甘いお菓子の匂いの香り立つ部屋の中、私と蘇芳さんが二人きり。

 エプロンを身に着けた私はボウルでクリームチーズを練り、アイスクリームと共にボウルをかき混ぜる。

「蘇芳さん、こんな感じで大丈夫かしら?」

「えぇ、そう。そのまま砂糖をくわえながらかき混ぜてみて」

「わかったわ」

 料理部の部室を借りて今は八重垣さんのお誕生日会用のケーキを作っているところ。毎月しているクラスメイトのお誕生日会でいつも私たちがケーキを作っているわけではないけれど今回はいくつかの理由がある。

 一つはバレエの発表会が見事大成功を収めたことに対するお祝いと、もう一つは……八重垣さんへの私と蘇芳さんからの個人的な感謝。

(それにしても……)

 ふと私はあることを思い「ふふ」っと思い出し笑いをこぼす。

「? 立花さん、どうかしたの?」

「あ、いいえ大したことじゃないのよ。ただ、まさか八重垣さんのためにこうしてケーキを作るだなんて初めて話した時からは考えられないなって思っただけなの」

 少し不躾な言い方だけれど蘇芳さんは私の言っている意味を察してくれたのか「そうね」と薄く笑ってくれた。

 今でこそ思い出話だけれど、一歩間違えれば彼女が原因でこの学院での生活は一変していた。それも悪い方へ。こうして蘇芳さんと笑い合うこともなかったかもしれない。

(今は、むしろ感謝しなければいけないのかしら)

 蘇芳さんを好きになれたのはそのことが要因でもあるから。

 アイスをかき混ぜながら今度は声に出さずに笑っていると

「あ、立花さん」

 蘇芳さんが私を呼び

(え?)

 不自然なほどに近づいて、私の頬に手を伸ばしてきた。

(え……え……え?)

 その手が頬に添えられ、蘇芳さんの白魚のような綺麗な指が頬を撫でる。

 突然の僥倖に体中が発汗しそれに伴って頬が染まっていく。

「す、蘇芳……さん?」

 何が起きたかわからずに想い人の名を呼ぶと、私とは対照的に落ち着いている蘇芳さんは

「ほっぺにアイスがついていたわ」

 とそう、指を見せた。

「っ。あ、ありがとう、蘇芳さん」

(は、恥ずかしいわ)

 単純に蘇芳さんに触れられたという気恥ずかしさと、お約束のようなことをしてしまったこと。

 それと……一瞬だけありもしないはずの可能性を感じたことに少しだけ落ち込む。

 ただ、この時の蘇芳さんはそれすらも許してくれなくて

 ペロ、

 っと指についたアイスを舌でぬぐった。

「ん、くっ……」

 その姿がどこか艶めかしくて思わず生唾を飲み込んでしまう。

 それはもしかしたら私が意識しすぎているのかもしれないけれど、今の私には刺激の強すぎることで私は赤面を隠せないまま作業に集中していった。

「あとは冷やすだけね」

 一通りの作業を終えると、蘇芳さんは形の整ったケーキを冷凍庫に入れてよし、と一つうなづく。

 あとは片づけるだけのはずなのだけれど、ここでも蘇芳さんは意外な行動を見せた。

「んっ……」

 料理場にはケーキに使ったクリームやアクセントにしたお菓子などが散乱しているけれど、なんと蘇芳さんは片づけをしながらそれらのお菓子を手にとって口に入れていた。

(っと……驚くほどのことじゃない……わよね?)

