誰にでも苦手な相手というのはいます。

 それには複雑な理由がある場合もありますでしょうし、性格が合わない。見た目や、雰囲気からして気に食わないということもあるでしょう。

 あまりそうしたことは人として好ましくないことはわかっているのですが、私もまだまだ若輩で、小娘でしかなく、私にも一緒にいると困ってしまう相手というのはいます。

 そして、その理由はいろいろと複雑なものです。

 その理由はとりあえずさておき、普段は彼女と一緒にいようともそれほど意識をせずにやり過ごす事はできます。

 しかし、そういうわけにはいかない状況というのも存在してしまうものです。

 まして、二人きりともなれば意識しないなど不可能なことです。

 

 

 傾いてきた陽の光。窓の外からは部活動の声。虫の声、少し遠くを走る車の音。

 静かな部屋の中ではすべての音が大きく聞こえてきます。

 それはどこか不思議な感じがして、実は私はこうした空間にいるのが好きだったりします。

「…………ぐー」

 もっとも、それは一人ならばの話ですが。

「はぁ……」

 私はため息をついてすぐとなりにいる彼女のことを見つめます。

 ふんわりとしたボリュームのある髪に、白のカチューシャ。薄いクリーム色に赤のラインが入ったセーラーカラーに身を包んだ彼女は、机に突っ伏し品のない寝息を立てています。

「ふぅ」

 バン!

 私はもう一度ため息を机を強く叩き大きな音を立てました。

「っ!!? な、なに!?

 すると、彼女はまるで地震でもきたかのように驚いて身を起こしました。

「おはようございます。高倉さん」

 私は彼女、高倉深雪さんに皮肉を込めてそう挨拶をします。

「ん、あぁおはよ。清華」

 しかし、高倉さんはそれを気にした様子もなくあっけらかんを私の名前を呼んで、挨拶を返してきました。

 あ、申し遅れました。私、神岸清華と申します。ここ、桜沢学園に通う二年生です。外見は、そうですね、あまり自分のことを語るのは得意ではないのですが友達からは髪をほめられることが多いです。自分では肩程度の髪はどことなく中途半端な感じがしているので、お世辞かもしれないのですが。あとは、まぁ、標準といってしまいたいのが日本人の悪い癖なのかもしれませんが、特に特徴はないのかなと自分では思っています。あ、でも、たまに目つきが怖いといわれることもありますね。あ、っとこれは余計でした。

 と、私のことはどうでもいいですね。

 今問題なのは彼女のことです。

「おはようじゃありません。どうしてこんな時間にこんなところにいるのか考えてください」

 こんな時間、こんなところというくらいですからここは普通の教室ではありません。といっても特別というほど特別なところでもないのですが。

 教室の名称を上げるのであれば補習室という場所です。大きさは普通の教室と比べ三分の一ほど、本棚に問題集が詰め込まれたりしていて少し狭く感じたりもするでしょうか。

「んー、となんでだっけ?」

「高倉さん……あなたは…っ!!?

 演技なのか本気なのかわからない私は、呆れながら怒ろうとしたのですが、彼女の思わぬことに口を閉ざしてしまいます。

「深雪って呼んでっていってるでしょ」

 高倉……深雪さんは私の唇に人差し指を当て、にんまりと少し邪にも見える表情でそう言ってきました。

「深雪、さん。いいですか、ここは補習室で、補習をするところです」

「清華に補習が必要だなんて意外だね」

「っ」

「はいはい。ごめんなさい。思い出したってば。ふぁあ」

「わかったら早くしてください」

「はいはい」

 当然、補習室ですることといえば補習です。私は監督兼教師のようなもので、深雪さんの補習を見る係りを何故かおおせつかっています。

 といっても、監督というよりは監視なような気もしますが、とにかく補習用に与えられたプリントを彼女にやらせるのが役目です。

「ふぁあ、ねむ」

 ただ、彼女は一向にやる気を見せずまたあくびをしては眠そうにしています。

「まったく、何でそんなに眠そうなんですか?」

「昨日は、ほら、ちょっとね」

「……また、ですか」

「電話してただけだよ、昨日は。あたしと話したいって言ってくれるんだもん、無碍にするわけにもいかないでしょう?」

「……プライベートには口だししません。とにかくしてください。終わったら答えあわせをするので」

「はーい。頑張ります」

「ふぅ……」

 また軽くため息をついた私は手元においておいた小説を手に取り読み始めます。

 時折、目配せをしますが今度はきちんとしているようで私は本のほうに集中していきました。

 遠くに感じる外の音を聞きながら私は本の世界へと入っていきました。

 幸せな時間です。本を読むのは好きですし、実は放課後の校舎というのも雰囲気が好きで、私はどんどんと自分の世界へと入り込んでいきま

「ふー」

「ひゃあああ!!!?

