大学に入学して、そろそろ二週間。オリエンテーションや、クラスでの顔あわせ、うざったいサークルの勧誘、健康診断などが終って、授業も始まった。

 そろそろ対人関係も固まってくることだ。

 しかし

「ふぅ……」

 美愛は講義が終わり、休み時間になると学内の人気のない場所へいき、ため息をついていた。

 次の授業はあと十分で始まるが教室で待っていることはめったにない。大体は授業の始まるぎりぎりの時間まで人気のないところで過ごし、授業が始まってもその授業ごとにある浮いた空間に陣を取る。

 別に、大学生にまでなっていじめられてるわけではない。人付き合いが嫌いなわけでもない。

 ただ、特に話したいと思う人間がいなかった。それだけで美愛はできるだけ人を遠ざけてしまうようになってしまった。

 そもそもが、この大学にくること自体乗り気ではなかった。すべり止め、というわけほとランクを下げたわけではないが志望と違ったのもまた事実だ。

 第一志望にいけない人間など数多いることなどわかっているし、そもそもそっちのほうが多いだろう。そもそも、受からなかったことは自分の責任なのだ。そして、いくら留年が駄目といわれても最後にこの大学に来ることを了承したのも自分だ。

 しかし、だからといってそんなに簡単に割り切れはしなかった。

周りにだって、……この大学の気に喰わない人間ですら望みとは違うという人間も結構な数いるだろうし、そういった人間も心に不満を持ちながらも今に順応しようとしている。

(……だから、なに?)

 周りも我慢してるから、自分も我慢しなきゃいけないってことにはならないはずだ。自分勝手といわれようと、それは人の本心。仕方のないことだ。

 こうして、孤独でいることも。

 大学がつまらないこと以外にはそれほど不満はないのだ。休みになれば、昔からの友人とは会えるのだし。

「……ふぅ、そろそろ行かなきゃ……」

 腕時計を見ると、授業が始まる時間だ。つまらないとはいえ、授業開始一週間でさぼったりできるほど、不真面目でもない。

 美愛は憂鬱を感じながらも、授業の教室に足を向けた。

 美愛はまっすぐに教室に向かい、その中でできるだけ人のいなさそうなスペースに腰を下ろした。

 時間通りに授業が始まって美愛は退屈を感じつつも、真面目に授業を受ける。退屈ではあるが、ある意味講義だけに集中していればいいのだから気が楽といえば楽。

 キィィ、バタン。

 不定期に背後からドアが開く音が聞こえてくる。

 遅刻をしてきた人や途中退出する人などだろうが、ドアの古いのか音がするのでバレバレだ。

 遅刻はともかく、出席だけをして出て行く人間がいるというのも気に食わない。もっとも、どこの大学にいってようが同じなのだろうが。

(ん……?)

 不満を感じながらも講義に集中していた美愛だったが、後ろからパタパタとした足音が近づいてきた。

「すみません、隣いいですか?」

「……………」

「あの〜……?」

(……うるさい。話しかけられてるほうもさっさと返事しなさいよ)

 というか、まだ隣合わないで座れるところもあるのに。と、思っていると、

 トントン。

 と、肩を叩かれた。

「あの〜、いい、ですか?」

「え?」

 そこでやっと美愛は声の主に振り返った。

 まず思ったのは、高校生が紛れ込んできたの? と、そう思うくらい幼い顔にそれにふさわしいかのような赤のリボン。そんな少女と表現すべきか迷う女性が、無視されていることに不安を目に表したかのように美愛を見てきていた。

「あ、はい。どうぞ」

「ありがとうございます」

 女性はお礼を言うと筆記用具を取り出しながら、美愛のとなりのイスに腰を下ろした。

「あ、で、その、よかったらプリント見せてもらえませんか? 後ろ、もうなくなっちゃってるみたいだったので」

「あ、はい」

 と、その一言で美愛はわざわざ席が空いているのにも関わらず、人の隣を選んだ理由を合点しながら、大学で始めての友人を得ることとなった。

 

 

「…………愛歌」

 美愛は自分の部屋でベッドに昼寝をする愛歌を見つめて、名前を呟く。

 結局、あの一旦やめようといった日から何も変わらず美愛は愛歌を受け入れ続けた。過激になることもないが、抑えようともせずもうこれが昔からしていたように感じてくる。

 今日の愛歌はお昼過ぎにやってきて、寝不足だったらしくあまり会話をすることもなく眠ってしまった。

「愛歌」

 美愛はベッドの縁に座りながら穢れのない愛歌の寝顔を見つめる。

(可愛い)