 何か異様なことをしているわけではないわ。ただ、蘇芳さんがそんなことをするというのは意外でついその感情を隠せずに蘇芳さんを見つめてしまった。

「立花さん……? あ」

 と自分がしていることに気づいたのか蘇芳さんは真っ赤な顔をして、「こ、これはね」と続けた。

「そ、その苺さんと林檎さんが……こういうのはつまみ食いもするのも楽しみの一つだっていうから、その……」

 はしたないと思われたと勘違いしたのか蘇芳さんはますます赤くなっていく。

「さ、最初は私も断っていたのよ? た、ただいつも二人がおいしそうにしてるからつい……」

 いつもは冷静沈着な蘇芳さんがあたふたとしながら言い訳をしている姿はどこか子供っぽく、それがとても可愛く思えて私は笑みを作った。

「蘇芳さん、可愛い」

「っ……」

 ぼっと再び羞恥に焼かれて顔を背ける蘇芳さん。そんな蘇芳さんを知れたことを幸運に感じながら私もテーブルに残されたお菓子たちに手を伸ばす。

「ん……」

 ケーキへのアクセントに使ったココアクッキーを頬張る。

「少しいけないことをしてる気になってしまうけれど、おいしいわね」

「立花さん……」

 同じことをしたというのが蘇芳さんを安心させたのか破顔した蘇芳さんとおしゃべりをしながら片づけとつまみ食いをしていく。

 そんな中で蘇芳さんは、思い出したように「これも紗紗貴さんに勧められたのだけれど」といってクッキーを取ると余っていたクリームをたっぷりと乗せる。

「はい、立花さん」

(えっ!?)

 受けた衝撃をどうにか心の中だけでとどめて、私は動悸を悟られないか心配しつつ今の状況を整理する。

 口元には生クリームの乗ったクッキー。

(こ、これは……あーん、をしてもいいところなのかしら?)

 わざわざ口元に持ってきたということはそういうことよね? 

(蘇芳さんから………あーん?)

 その想定外かつ望外の出来事に頬が緩むのを抑えきれないまま私は蘇芳さんの差し出したクッキーを口に含んだ。

 サクッとしたクッキーの触感と甘くとろける生クリームの味。それが蘇芳さんの手からもたらされたということが甘さを何倍にも感じさせた。

「こういうのを食べられるのも作る人の特権よね」

 と、蘇芳さんは私がどれだけ嬉しかったのかを知らずに無邪気に微笑む。

(……あぁ……やっぱり八重垣さんには感謝をしなくてはいけないわね)

 蘇芳さんを好きになるきっかけをくれたこと、それとこんなに幸せな時間を過ごさせてくれたこと。

 このケーキ程度じゃ伝えきれないほどの歓びを得ることができた。

(ありがとう、八重垣さん)

 ……この幸せの意味を今は考えずに私は八重垣さんに感謝の念を抱くのだった。

 

 

 

 ……蘇芳さんとの時間は確かに幸せだったわ。

 あんなに仲睦まじく、笑顔の絶えない時間を好きな人と過ごせたんですもの。

 けれど……

 その幸せが少しだけ苦しくもあるの。

 今日起きたことはあくまでアミティエだったから起き得たこと。

 頬に手を添えられた時のときめきも、あーんをしてもらった時の高鳴りも私だけが感じたもの。

 蘇芳さんが私をアミティエとして見ている証拠。

 私が【好きな人】ではない証左。

 だってそうでしょう? 好きな人にだったらあんな態度にはならないわ。

 特に蘇芳さんですもの。いつも知的な表情をしているけれど、こと恋愛ごとには初心ですぐに赤面をしたりするもの。

 そう、例えば…………私じゃないアミティエとだったら、あんな風に自然になんてきっとできないわ。

 そのくらいは蘇芳さんのことを理解しているつもりよ。

 だからこの幸せを甘い毒のようにも感じてしまうの。

 いいえ、このことだけじゃなくて蘇芳さんと過ごす幸福な時間を私は時折憂いてしまっている。

 自分が前にも後ろにも進めない場所にいる気がするから。

 蘇芳さんの気持ちは今でもマユリさんに向いていて、私はそれがわかるのに想いを捨て去ることはできない。

 そのことが少し怖くなる時もある。

 この恋はこのまま何にもならないかもしれない。蘇芳さんとの仲が進展することもなく、抱えた想いの重さにつぶされてしまう時がくるのかもしれない。叶わない想いを抱え続けることに疲れてしまう時が来るかもしれない。

 もしかしたら、その時私はこの恋を後悔するのかもしれない。

 そんな不安はいっぱいあるわ。

 それでも……私は、貴女のことが好きなの。貴女を想っていたいの。居場所として貴女を求めるのではなく、こんな私のために……いいえ、他の誰かのために一生懸命になれる貴女のことを好きでいたい。一途にマユリさんを想う貴女を好きでいたい。

 これはきっと私の我がまま。自己満足っていってもいいのかもしれないわ。

 そう、自己満足でしかない。

 だから……だからせめて、貴女を想い続けることだけは、どうか許してください。

 私は蘇芳さんとの幸せな時間を過ごすたびにそう強く願うのだった。  

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