授業のない空き時間時間。美愛は大学の中にある、いわゆる溜まり場となっているイスやテーブルの備わった休憩所で友人と談笑をしながら、次の授業の始まりを待っていた。

「でも、一つ空くだけでもほんとにヒマよね」

「霧原はまだいいよ。私なんてこの時間休講になったから、三時間以上も待つことになってるのに」

「私なら帰るけどねそれ」

「私だって帰りたいよ……。あ〜この後授業受けるのめんど。……帰っていい?」

「ここまで待っておいて、それでいいの? 気持ちはわかるけど」

「ま、必修だから受けるしかないんだけど」

「……なら、文句言ってもしょうがないじゃない」

 普通の会話。大学生の友だち同士の何の変哲もない会話。取る授業の関係でこんな風に友だちと二人きりで時間を潰すなんてなんらおかしくない。当たり前のことだ。

 美愛に非も、やましいこともなに一つない。ただ、運と機が悪かったとだけ言える。

 丁度、愛歌の受けている教室の前の休憩所に陣取っていてしまったという不運。それだけが美愛には不運だった。

「あ、チャイムなったしそろそろ私いくわね。じゃ、そっちも頑張って」

「うん、それじゃ」

 前の時間の終わりを告げるチャイムがなり、友人は自分の教室へと向かっていき美愛は受ける教室が同じ階なのでその場に残ってしまった。愛歌がそんな自分を見ていたとは知らずに。

「……美愛ちゃん」

「っ!?

 意味もなく中空を見つめる美愛の後ろから幽霊が語りかけるような暗い声が聞こえてきた。

 一瞬で誰だかを察知し振り返ると人物はわかっていたのに驚いたような声を上げる。

「あ、愛歌!? ど、どうしたの?」

 愛歌は俯き、前髪が目にかかって表情は見えにくい。ただ、それでも一瞬見えた瞳は獲物を捕らえるギラとした攻撃的な光と、絶望の淵を行くような黒い光が混じっていた。

(…………愛歌?)

 竦む。愛歌の目にあったどちらの光にも体のすべてを縛られるような感覚にさせられてしまう。

「ねぇ、さっき何はなしてたの? ………二人きりで」

「な、なにって……別に、授業がないから暇つぶしに話してただけで……」

「本当?」

「あ、当たり前でしょ? 私が愛歌に嘘つくわけないじゃない」

「……………」

 愛歌が見てくる。探るように。確かめるかのように。美愛の愛歌への気持ちを縛り付けるかのように。

「うん」

 しばらくすると愛歌はにぱっと笑みを浮かべた。

 それに、安心する美愛。

 しかし。

「そうだよね。美愛ちゃんが私に嘘つくわけないもん。美愛ちゃんは私のこと、大好きなんだもんね」

 周りに人がいることに臆することもなく、しかもどこか狂気を含んでいる。

「うん……」

 背筋に嫌な汗が伝う。愛歌の行動はブレーキの利かない車のようにどんどん加速していった。少し前までなら学校では見つからないような場所を選ぶし、授業中は一緒に受けていてもそっちに集中してくれた。

 けど、時がたつにつれ愛歌はタガが少しずつ緩んでいっていた。

 それどころか、恥ずかしさや見られてしまうかも、というのも強要しているような気さえしてくる。

「でもね、美愛ちゃん。もうあんまり他の子と二人きりになんかなっちゃだめだよ。美愛ちゃんってば、ものすごく可愛いもん。ふふ、美愛ちゃんは世界で一番だから、気をつけなきゃね」

「……うん。ありがとう」

 ……怖い。もう今目の前にいるのが誰だかわからない。愛歌だけど、愛歌じゃない愛歌。……怖い。

 わかる。わからないでもない。愛歌がこうなってしまった過程を思えば、わからないでもない。

 自分以外の誰かと好きな人がいるのを見たときに湧き上がる激情。不安。嫉妬。焦燥。怒り。嘆き。絶望。

まして、二股の上に捨てられてしまった愛歌ならそれに敏感すぎるほどに反応してしまっても当然といえば、当然。だから、

何も言えない。従うしかない。

 何を言われても、何をされても。愛歌にすべて従うしかない。そうじゃなければ愛歌は……違う。愛歌に従う本当の理由。それは、そんなものじゃない。

「じゃあ、いこっか。次、授業一緒だもんね」

「うん……」

 愛歌に逆らえない理由それは……愛歌のことが恐ろしい。

 ただそれだけだった。

 

 

 恐ろしい。怖い。不気味。異常。

 愛歌が、恐ろしい。

 愛歌はどんどん異常になっていった。今までは友だちと過ごしていようが、例え二人きりになろうが何もいってくることはなかった。

 だけど、今は違う。二人きりどころじゃない。愛歌のいないところで人と会えば、それを知れば、「何はなしてたの?」と不安そうに聞いてくる。愛歌の心配するようなことは何もない、と伝えるとまだ信じてはくれるみたいだけどそれでもその人たちを見る目は尋常じゃなかった。

