美愛は愛歌の去った部屋で、愛歌を想う。

 いつも愛歌がこの部屋に来たときに使っていた食器や、家具、イスや、ベッドを見つめてはそのすべてで愛歌を想う。

 帰ると告げたときの愛歌は終始俯いていて、表情を見せてくれることはなかった。しかし、それでも愛歌といるときいつも感じていた違和感が消えていたようにも思え、美愛は愛歌を引き止めなかった。

 もしかしたら佳奈に何かをしてしまうのではという考えもよぎったが、そこは愛歌を信じることにした。

 好きな人を信じられないようでは、好きになる資格なんてない。

(………だけど)

 もし、想いがきちんと伝えられていたのだとしても、これで本当に終わりということもあるかもしれない。

 愛歌に言った終わりにしようは、あくまで今の不自然な関係を終わらせることで、愛歌との恋人関係を終わらせようといったのではなかったが、愛歌の受け取り方しだい、またきちんと伝わっていたとしてもこれで終わりになるかもしれない。

(覚悟はしてたけど……)

 もしそうなってしまったらと思うとやはりつらく寂しく、悲しい。覚悟はしていても、胸の奥がチクリと痛み、それを想像するたびに痛みが広がっていく。

「……やなことばっかり考える、わ…ね」

 愛歌と話をする前には、気持ちを伝えるというので頭がいっぱいだったが、いざそれを終えてしまうと浮かぶのは悪い想像ばかり。

 佳奈ちゃんに何かしていたら? 全然気持ちが通じていなかったら? これでお別れになってしまったら?

 こちらからアプローチをかけづらいという現実がさらに想像を加速させる。

「…………」

 しかし、美愛は小さく首を振ってその想像を振り払った。

(信じよう)

 愛歌のことを。

 好きな人のことを。

 そうすることもまた愛なのだから。

 美愛はそう心に誓うと愛歌が部屋を出て行ったときとは異なる気持ちで愛歌のことを思うのだった。

 

 

 それから一週間、愛歌からの連絡は一切なく、大学でも見かけることはなかった。

 他の友人たちも愛歌を見ていないらしく、どうやら大学そのものに来ていないらしい。

 もちろん、愛歌のことは気にはなる。しかし、美愛は自分から愛歌に連絡を取ろうとは考えていなかった。

 おそらくそうすることは愛歌も望んではいないのだと思う。大学にも出てこれないということは、愛歌は考えてくれているのだと思う。美愛に伝えられた想いを。

 美愛から愛歌へ連絡をすればそれを阻害してしまう。そう考え美愛は愛歌へ会いたい、話したいという気持ちを抑えて何事もないかのような生活を送っていた。

 今もその生活の一部。大学で講義を受けているところだ。

 この講義は愛歌と二人で取っていた授業。極力二人きりを望んだ愛歌の影響でこんな風に二人でとった講義は多い。

 他の友人と一緒にいればそのことで気がまぎれて愛歌のことを考えなくてすんだがこうして一人、ましてこうして愛歌に一人にさせられている講義中などでは自然に講義よりも愛歌のことを考えてしまう。

 佳奈に連絡を取れば愛歌が今どうしているか聞くこともできるがそれもしない。

佳奈との関係は終わった。

 それなのに愛歌の様子を、愛歌に知れず聞くためだけに佳奈を利用するなどできることではなかった。

(………っもう)

 思考ばかりにとらわれて、授業が一切耳に入ってこない。

(出ようかな?)

 このままこうしていてたところで何一つ身になることはない。出席だけはやったのだから出てしまっても問題ないだろう。

 美愛はそう決断すると荷物をもって目立たぬよう教室から出て行く。

「っ!

 そして、教室を出たところで足を止める。

「……美愛、ちゃん」

 授業中で閑散とする廊下に愛歌が立っていた。

「愛歌」

 戸惑いながら美愛は愛歌へと近づいていく。

「どう、したの。こんな、ところで」

「美愛ちゃん、この時間この教室だから、待ってたの」

「連絡してくれれば、よかったのに……」

「そう、なんだけど……」

 お互いどう話せばよいのかわからないといったようなぎこちない会話を交わす。

 愛歌は顔を伏し目がちでほとんど目を合わせようとせず、美愛の目にはどこか怯えているようにも見えた。

「ねぇ、美愛ちゃん。二人きりで話ししたい、の。いい、かな?」

「うん」

 そうして、二人は無言のまま空き教室を探してそこに入っていった。

 机の合間を通り窓際に着くと、少しの間二人で見つめあう。

 今までであれば、授業中に空き教室ですることなんて決まっていた。

 つまりは愛歌に愛すること。愛歌への気持ちを示すことだった。

 その時の愛歌は盲目的で自らの都合のいい美愛を見ていたはずだったが、今の愛歌の瞳には隠しきれていない不安が宿っている。

「佳奈、から、ね。話、聞いたよ」

 それでも愛歌はその不安よりも強い想いをもって話し始めた。

「……そう」

「佳奈と、会ってたんだね……私に内緒で」

「……うん」

 言い訳はしない。きっかけは佳奈が原因だったとしても、それ受け入れ望んだのは美愛であることは事実。それに対する責めはいくらでも負う覚悟はある。

「でも……佳奈のことふったんだよね」

「……うん」

 ふったというよりも合意の上の別れではあったが、佳奈よりも愛歌のことを取ったのは事実であり、佳奈もそんな風に愛歌へ話をしたのかもしれない。

「どうして?」

「私は……」

「私、ね」

 愛歌の質問に答えようとした美愛だったが、愛歌はそれをさえぎる。というよりも、初めから聞くつもりがなかったようにすら思えた。

 いや、つもりというよりも、聞く勇気かもしれない。

 愛歌は胸の前でこぶしをつくるときゅっと小さく握った。

「ほん、とうは、ね。少しは……気づいてたん、だ。キス、したり、したとき、とか……美愛ちゃん、困ってるって。だけど、ね。そんなこと思いたくなかったの。美愛ちゃんは私のこと好きなんだから、そんなことあるわけないって」