 この寝顔を見て思うのはやはりそれ。愛歌といて、唯一安心でき、心が安らぐ時間。狂気のない、本物の愛歌。

 いや、どんな愛歌も、愛歌であるとわかってはいるのだが美愛にとってはこの眠っているときのような無垢な愛歌が本当の愛歌なのだ。

 そう、出会った頃のような。

「ふふ……」

 出会いを思い返しても何にもならないのはわかっている。ただ、この前愛歌の妹の佳奈に会ってしまったらなおさら当時の、好きになった愛歌のことを思い返してしまう。

(佳奈ちゃん……)

 美愛は少し遠い目をして、視線を愛歌から窓の外へ移した。

(何もされてないと、いいけど……)

 二人きりで部屋であっているところを見られ、果てはキスしているところを見られた。そこでの反応は当たり前ではあっただろうが、愛歌はあの時点では敵対心のようなものを抱いても不思議でなく、しかも、【終りにしよう】という言葉は深読みすれば佳奈に会ったからと愛歌が思ってもおかしくはない。

 結局は愛歌のことを受け入れているのだから大丈夫なのかもしれないが、そんな不安も抱いてしまうほどにやはり今の愛歌は異常なのだ。

「ん、は……あ」

 愛歌が小さな呻きをあげて美愛は意識を戻された。

「あ、美愛ちゃん……おはよー」

「おはよう」

 寝ぼけ眼な愛歌を慈しむような目線を投げかける。

「何か、飲む?」

「うーん……うん。あ、それがいいな」

 まだ若干寝ぼけている愛歌が指差したのは向かいの机にある飲みかけのペットボトル。少し前に美愛が飲んでいたものだ。

「いいけど、新しいのが冷蔵庫にあるよ?」

「んーん、それがいいの」

「わかった、はい」

「ありがとう」

 美愛から受け取ったペットボトルを幸せそうに飲む愛歌。

 クピクピと、小さく喉を鳴らすのを美愛はじぃっと見つめ、その姿に何か飲んでるわけでもないのに喉を鳴らす。

 いちいちこうして、仕草に惹かれてしまうというのもずるずると飲み込まれていった原因の一つ。であった頃は子供っぽいと思うだけだったのに、いつしか見ているだけでも心が温かくなるのを感じていた。

(…………昔を考えても、仕方ない、か)

 今ここでこうすることは、責任であり望んでいることでもあるはずなのだから。

 その後は特に愛歌が何もしてくることはなく、だらだらと談笑をしていると夕闇が迫ってきた

「美愛ちゃん、今日はそろそろ帰るね」

「ん? ご飯食べていかないの?」

「うん、今日はそうしようかなって」

「わかった。じゃあ、駅まで送ってく」

「うん、ありがとう」

 愛歌はやはり多少名残惜しいような様子も見せてはいたが、忘れ物のチェックなどを済ませると美愛と一緒に出て行って、寄り道もせずにまっすぐに駅へと向かっていった。

「美愛ちゃん」

 駅につくと丁度愛歌のる電車が来るところで、改札を前にして愛歌は美愛の名前を呼ぶと軽く上顎を美愛に向けると目を閉じる。

 お別れのキスをして。

 と、無言で訴えかける愛歌に以前までだったら若干の躊躇を見せていた美愛は、愛歌の、恥ずかしいということをするほど好きな証だという言葉を聞いて以来、迷いを見せることなく、

「愛歌……んっ」

 頬に軽くキスをした。

「ありがとう、美愛ちゃん。それじゃあね」

「うん、また」

 頬でも迷わずキスをしてくれたことに満足したのか愛歌はその場所を幸せそうに触れると幸せそうな笑顔を見せて改札へと消えていった。

 何度か振り返り手をふる愛歌を見つめて、美愛は複雑な顔をする。

「……………」

 愛歌と別れるということに寂しさと同時に安堵を感じる。

 愛歌が見えなくなった後も、しばらくそこに立ち尽くしていた美愛はふと時計を見つめてようやくソコから動きだした。

(今日、夕飯どうしよ)

 何か、食べていってもいいが、美愛は外でよりも一人だろうと家で落ち着きながら食べるほうが好きだった。

 少し悩んだ後、家で自炊することを決めた美愛は駅へ来たとき同様に真っ直ぐと家へ向かっていって……

「っ………」

 建物に入り、部屋の入り口が見えるところまで来て足を止めた。

 理由は……

(……え?)

 一度しかあったことはないが見知った人物。

 動悸がするのを抑えられず、美愛は呆然と自分の部屋の前にいる人物を見つめた。

(な、んで……)

 もう一度会いたいと思っていないでもなかった。しかし、こんな形で会うなど予想できるはずもなかった。

「あ」

「っ」

 相手が美愛に気付き、声を上げた。

 頭の中は疑問符で埋め尽くされてはいたが美愛はそろそろと近づいていく。

「お帰りなさい。美愛さん」

「佳奈、ちゃん………」

 そこにいたのは、愛歌の妹、佳奈だった。

 

後編

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