輝いて、何度も見ているはずなのにその度に目を奪われてしまうもの。
「ありがとう」
「っ」
春の女神のような笑顔に目だけでなく心まで奪われてぽーっと見つめてしまうけれど、マユリはそんな私に「でも」と言うと体を寄せてもう一度髪に触れて。
「やっぱり私は蘇芳の髪の方が綺麗だって思う」
と、お世辞を言う。
(うぅ……)
マユリがそうやって言ってくれるのは迷惑なわけじゃない。ううん、むしろ嬉しいことだわ。
「私の髪、なんて……そんな大したものじゃないわ。無駄に長いだけだし、重く見えるし」
嬉しいと感じているはずなのに、私は反射のようにそう答えてマユリの手から逃れてしまうの。
「……蘇芳って、すぐそうやって言うよね」
「え?」
「自分なんて、って言い方」
「それは……」
自覚はある。
これは悪い癖なんだって。ずっと一人だった私は自分を肯定することよりも卑下してしまうことの方が圧倒的に多い。
「……だって、本当のことだから」
それはマユリという恋人ができても、そう簡単に変わることはないの。
「……………」
マユリはそんな私を少し悲しそうに見つめてから
「なら、私はそんなに見る目がないっていうことかな?」
シニカルな笑みでそう言った。
「好きな人が大したものじゃないって思うものをわざわざ好きになる。そんな変わり者だっていうわけだ。私は」
「そ、そうじゃなくて。マユリがどうっていうんじゃないわ。ただ私は……」
「蘇芳」
それでも否定の言葉を吐こうとする私にマユリは
「っ………」
今度は正面から耳の奥へと手を伸ばして三度髪に触れた。
「私は、蘇芳が好きだよ。この髪も、綺麗な声も落ち着いた雰囲気も、本のことになると人が変わったようになるところも、そうやって謙虚なところも。蘇芳の全部が好きだ。私にはこんなに素敵な恋人がいるって誇らしくなるくらいにね」
「…………」
「だから、【私なんて】とは言わないで欲しい。好きな人が自分を否定する姿は恋人としては悲しいな」
「マユリ……」
優しく髪を撫でる手と、想いのこもった言葉に私は頬を朱に染めながら……あの時のことを思い出していた。
私たちが恋人になったときのことを。あの時マユリは自分なんて……と自分を否定していた。
そして、私は自分で自分を認められないマユリを肯定した。好きな人が自らを価値のないもののように言うことが耐えられなかったから。
(マユリも同じことを思ってくれている)
そう思った瞬間、マユリと心が繋がれたような気がして心に喜色が宿る。
「蘇芳は私の自慢の恋人だよ。だから、もっと自分に自信を持ってほしい」
マユリの想いを理解した私は「えぇ……」と小さく頷く。
好きな人が私のことを想って、私のことを認めてくれる。
(嬉しいわ)
たったそれだけのことだけれど、心の底から嬉しいって感じる。単純でも、好きな人に認められるということほど喜ばしいことはないのだから。
「すぐには無理かもしれないけど、マユリがそう言ってくれるなら……少しずつでも自分のことを認めてみようって思う」
私は小さな決意を言葉にする。
マユリはそんな私に花の咲いたような笑顔を向けた。
「あぁ。それでこそ蘇芳だ」
マユリが喜んでくれたことが嬉しくて私は髪に触れられているマユリの手に自分の手を添えると
「マユリ、ありがとう」
私も微笑みを浮かべて感謝を伝えた。
「…………」
そして、見つめあう。
「……蘇芳……」
マユリの瞳に私が映って
「……マユリ…」
私の瞳にマユリが映って。
「…………」
マユリの手が私の頬に添えられると、二人の気持ちが重なる。
「蘇芳、大好きだ」
「……えぇ、私も」
その言葉を合図に二人の距離が徐々に縮まって
「んっ………」
唇が重ねられた。
甘美な触感とかすかに感じるマユリの鼓動に私の心は満たされていく。
(……マユリこそ、私の自慢の恋人よ)
【私なんて】マユリに比べたらまだまだ情けないところも、みっともないところもあるのだと思う。
でも、マユリがそんな私を、それを含めた私を好きと言ってくれるのなら、少しずつでも変わっていこう。
マユリと一緒なら私はきっと変わっていける。
マユリが好きな、私が好きな私へと。
それを確信しながら
(……大好きよ、マユリ)
今は最愛の人との口づけに酔いしれるのだった。