そりゃあ、私は先輩のことよく知らない。

 先輩は人のことは色々聞いてくるくせに、自分のことはほとんど話してくれないし、先輩の部屋に行ったときだって、結局先輩の家はお金持ちなんだってことくらいしかわからなくて、あの【お姉さん】のことだってお姉さんじゃないってことくらいしかわからなかった。

 まだ会って数ヶ月なんだから知らないことが多くたって当たり前といえば当たり前だし、【幼馴染】に勝てるはずがないといえばその通り。

「だけど……」

 彩葉さんと会った日の夜。私はベッドで眠れぬ夜を過ごしていた。

 額に手を当ててぼーっと天井を見つめる。

 先輩のことを考えているけど、それだけじゃなくて彩葉さんとのことも。

 彩葉さんは先輩の何を知ってるの? 応えるって何? 何の力になればいいの? 彩葉さんは応えてあげなかったの? 応えてあげられなかったの? 力になれなかったの? 

 そもそも……

「力にならなきゃいけないことが、あるの?」

 はじめは先輩の力になれたらって思った。私の勝手な勘違いで、友達のいなくて、クラスもなじめなくて、保健室に閉じこもる先輩の力になってあげようってそう、思った。

 だけど、彩葉さんが言っているのはもちろんそんなことじゃない。

 幼馴染でずっと昔から一緒だったような、彩葉さんですら力になれないようなこと。

(……先輩)

 そんなことがあるんならどうして私に話してくれないんですか? 私に話しても仕方ないことなんですか? 

 もしそうだったとしても、それでも私は話して欲しいです。もっと先輩のこと知りたいです。

 だって、私たち付き合ってるんですよ。もし先輩が何か悩んでいたら、力になりたいんです。力になれなくなって同じ気持ちを共有したいです。

 そうやって言いたい。先輩に問いかけたい。

 だけど、彩葉さんがはっきり言ったわけじゃないし……先輩に何かあるんだとしてもそれを言わないんだったら何か理由があるのかもしれない。

「………………」

 でも、それでも私はやっぱり先輩が好きだもん。先輩のこともっと知りたいもん。いいところでも悪いところでも、悩んでることでも苦しんでるところでも私は先輩のことを知りたい。

「うん」

 私は一つベッドの中で大きくうなづいた。

 これからはもっと先輩のことを知ろう。もっと話そう。

(それに、今日は会えてなかったんだもん。そんなの関係なしに明日は先輩ともっと話したい)

 私はベッドに入ったときとは一転して前向きになると明日先輩と会えることを楽しみに眠りにつくのだった。

 

 

 ガチャ。

「あれ?」

 二時間目の休み時間。先輩に会いにきた私は保健室のドアを開けようと手をかけたけど、ドアは開かなかった。

 鍵、かかってる。

 めずらしいな。

 普通、先生がいなくなれば鍵をかけていくものだろうけど先輩がいつもいるからあんまり鍵をかけることないのに。

「……寝てるのかな? 先輩」

 前に何回かこういうことがあったときには寝てるから鍵をかけてたって先輩に言われた。

「……………」

 じゃあ、しょうがないか。いくらなんでも起こすわけにはいかないし、そもそも起こす手段だってないし。

 私は残念だけど仕方ないと思って回れ右をしようとするけど、

「……かほっ、ごふ……ごほ!

 その瞬間、苦しそうな先輩の声、というかせきが聞こえてきた。

「っ!?

 ドンドン!

「先輩? いるんですか? 大丈夫ですか?」

 ドアを乱暴にたたきながら先輩に聞こえるような大きな声をだすけど

「っ!! かふ! ごほ! ぐふ…か

 一向に先輩の苦しそうな声は収まらない。

「先輩!?

 どうしたんだろう。こんな声初めて聞いた。でも、先輩って別に調子が悪いから保健室にいるわけじゃないんじゃ……

(……っ――)

 なぜか昨日の彩葉さんの様子が今のこの声とリンクして、体中に不安が駆け巡る。

「先輩、先輩!! あけてください!