 少し前までは、愛歌の誘いを断らないのは愛歌のためと思っていた。今は……違う。

(……怖い)

 今はもう自分のため。もう何をされるのかわからない。今の愛歌はどんなことでもしてきてしまいそうだった。友達と話しているだけであんな目をする愛歌は、完全に……壊れている。それこそ……何を、どんなことをしてきてもおかしくなく思えた。

 例えば……その相手をひっぱたくかもしれない、ひどいことを言うかもしれない。なにより美愛自身に対しては言葉程度では絶対にすまなそうな予感がした。考えたくはなくても美愛を完全に独占するために監禁とかをしてもおかしくはなさそうに思えた。それですら……軽いかもしれないという想像だって浮かんでくる。

 時々、本当に異常に思えて美愛は愛華に恐怖していた。

 

 

 今日、私の家に来ない?

 愛歌からそんなメールがあった。愛歌からすればそれは単なるお願いなのだろうが、美愛からすれば、それは脅迫だ。断れるはずがなく美愛は愛歌の家の前に立っていた。

「…………」

 今日は、何をしてくるのか。何をさせられるのか。でも、もう断れない。底なし沼にはまってしまっているのだから。

 ピンポーン。

「はーい」

 チャイムを押して、少しすると若い女の子の声が聞こえてきた?

(愛歌? 少し違うような……?)

 機械越しだからそう感じるだけ?

「あ、わ、私、愛歌さんの友達のものですけど」

「あ、はーい。聞いてます。どうぞー」

(愛歌じゃない?)

 受け答えと声の感じからしてどう考えても愛歌じゃない。けど、母親の声にも到底思えない。

 不思議な感じを受けつつも美愛はドアノブに手をかけて、中に入っていった。

「お邪魔します」

美愛を出迎えたのは

「いらっしゃいませ〜」

 愛歌よりも少し高めな、美愛と同程度の身長。上は白のブラウスに深い青のスカートを身に着けた少女。幼さを残す愛歌とは違い年相応な顔立ち。

 ……歳はわからないが。

 一見、すると愛歌の姉にも思えなくもなかったが着ている服装は制服にしか見えない。それに、愛歌にいたのは姉ではなく確か。

「すみません。今、姉さんはちょっとお母さんの用事で出かけちゃってるんです。そんなに時間がかからないと思うので部屋で待っててください。こっちです」

「え、えぇ」

 妹。名前が知らないが愛歌に妹がいるというのは聞いていた。姉さんといっていたくらいだから、今目の前にいるのが愛歌の妹なのだろう。

 美愛は名前のわからぬ愛歌の妹に連れられるままに二階の「あいか?」と可愛らしいネームプレートのあるドアの前に案内された。

「どうぞ」

「ありがとう」

 ドアを開ける妹の後ろから部屋の中に入っていく。

「…………」

 意外というか、普通の部屋だった。美愛は自分との二人きりの様子や、あまりに傾倒してしまっている状態を考えたら部屋の中もひどい状況になっているのではと考えたが、普通の部屋。過度に本や小物や、ポスターなんかがあることもなくこざっぱりと片付いている綺麗な部屋だ。

「……なに?」

 美愛が部屋を見回していると、妹さんが自分のことを興味深そうに見てきているのに気がついた。

「あッ! す、すみません、じろじろ見ちゃって」

 妹さんは我に帰ったように美愛から一歩離れる。それでも、美愛のことを見るのは止まらなかった。

「……??」

 初対面の自分をこんなにも見てくるというのは何か理由があるということ。

(まさか、やっぱり家でも……?)

 狂気の片鱗を見せているのかと思ったが目の前の人物から発せられた言葉は関係のないものだった。

「えっと、姉さんの友だちなんですよね?」

「え、えぇ。そうよ。それが、どうかしたの?」

「どうかしたってわけじゃ、ないんですけど、ただこんなに綺麗な人が姉さんの友だちにいるんだなって」

「え……?」

「あっ! い、いきなり変なこといっちゃってすみません! あ、えっとわたしは、佳奈っていいます。えっと……姉さんの、愛歌の妹です。よ、よろしくお願いします?」

 姉の友だちに何を言ってるんだろう? と自問自答したような様子で佳奈と名乗った少女は丁寧にお辞儀をしてきた。

「えぇ、よろしく」

(……可愛い)

 そう、思ってしまう。それほど似てはいない姉妹だが、それでもどこかに愛歌の面影を感じる。しかも、愛歌とは違いまったく邪気が感じられず昔の愛歌を思わせてくれる。

 それがまた美愛の琴線に触れ、佳奈自身にも興味を持たせた。

「佳奈、ちゃん?」

 よそよそしそうに美愛は佳奈の名前を呼んだ。

「は、はい!?

 佳奈は明らかに緊張した様子で体を震わせながら美愛に答えた。

「よかったら美愛が帰ってくるまで少しお話しない?」

 

中編

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