あたたかな風が吹く。

 視線の先にはひらひらと舞い落ちる桜の花びら。

「春、ね」

 近所の土手沿いを歩きながらそんなことを呟く。

 春休みは長く、予定のない日も多い。今日はそんな日で私は一人散歩をしていた。

 あんまり意味もなくそういうことはしない私だけれど、なんとなく春はほかの季節と比べてこうすることが多い。

 私に限らず春先は寒さのせいで家にこもりがちだった冬の終わりを感じて外に出るものでしょうけど。

 土手から眺める河原にも子供が遊んでいたり、土手にはちょっとした桜並木があり私と同じように散歩をしている人をちらほらと見かける。

 ただ、私は視界に映る人たちとは異なる気持ちを持っているでしょうね。

 それは同じ気持ちでいる人間がいるわけがないとかそういうことじゃなくて、一般的には春は前向きな気持ちで表現されることが多い。

 ここにいる大半の人たちも同じ気持ちでなくても、春らしい気持ちで外にいるんだろう。

(私は……やっぱり昔と変わらないわね)

 私にとって春はいろんなことがあった季節で、その季節を迎えるには様々な想いが去来し何とも言えない気持ちになる。

 とりわけ、桜の散り始めのこの時期に散歩をするというのは初めての恋が終わった時のことを思い出させる。

 あの時は本当に人生に絶望していて、どこにも居場所がない気がしていた。

 今思えば大げさだけど、本当に生きる意味すら分からなくなっていた。

 そんな時に出会ったのは月野さん。これは大げさでなく私がろくでもなかった。彼女の好意に甘え、利用して……それを渚に見抜かれて。

「最初の頃の渚は怖かったわね」

 当時を思い出し小さくつぶやく。

 もっと目が鋭くて、睨まれていた印象が強い。

 渚もその時は余裕がなかったらしいけど、寮という閉鎖環境で先輩相手にあの態度は今思えばすごいわね。

(でもそんな渚だから、こうなれたのよね)

 歩を進めていた私は川にかかる橋の欄干に手をついて川らを眺める。

 月野さんとの関係に区切りをつけて……そして数か月後の涼香との決定的な別れ。

 あの時に涼香の背中を押せたのも渚のせいで、おかげだった。

「ふふ、でも」

 春の風を受けながらその時を思い出して笑う。

 あの後はまさに波乱だったわ。

 渚に告白されて、最初は疎ましかったのに少しずつ心を許していって、それでも涼香のことは忘れられなくて、私が悪かったなんて思わないけれど、当時の渚の心労の並大抵のものじゃなかったでしょうね。

 想っていてもその気持ちを相手から返してもらえないやるせなさ、自分のしていることはなんなんのかという不安。

 人を想い続けるのは簡単なことじゃない。それも一方的な想いを。

 どんな気持ちだってすり減っていくもの。永遠だと絶対の自信のあった想いが小さくなっていくその恐怖は経験したものにしかわからない。

 渚だってそれは同じだったはず。私と同じ辛さと苦しみを持っていたはず。

「……それでも、渚は私を思い続けてくれた」

 その時の思い出しなつかしさと、それ以上に感謝を声にしていた。

 あの時は渚の気持ちを考える余裕なんてなかったけれど、今思えば渚のしてくれたことは本当にすごいことだった。

 あの子の一途な想いが私を救ってくれた。

「……帰ろう」

 河原を眺め過去に浸っていた私はそう呟いてきた道を歩き出した。

 本当は土手の反対側まで行くつもりだったけど、予定は変更する。

 会いたくなった。愛しい相手に。

 来た時とは異なり、景色を眺めることもなくまっすぐに家を目指す。

 こんなことは実は初めてじゃない。発作のように何度もしていること。今日は春をきっかけに渚への想いを強くしたけど、今日だけじゃなくて何かにつけて今渚といられることの幸せを感じることがある。

 そしてそれは思い出に浸るだけや自分の中の想いを見つめなおすだけじゃ飽き足らず、今の渚を感じたくなるのだ。

「にしても、何度繰り返すのかしらね」

 これから先何度も何度も繰り返す自信がある。でも、それでいい。

 そのたびに渚を大好きだと、これからもずっと大切に思い合っていきたいと改めて思えるから。

 だから。

「あれ。せつなさん、随分はやいですね」

 部屋のドアを開けると渚はちょうど玄関先の廊下にいて、すぐに帰ってきた私を不思議そうに声をかけて

「渚、ただいま」

 私はそれを遮るかのようにそう言っていた。

「っ……」

 渚は一瞬驚いたよう様子を見せたけど、まるで私の気持ちを察したかのように。

「おかえりなさい。せつな」

 穏やかな笑顔で私が今一番欲しい言葉をくれた。

(あぁ……やっぱり。大好きだわ。渚のこと)

 これをしたらさすがに渚に後でからかわれてしまそうだけれど、でも気持ちをは抑えられないから。

「……もうっ。」

 衝動的に渚を抱きしめるのだった。

 この幸せを噛みしめながら。

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