 動悸を感じながら私は必死にドアをたたく。時折通りかかる人が何事かという目で見てきてもおかまいなし。

 背筋に嫌な冷たさを感じながらそのわずかなはずの時間は何十倍にも感じられて

 がちゃん、

 と、鍵の開く音がして

「遠野さん、どうしたんですか? そんな声だして」

 何事もなかったかのような先輩が現れた。

「あ………」

 いつもの通りの笑顔で私を出迎えてくれる先輩。

 そこにさっきまでの苦しそうな雰囲気はない。

「あの、今なんだか苦しんでませんでしたか?」

「え? あぁ、ちょっと水飲んでたら気管に入ってむせちゃっただけですよ」

 むせただけ、に思えなかった。本当に苦しそうで、今にも死んじゃいそうな声だった。のに、先輩は今目の前でなんともなさそうにしている。

「? どうかしましたか遠野さん」

「あ、いいえ……」

 どうして話してくれないんですか? 

 その言葉をどうにか飲み込む。

 寂しさを隠しきれない。私は先輩の恋人なはずなのに……

「……遠野さん。ほら、こんなところにいないで中に入りましょうよ。今なら二人きりですよ」

 先輩に手を引かれて私たちは先輩のベッドのところに向かった。

 ベッドについた先輩はベッドにもぐりこむと、取り留めのないことを口にし始めた。それはいつも先輩が話すようなことではあるんだけど、今はあんまり耳に入らない、

「…………」

 先輩が私のその様子に気づかないわけがない。困ったような顔でいつの間にか見つめられてた。

「そういえば、昨日彩葉さんと会ったんですよね」

「あ、はい」

「いじめられちゃいませんでした?」

「え?」

「彩葉さんってああ見えていじわるなところあるんですよね」

 いじめ、じゃないけど。いじわるはされたかも。じゃあ? 最後のあの思わせぶりな態度もいじわるの一貫だったの? でも嘘には見えなかったし、それにそもそもあれが嘘だったら昨日、私をからかうためだけだったってことになるし……でもでも、いじわるなひとならするの、かも? いや、でもさすがに……

「……おのさん? 遠野さん」

「え?」

「どうしたんですか? ぼ〜っとしちゃって、もしかしていえないようないじわるされちゃったんですか?」

「そ、そんなことないです」

「まぁ、そうですよね。彩葉さんだってさすがにそのくらいはわきまえてますよね」

 む〜、なんですか。その信頼しきってるような言い方。幼馴染っていうのはわかりましたけど私の前でそんなところみせないでくださいよ。

 私はどうにも面白くなくてそっぽを向いた。

 私は気づいてなかったけど、この時に先輩が彩葉さんの話をしてきたのは、私を先輩に集中させたかったからって思う。余計なところなんか見ないで先輩だけを見て欲しかったんだって。

「ん……?」

 ふとベッドの脇に視線を落としたとき、あるものに目がいった。

 それは、先輩が面倒だからと私物化している保健室に二つあるうちのゴミ箱の一つ。

 普段は先輩が無断で持って来るお菓子の袋や、そのた諸々で埋まっているのだけど、今日は全然別のもの、というよりもなかなか普通はなかなか見ることのないものが目に映った。

「あ、遠野、さん……」

 先輩のあせったような声。

 それも、そのはずとは思う。

 だって、そこにあったのは

赤い、赤いハンカチ。鮮やかな赤い血に濡れたハンカチ。

「あの、先輩これ……」

 それはまだ一見しただけでも湿り気を帯びていてこの血がまだあたらしいことを物語っている。

(さっき、の……?)

 あんなに苦しそうにせきしてた。どういう風になればあんなせきができるのかわからないけど、血くらい吐いてもおかしくないかもしれない。

 それに、昨日の彩葉さんの……話。

 体中がいいし得ない不安に襲われて、背筋が冷たくなった。いきなり暗闇に放り出されるかのような言葉にできない不安。

「………………」

 沈痛の面持ちで先輩を見つめる私を先輩は………

「……………言った、じゃないですか」

 私以上に表情を曇らせて、ううん曇るどころか土砂降り、一番触れらたくなかった場所に触れられたっていう顔をしていた。

「え……?」

「ほら、前遠野さんにお礼してもらったとき、喫茶店で」

「あ」

 確かに言った。とても本気とは思えない調子で。

 で、でも……

「う、嘘だって言った、じゃないですか!

