九時三十五分

 壁時計がそう時間を告げる部屋の中で一人の少女が机に向かっていた。

「っ……っはぁ」

 その少女は震える手で携帯のあるボタンに指をかける。

(…………っふ、う)

 先ほどから胸はドクンドクンと動悸をみせ、心は期待と不安が入り交ざる独特の感情が体中を縛っている。

「大丈夫、うん……大丈夫」

 紫苑は小さく呟きながら携帯の画面に表示されているものをみる。

 そこにはメールの文章らしきものが年相応のかわいらしさを持ってかかれていた。

 あとは送信のボタンさえ押せば、ものの数秒で相手へと送れる状態だった。

 ボタンさえ、押せれば。

「っ〜〜」

(大丈夫、大丈夫)

 何度も、何度も自分にそう言い聞かせる紫苑。メール本文を書き終えたのは九時を少し過ぎた頃だったが、それから三十分近くもこうして逡巡してしまっていた。

 メールを送るという行為は確定していても、それが中々体に伝わりボタンを押すというわずかな力になっていかない。

 わずかな、本当にわずかな力でいいはずだと言うのに。

(……っ〜〜。私の、バカ)

 あまりの情けなさに目をぎゅっと閉じてしまう紫苑。

 カチ

 その瞬間、携帯にかかっていた指にわずかな感触。

「え?」

 何をしてしまったのかわかっているつもりではあったが、目を見開きあわてて携帯の画面を覗くと

 メールを送信しました。

 そう無機質に表示されていた。

「〜〜〜っ」

 途端に体を駆け巡る後悔とも羞恥ともとれない熱さ。

(送った! 送っちゃった!!

 ずっとそのために悩み苦しんでいたのに、いざ実行しても感じたのは達成感などではなく心を焼く恋の熱。

「っ……は、ぁ…あ、はぁ」

 息をするのを忘れていたというわけではなくとも自然に呼吸が乱れる。

 しばらくは表面だけが熱く、心ではどこか薄ら寒さを感じていたがそれもずっとというわけではなく時間が立てばおさまっていくのは道理だった。

「………はぁ」

 自分が落ち着いてきたのを感じると紫苑は軽くため息をついてから携帯を持ったままベッドへと倒れこんだ。

「はぁ………」

 まるで運動でもしてきたかのような疲労感を感じながら右手にもった携帯を握り締める紫苑。

「……して、って言われたもの、ね」

 自分に言い聞かせるかのような独白。

 メールの相手は、もちろん修学旅行で出会ったバスガイド、そして紫苑にとって大切な相手である瑞樹だった。

 修学旅行翌日の振り替え休日。

 昼間は必死にメールの内容を考え、おそらく瑞樹が家に帰っているであろうこの時間に本文を書き上げ何度も何度も、内容がおかしくないかや、誤字脱字がないかを確認し、さっきようやくメールを送ることが出来た。

 しかし……

「……っ」

 ゴロンと三十秒おきに紫苑は寝返りを打っていた。

 わかっている。わかってはいる。

 覚悟というか、数分でメールが帰ってきたりしないことなんて普通のことだ。まだ仕事をしている可能性もあれば、家に帰っていないということもある。携帯を手元においていないかもしれないし、電源を切っているかもしれない。食事中だったり、お風呂に入っていることもありえる。

 考えればいくらでもメールが帰ってこないことに理由は付けられる。付けられるが……

(…………………………あんなの、社交辞令、だった、のかも……)

 これを考えてしまうとどこまでも落ち込んでいってしまう。

 冷静にその時の状況を思い出せば社交辞令だったという可能性は高くないというのは紫苑自身思ってはいても不安なほうへ思考が流れて言ってしまうのも事実だった。

「はぁ……」

 今自分の身に起きていることなんて誰にもありえることなのかもしれない。

 好きな人への初めてのメール。

 それはどんな間柄、たとえば年の差があろうとなかろうと距離が離れていようといなかろうと関係ないのかもしれない。

 こうして期待と不安を胸の中でせめぎ合わせながら永遠にもあっという間にも感じてしまう時間を過ごすのかもしれない。

 だが……

「もう、十時……」

 時間が立てば立つほど不安のほうが膨らんでいってしまうのは当たり前だった。

(……やっぱり変なこと、書いちゃった、かも。……それともやっぱり、教えてくれたの、なんてただの気まぐれ……?)

 まだ見てもいないという可能性は十分にありえることはわかりながらも紫苑は携帯を握り締めたままじわりと瞳を潤ませていた。

「はぁ……バカみたい」

 そんな自分に呆れながらも喉の奥がきゅうとせつなくなることを感じていた紫苑に

「っ!!

 携帯から音楽と振動が伝わってきた。

 それが瑞樹からのものかなんて確証はなかったが紫苑ははやる鼓動を抑えることもできずに携帯を開いて

「あ……」

 嬉しそうに頬をほころばせるのだった

 

 

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