「………放課後、私の家に来てよ」

「………………」

 私の家に来てよ。

「………………」

(……沙羅の、家……)

 自分の机に戻った望の耳に沙羅の言葉がエコーしていた。

(と、友達、なんだもんね……)

 本当に考えたいのはそんなことではないはずなのに、望はあえて思考をそこで止めていた。

(当たり、前……)

 沙羅の言うとおり当たり前ではある。友達の家に行くことなど。ごく自然のことだ。悩む必要なんてあるわけがない。

 ただの友達、なら。

(…………友達……)

 望は沙羅をそう思っているし、そう思いたかった。

 しかし、沙羅に誘われたときの「え……」は、もちろん、拒絶の意味だった。

 友達とは思っている。だが、昨日の事は怖かった。そして、先ほどの家に来てとの言葉。その意味をもちろん考えた。考えないようにしようとは思っても考えてしまっていた。

 昨日みたいなことがされるんじゃないかという意味を。

(け、けど……そうとは限らないんだ、し……。私のこと、試している、だけ、かも、しれない、し)

 望は自分が沙羅に対しいかに残酷なことをしたのかということに自分では気づいていない。

 だから単純に考えてしまっていた。当然しり込みするはずの提案で自分を試したと考えてしまうのもそう願いたいからとしても、その思考を自分の中で正当化できてしまう。

「ねー、神永さん」

「え、あ、な、何?」

 自分の思考に集中していた望ではあったが机の前に人が立つと、すぐにそれに反応した。

 立っているのは、クラスメイトの一人で望と図書委員を一緒にしている相手だった。

「今日の放課後当番入れないんだけど、代わってもらっていい?」

「え……」

「ごめん、はずせない用事が出来ちゃってさぁ」

「あ、え、えと……」

「埋め合わせするからお願い」

 慣れたような感じでクラスメイトは望へと形だけの懇願をしてきた。

 

「私の家、来てよ」

 

「い、いいよ」

「そう? ありがとー! ほんと今度神永さんがやるときかわるから。ありがと、んじゃね」

 そういうと望の顔を窺うこともなくクラスメイトは去っていって自分のグループへと戻っていった。

 望は目の前からいなくなると一切そのことに興味を失って、心の中に複雑な気持ちを宿らせる。

(……………し、仕方、ないよ、ね……用事なんだか、ら)

 沙羅に誘われていたのに了承をしてしまったという罪悪感に心を重たくしながらも、心のどこかでは沙羅の提案を断る理由ができたと安心している部分があった。

「……仕方、ない、よ」

 望は自分に言い聞かせるよう、そう呟くのだった。

 

 

(ちゃ、ちゃんと、沙羅に言わないと……)

 午後の一時間目が終わると望はすぐに沙羅の教室の前へと来ていた。

「すぅ………はぁー………すぅ」

 教室のドアの前で望は少しでも落ち着こうと何度も深呼吸を繰り返すが心臓の鼓動は一切収まる気配を見せずに、血の巡りがよくなってすでに顔も真っ赤だった。

「すぅー……はぁ、すぅ……はぁ……」

(って、……いつまでもこんなことしてちゃ……だめ、なのに……)

 仕方ない。頼まれてしまったから。誰かがやらないといけないことなのだから。沙羅との約束は今日じゃなくてもいい、明日でも、明後日でも大丈夫なはず。でも、図書委員の仕事は今日が当番なのだからやらなくてはいけない。

(……沙羅のことがどうとかじゃなくて……仕方ない、仕方ない、よ……うん、しょうが、ない……)

 何度も何度も自分の中で自分を正当化する。

 沙羅の提案が受け入れられないわけじゃないのだと。この図書委員の仕事を受け入れることは本意ではないと。

「っ、望!?

!!!?? さ、沙羅……」

 沙羅と向き合う決心ができずにいた望の前でドアが開き沙羅が現れてしまった。

「…………………何の、用?」

 沙羅は望を見ると一瞬怯えたような顔をしたが、すぐに冷たい目つきへと変化した。

 どうしてこんな射抜くような瞳で見つめられるのかという明確な理由はわからないが、最初の怯えたというのは今、会いに来られるという意味を察してしまったのだというのは望にも予測できた。

「……あ、あの、放課後のこと、だけど、ね……」

「っ……」

「えっと、……その……」

「…………っ……」

 望は自分のことで精一杯で気づいていないが、沙羅は唇をかみ締め、腕には爪を突き立てていた。

「ご、ごめん」

「っ!!!??

 沙羅はおそらく初めからこうした答えを予想してはいたのだろう。しかし、実際に耳に入れられると舌に血の味を感じてさせてしまっていた。

「あ、あの、一緒に図書委員やってる子が、用事でできないっていうから……その、だから……誰かが、しないといけない、こと、だし……だ、だから今日は……」

「…………言い訳なんかしないで、初めから嫌だって言えばいいじゃない」

「っ!? そ、そんなわけじゃ……」

「……じゃあ私より、その図書委員の子のほうが大切ってわけね」

「ち、違うよ、そういう意味じゃ……」

「……なら、終わった後でもいい。私の部屋、来てよ」

「ぁ、ぅ……で、でも、放課後は結構、遅くなっちゃうし……」

「なら、明日でも、次の休みでもいい」

「っ……ぁ、えっと……」

 即答できないということが沙羅には十分すぎる。

「……それが……………本音でしょ」

 心にあるすべての負の感情を含んだかのような沙羅の黒い声。

「っ……」

 望はそれに縛られ何もいうことができなかった。

「……いちいち、取り繕うとしないでよ……余計、惨めになるじゃない」

 望の言葉は沙羅に悲しみと悔しさと絶望を与え、

「ぁ……っ」

 沙羅の言葉は望に不安と戸惑いと苦しみを与えていた。

「………もう、話しかけないで」

「っ……さ、……」

 ら、と名前を呼ぶことすらできなかった望は友達と思っている、思いたい沙羅との距離が自分の思った以上に開いてしまっていることをようやく認識するのだった。

 

 

三話

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