「本当に部屋取ってあるって言ったら、どうする?」

 ふかふかの絨毯。狭い個室。お互いが触れ合いそうな距離。

 そんなそれこそ映画やドラマでありそうな場面に彩葉の心は現実感を失う。

「冗談、ですよね」

 彩葉は乾いた声でそう答えるが、優衣は出口と逆側を向く彩葉の横に手を伸ばしエレベーターのボタンを押した。先ほどまでいたレストランよりも上の階を示すボタンを。

「どっちだって、思う?」

 優衣はこれまでと変わらず余裕を見せ、反対に彩葉はまだ今を認識できず、

(なんで、私に答えさせようとするの?)

 それを苦く思いながらすがるように優衣を見つめる。

「一年もたったのよね」

「は、はい?」

「……貴女が麻理子さんを好きだって気づいてから」

「っ……そう、ですね」

(な、に、いきなり)

 ゆっくりとエレベーターが動いていく中彩葉は豹変した優衣の様子に戸惑うことしかできない。

「まだ、麻理子さんが好き?」

「っ………」

 しかも、自分に問いかけようとすらしなかったことをずけずけと聞いてきた。まるで、一年前に親友が好きなのかと言われたときのように。

「な、い、いきなり…な、なにを……」

「……聞くまでもないか。さっき、お手洗いから戻ってくるとき、一年前と同じ顔してたもの」

「っ………」

「ううん、一年前だけじゃない。貴女はいつもそういう顔をしてる。遠くを見つめて……麻理子さんを見つめて辛そうな顔をしてる」

「そんな、ことは………」

 ない、とは言えなかった。自覚がそれほどあるわけではないが、彩葉は優衣といるときに一度は終わった恋について考えることはあった。

 いつもそうというわけではないが、優衣が誘ってくるときはその恋を思い出すきっかけでもあったから。

「貴女をずっと見てたからわかっちゃった」

「っ!?」

 少し自分呆れたような、困ったような顔をして優衣は彩葉の心を刺激する言葉を続けていく。

 それは、レストランで割り切ったはずの心を揺さぶってくる。

「貴女のこと初めて見たのは、もう二年くらい前よね。そのころから何となく思ってたわ。あなたは麻理子さんが好きなんじゃないかって。だからかしら? 貴女のこと目で追うようになってた」

 それは彩葉の知らないことだった。出会ったのは、麻理子が退院してからのことで優衣が麻理子の家に居候するようになったのも同じ時期。その頃は足しげく麻理子のもとへ通い、優衣とは話すことがなかったわけではないが、挨拶以上はほとんど話をしたことがない。

 だが、

(私のことを、見てた?)

 それはあまりに意外な事実で。そして、

(っ……)

 心の中で何かが、震える。それは見ないふりをしていたもの。何度か考え、その瞬間に打ち消していたもの。

 しかし、この一年もしかしたらそうじゃないかと思っていたもの。

「おかしいでしょ、こんなの。ほとんど話してもいなかったのに、ただ見ているだけだったのに。でも、気づいたらこうなってた」

 ゴウン。

 低い音と小さな衝撃。エレベーターが止まった。

 そして、扉が開く。

「貴女は好きになってた」

「優衣さっ………!」

 彩葉は優衣を呼ぼうとしながら言葉を詰まらせた。

「でも、貴女の気持ちは麻理子さんのところにあるのよね」

「……………」

 突然すぎて彩葉は何も言うことができない。

 心のどこかでは、考えて……期待していたことなのに。

 憧れていた。心を許していた。

 恋に気づかせてくれた優衣に。今回みたいに自分のことを考えてくれる優衣に。

(でも!)

 薄々と思っていたことだった。もしかしたらと考えていた。

 この気持ちはただの憧れなんかじゃないと思ってはいた。

(……でも!)

 彩葉は心で叫びながら目には涙が頭の中には麻理子の姿が浮かぶ。

 優衣のことを好きかもしれない。それはまだ自分でもはっきりしていない気持ちで、それ以上に確かに言えるのは

(麻理子……)

 まだ、親友のことを好きだということだった。

「ごめんなさい。変なこと言っちゃったわよね。帰りましょう」

 そうして、扉を閉じようとする優衣。

(っ!!)

 だが、ボタンへと伸ばした腕を優衣は掴んでいた。

「あ………」

 自分でも何をしているのかわからないといった顔をしながら。

「彩葉、さん?」

 優衣も彩葉と同じようにぽかんとしながら二人は見つめあう。

(私、何して……)

 自分で自分のしたことがわからない。わからないが、ここで扉を閉じさせてしまったら決定的な何かがこの手から逃れていってしまう気がした。

(……あったかい)

 混乱するだけの中、彩葉はそれだけを確かに感じる。

 そして、それは彩葉に自分の中にいる向き合わなかった自分と向き合う力になる。

「……わたし。……私、麻理子のこと……好きです。今も、大好き。そんなのもう無駄だって、手遅れだってわかってるけど……麻理子のことが、好きです」

 自分の中のもう一つの自分が言葉を紡ぎ始める。

「……だけど、このままじゃいられないっていうのも、わかってる。……わかってるんです」

 好きな人は親友で、誰よりもその親友のことがわかる。あの二人の間にある絆が誰よりもはっきりと見えてしまう。だから、いつまでも好きでいられないのなんてわかっている。

「でも、どうすればいいのかわからない……忘れなきゃいけないのに。いつまでも引きずってても、麻理子はきっと喜ばないのに……」

 それはこの一年思い続けたことだった。終わった恋を、本当に終わらせなければいけない。その思いを振り切って前を向かなきゃいけないはずなのに。

「忘れられない。いつでも麻理子のことを考えちゃう。……忘れなきゃ、いけないのに」

「………彩葉さん」

 優衣はうつむいたまま気持ちを吐き出す彩葉の手に自分の手を添えた。

「忘れる必要なんてないわ」

「え……?」

 思わず顔をあげた彩葉は優衣が一年前と同じように優しい瞳をしていることに気づく。

「それは貴女が麻理子さんを大切に想ってる証だもの。確かにずっと引きずるものじゃないかもしれないけど、でも、忘れなきゃいけないものなんかじゃないわ。麻理子さんのことを好きでいちゃだめなんてことないもの」

「っ―――」

 それは、彩葉にとって衝撃的な言葉だった。

 彩葉自身、自覚をしていたわけではないが麻理子への恋を忘れるということは、麻理子への想いを忘れることのような気がしていた。好きな人への気持ちを忘れる、それはあまりに残酷なこと。

 でも、そうじゃない。それをしなくてもいいんだ。

「……ううん。忘れます」

 それに気づけたからこそ彩葉は赤く染まった頬と潤んだ瞳を優衣に向け

「忘れさせてください」

 好きな人の胸に飛び込んでいった。

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