 それはもしかしたら愛歌に限ったことなのではないのかもしれない。誰であっても、人は自分というフィルターをかけて物事を捉える。愛歌はそれを極端にしてしまっていただけ。

「でも、ね。私、美愛ちゃんのこと本当に好きだよ。嬉しかったもん、美愛ちゃんが友達になってくれたから大学じゃがんばっていこうって思えたんだよ。……高校のときとは違って友達もできて……普通の生活ができたのだって、美愛ちゃんがいてくれたから、だよ」

「愛歌……」

 それは美愛も同じだった。

 あの日愛歌が話しかけてくれたから、愛歌と友達になれたから当たり前の大学生活が送れるようになった。あの時愛歌が話しかけてくれなかったら、今ですら孤独な学生生活を送っていたのかもしれない。

 あの時には愛歌は人懐っこい明るい少女に見えた。しかし、あれは変わろうとしていた愛歌の虚勢にも似たとても勇気のいる行動だったのだ。

 不安の中、変わろうとして美愛に話しかけてくれた。それは偶然だったのかもしれない、しかし同時に運命にも思え、美愛はいっそう自分の中の想いを強くした。

「それに、ね。ふられた、時。本当に、悲しかったんだ……友達はできたけど、やっぱり、私なんかを好きになってくれる人なんていないんだ……って怖かった。悲しいっていうよりもねすごく怖かったの。誰も本当の意味じゃ私を好きになってくれることなんかないんじゃって……だから、すごく、嬉しかったよ……美愛ちゃんが私を好きっていってくれたの、すごく……」

 自分の気持ちを素直に吐露していく愛歌。そこには様々な感情が入り混じってはいるが、そのほとんどは悲哀や不安といった負のものだった。

「こわい、けど……聞くね」

「うん」

「……どうして、あの時私のこと好きだなんていってくれたの?」

 ここに至り美愛はやはり愛歌に自分の気持ちがまっすぐに通じていないことを確信する。

 終わりにしようといわれたことが大きすぎて、自分が美愛に嫌われてしまったと思い込んでいるようだった。

 だが、

「私も愛歌のこと、好きだからよ」

 間違って伝わっているのであればそれを正せばいい。そうすることに何のためらいも必要ない。

「私愛歌のこと好きよ。初めて会ったとき、愛歌が話しかけてくれて私すごく、安心した。愛歌がいてくれたから、私は周りに溶け込む勇気がでたの。愛歌がいてくれなかったら今だって、変に意地はって一人だったかもしれない。本当に感謝してるし、愛歌のこと……好き」

 美愛はゆっくりと、その時のことを思い出すかのように一つずつ気持ちを愛歌に伝えていった。

「あの、日……ごめん。私が、いけなかったのよね。あんなことしたって本当の意味で、愛歌のこと慰めてることになんかならないわよね。でも……愛歌のこと好き、だから……何かしたかったの」

 今思えば、悪かったのは美愛なのかもしれない。安易にあんなことをしたところでそれは本当に愛しているとは言えない。一時慰められたとしてもそれはひずみを生んで、それがあの【愛歌】を生んだ。

 あの時にもっと別なことで愛を示せていれば愛歌を余計に苦しめることもなかったはず。

 しかし、大切なのはこれから。

 歪んだ愛に縛られた過去ではなく、

「愛歌。私たち、色々間違ってきたんだと思う。これからも、間違うかもしれない。それでも、私は愛歌が好き」

 二人で作る未来。

「美愛ちゃん……」

 絶望の闇の中で、希望の光を見つけたような愛歌の瞳。

「愛歌……やり直そう。私たち、もう一度初めから。……ねっ」

 二人の間を清々しい風が吹いたかのようだった。その風は今までの過ちを吹き飛ばし、二人を未来へ運んでいく。

「……うん。うんっ!

 大きく何度もうなづく愛歌。

 予想もしていなかったのかもしれない。美愛がこんなこと、まだ好きだといってくれるということを。

「私、また美愛ちゃんと友達になれるんだ……」

 ぼろぼろと涙を流しながら嬉しそうに言う愛歌。

 そんな愛歌を美愛は少し寂しそうに見つめ、

「愛歌、……んっ」

 軽く唇を触れ合わせた。

(……ん)

 愛歌の唇。

 暖かくふんわりとしていて、少しだけ甘い。

 何度も唇を重ねあったのに今はその時のどんなキスよりも心地よかった。

「っは……恋人、って言って欲しいわ」

 少しいじわるに笑う美愛にも薄っすらと歓喜の涙が浮かぶ。

「美愛ちゃん」

 愛歌もまた同じように涙を流しながら、最高の笑顔で愛しい相手を呼ぶ。

 見つめ合う。

 互いに涙に歪んだ誰より愛しい相手を。

もう惑わない。

 手を重ねて、指を絡める。

今度は二人、想いを通じ合わせているのだから。

 二人は心に導かれていくように徐々に距離を縮め、

 そして、

『んっ……』

 いつのまにかすれ違ってしまった心を再び重ね合わせ、長い、長いキスを交わすのだった。

 

 

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