いきなり耳元に暖かな息を吹きかけられた私は思わず叫び声をあげてしまいました。

「な、なな、何をするのですか!!?

 イスを思いっきり引き、深雪さんから離れた私ですが、顔が赤くなってしまっているのを感じます。

「や〜、清華が可愛いからさ」

「か、可愛い、とか……そ、そういうこと、ではなく……」

「え? なんか変なこと言った? 清華は可愛いよ?」

「〜〜〜っ!! し、知りません!! 変なこと言ってないでちゃんとしてください」

 ま、まったく深雪さんは……っ〜〜。いつも、こんな感じです。相手のことなどお構いなしに唐突に妙なことをしてきて。

「はいはーい。わかりましたー」

 しかも、何事もなかったのようにすぐにプリントに取りかかって……

(こ、こっちなんて、まだ……)

 まだ赤くなっているであろう顔でさきほどと同じ席にもどりますけど、胸の鼓動が大きくてとても本なんて読める気分ではありません。

 とはいえ、あまり動揺しても彼女の思う壺なので表面上はどうにか落ち着いた振りをしてまるで内容の入ってこない本を眺めるのでした。

「はい、終わりました。せんせ」

 しばらくすると深雪さんは早くもちゃかした態度で私にプリントを差し出してきました。

「……誰が先生ですが」

「ん、ほら。なんとなく、このまま魅惑の個人レッスンにうつってもいい雰囲気のためっていうか」

「……………」

 いちいち彼女のいうことに反応なんかしていられません。私は無言でプリントを受け取ると赤ペンを持ってそれを眺め始めます。

「なんだ、意外にできてるじゃないですか」

「ん、そう? 清華先生が見ててくれるからかな?」

「……ふぅ」

「あ、それ微妙に傷つくんだけど」

 無視。無視です。先ほども言ったように彼女のすべてに付き合ってはられません。

 私は彼女のことなど気にも留めずにとにかく自分がここにいる役目を果たそうとします。

 彼女のといたプリントに赤ペンを走らせ、それがほとんど○ということに意外な印象を受けながら彼女のことなど気にも留めずにその作業に集中していきました。

 だから、彼女のことなんてまったく見てもいません。

 彼女はどんな人間かはわかっていたつもりだったのに。

「あむ」

 一瞬、何をされたのかわかりませんでした。

 けど、耳元に彼女の気配を感じてすぐに何をされたのか理解します。

「ふふふ、おいし」

 耳元で舌なめずりの音。

「っ、ちょ、あ、ぅ…な、な、…な」

「ん? 清華どうしたの? 変な顔して」

「な、ななな、な、何をするんですか!!?

「耳たぶ噛んだだけだけど?」

「そういうことではなく!! どうしてこんなことするのかってきいているんです!!

「ん、だからほら。さっきも言ったけど清華が可愛いから」

思わず触れた耳はしっとりと湿っていて、それに触れた瞬間、彼女にされた光景が頭に浮かんでしまいました。

 彼女が私のみみたぶを噛む、ところを。

「ふ、ふざけないでください!!

「ふざけてなんかないけどな〜。可愛い子には色々したくなるもんだし」

「だから、っ、そういうっ……」

 言いたいことはあるのに、恥ずかしさや怒りが喉の奥で絡まってうまく言葉が出てきません。

 私はわなわなと身を震わせていても彼女はただ楽しそうに私を見つめるだけで……

「にしても、清華っていい匂いだね」

 さらに私をおちょくるようなことを言ってきました。

「っ〜〜〜、も、もう知りません!!

 その一言で頭が真っ白になってしまった私は何故自分がここにいるのかも忘れ思わず席を立って、

「あ、清華―」

 部屋から飛び出していってしまいました。

 

 

「はぁはぁはぁ」

 我を忘れとにかく彼女からはなれたかった私は適当に校舎を走りまわり、下駄箱にまできてしまいました。

「っ、は、ぁ……はあー」

 ふらふらと下駄箱によりかかり、私はただの肉体的な疲労だけで乱れたわけじゃない息を整えます。

 清華が可愛いから。

「っ!!?

 彼女に言われた言葉が頭をよぎってしまいます。

 まったく……いつもあんな調子で……。

 清華、可愛い。

(っ〜〜〜)

 顔が、熱く、なります。

 一度頭に住み着いたそれは中々出て行こうとはせず体の隅々にまで渡っていき、顔といわず体全体までも染め上げていきます。

 可愛い。

「っ……」

 反芻する言葉は私を捕らえ、私の心にまで絡み付いてきます。

(……バカ)

 だから、私は彼女が苦手なんです。

 

 

 

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