「えぇ、嘘ですよ。だから保健室にいるっていうのは」

「…………」

「ほんとはどこにいようと関係ないんですよ。ここに至って対処のしようなんてないんです。まぁ、病院にいこうと同じですけどね。だからって家にいるだけだと気が滅入っちゃうだけだし、教室で血なんか吐いたら大変だし、ここなら騒ぎになることもないでしょう? あ、そういう意味じゃ保健室にいるのには理由がありますね」

 嘘……

 何言ってるの? 先輩。

 冗談ですよね。

 いつもみたいに私をからかってるんですよね。

 だって今まで全然そんなことなかったじゃないですか。いつも私の前で笑ってくれて、保健室で私のことを待ってくれて。

 でも、血が……さっきの苦しそうなせき、彩葉さんの話。

 病気、なの? え? 大変な病気なの? もしかして……死んじゃうかもしれない、ような……?

 嫌、いやいやいやいや! 先輩がいなくなっちゃうなんて、絶対嫌! 大好きな、私の私だけの先輩が死……

「なーんて、本気にしちゃいました?」

「え?」

 嫌な想像しかできないで呆然としていた私に先輩は楽しそうな顔でクスクスと笑っていた。悲壮感もさっきまでのまずいといった様子もなく私をからかうときにみせる笑顔をしている。

「冗談に決まってるじゃないですか。もしそんなのなら今頃病院のベッドにいるに決まってますよ。こんなところにいたらいざって時にどうするんですか」

「でも、……」

 若干毒気を抜かれながら私はゴミ箱にある血に濡れたハンカチを見つめた。

「それはちょっと鼻血をだしちゃっただけですよ。ベッドにこぼすわけにはいかないから咄嗟にハンカチを使っちゃんです」

「本当……ですか?」

 私は疑いを隠しきれない。だって、こんなのんじゃ疑ったっておかしくない。

「もちろん、私が遠野さんに嘘つくわけないじゃないですか」

「…………いつも、嘘ついてばかりじゃないですか」

「あはは、これは耳に痛いことをでも、これは本当です」

 先輩はいつもの先輩だ。私をからかって笑う楽しそうな先輩。

 本当? 本当に嘘? 

「ほら、よく考えてみてくださいよ。もしここで本当は病気なのに嘘なんかついたって、本当に病気があれば、そのうちばれちゃうに決まってるんですよ? そしたら後で遠野さんが悲しんじゃうってわかるのにそんなことするわけないじゃないですか」

「っ」

 そう、だよね? 病気っていうのが嘘だって後でばれるに決まってるもん。そしたら後で私がどれだけ悲しむかわからないはずはない。先輩が私を悲しませるようなことするわけない。うん、そうだ。

(………………………)

「って、うわわ! ど、どうしたんですか、遠野さん」

 一人先輩の言うことを信じようとしていた私は先輩のあわてた声届いた。

「え?」

 何を言われてるのかわからない私はただ首をかしげて先輩を見返す。

「だ、だって泣いてるじゃないですか?」

「あ、本当、だ」

 触れてみると確かに生暖かい雫が手につく。

 ぼーっとその空気に触れて冷たくなる指を見つめて

「……よかった」

 とつぶやいた。

「? 何がですか?」

「……だって、本当に怖かったんですよ、先輩が、もしかしたら……し、……死んじゃうの? って思うだけで……体がすくんで……息もできなくなっちゃうような……気がして」

「……………すみません」

「でも、よかった。よか、ったです」

 心の底から安堵の声が漏れた。

 安心を自覚したらなんだかもっと涙が止められなくてどんどんあふれていく。

「よかった、よかったよぉ……ひく」

「……はい、ごめんなさい」

 先輩は泣きじゃくる私を抱き寄せると、優しく背中をなでてくれた。

「ひっく、ひぐ……先輩の、馬鹿、馬鹿……ばか、ばかばかばかばか」

 言っていい嘘と悪い嘘があるんですよ? 私が好きなら、私を悲しませるようなことしちゃだめなんです。ほんといつも先輩は……

 なんて言いたいことはたくさんあるのに

「……ばか、馬鹿……ばか」

 全部その言葉に変わっちゃう。それ以外何にもいえなかった。

「…………すみません」

 そうしてそのまま休み時間が終わるチャイムがなるまで先輩の腕の中で先輩に馬鹿といい続けるのだった。

 

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