あの光景を見た後もまっすぐ帰る気になれず結局帰ってきたのは門限ぎりぎりの時間。

 部屋に戻ってからもせっかく取ってきたプリントもやらずに、どうしたんですかという冬海ちゃんになんでもないと答え、二人のことを考えていた。

(そういえば……私は千秋さんのことをどう思っているんだろう)

 その中でふとそんなことを考える。

 想いが叶わないのはわかっている。千秋さんには嫌われてしまっているし、多分もう相手にしてくれることもない。

(それでも私は……千秋さんのことが………)

 好き、なの?

「……………」

 嫌ってはいないけれど、好きかと問われるとどう応えればいいのかわからなくて……

「………ご飯行こう」

 答えの出せない問いに頭を悩ませているとふと見上げた時計を見てそうつぶやいた。

 冬海ちゃんは一年生同士で食べると言っていて今日は一人の食事。

 席は空いているところもあったけれど、私は手近な場所に座ってあまり食欲のないまま食べていると

「あ………千秋、さん」

 隣にいるのがずっと頭を離れない相手だっていうことにようやく気付いた。

「………鈴」

 千秋さんの私のことに気づいていなかったのか重苦しそうに顔をあげて私を一瞥する。

「………何か、用」

 千秋さんは見るからに元気がなく、夕方のことを引きずっているのが明白だった。

「……何も」

「……そ」

 意図して近づいたわけではなく、まして夕方のことなんて口に出せるわけもなくて短く答えた私に千秋さんも小さく応えて視線を落とす。

 目は夕食に向いているけれど、それを取る手はたどたどしく、心ここにあらずと言った言葉がぴったり。

 それほどまでに蘭先輩に言われたことを気にしている。

 それはつまり蘭先輩への想いの強さ。

 どことなく中性的な顔を憂いに染まり、それがどこか非現実的な感じがして美しい。

 でも、同時に胸が締め付けられる。胸の奥がジュクジュクと痛むようなそんな感覚。

(悔しい……)

 心によぎったのはそんな思い。

 今目の前で千秋さんが、私をここにきてよかったと思わせてくれた人が苦しんでいる。

 私の千秋さんへの想いの形ははっきりとしなくなった。でも、私が千秋さんに感謝をしているということは間違いなくて……

(力になりたい)

 そう思う私が確かに存在した。

 

 

 力になりたいと感じたこと。

 それはどんな気持ちから生まれたのかわからない。

 好意なのかそれともただの恩なのか。ただ今がどうであれ、千秋さんがいなかったら私はここに来たことを後悔することになっていたかもしれない。

 好意とは別にそのことに感謝している。

 たとえ私の想いが叶わないのだとしても、彼女の力になりたいと思うのは間違いなくある想い。

(……理由はどうでもいいか)

 今大切なのはどうしてかじゃなくて、何がしたいかっていうこと。

 彼女の力になりたい。その私を今は信じよう。

「え……? 千秋先輩と蘭先輩のこと、ですか」

 その日夜。

 私を求めてベッドに上がってきた冬海ちゃんにいつか聞いたことを再び問いかけた。

「そう……知ってることを教えてほしいの」

「………別に、そんなに詳しくなんか」

 冬海ちゃんから不穏な雰囲気を感じる。

 もう私と出会った時のようなあの無垢な冬海ちゃんはいないけれど、それでも私なんかと比べればまだまだ純粋な少女だったはずなのに、今は妖しい何かが渦巻いているような気がする。

「お願い、何でもいい。知っていることを教えてほしい」

 冬海ちゃんが複雑なことを思っているのはわかっても今は冬海ちゃんのことよりも千秋さんのことが気になって冬海ちゃんに食い下がった。

 冬海ちゃんを見る私の瞳にはすでに失ったと思っていた純粋な何かがあったかもしれない。

「………………」

 冬海ちゃんは考えている。

 その姿に罪悪感を覚えるのも当然。

 都合がよすぎるもの。

 冬海ちゃんを落としたのは私なのに、今は受け入れず便利に使おうとしている。多分私はいつか報いを受けるんだろう。もしかしたらこうしていることもその報いの一つかもしれないけど、今は……千秋さんを元気にするまでは更なる罪を背負ってもいい。

「……本当に詳しくは知らないです」

 数分の沈黙の後、冬海ちゃんは小さな声を出した。心中まではわからないけれど、勝手に気持ちが伝わったと解釈して

「……うん、なんでもいい。それでも教えて」

 彼女の小さな手に手を添えて感謝を伝える。

 私を見つめ返す彼女の瞳は少し潤んでいて、何を思っているのかはわからない。もしかしたら何か意味があるのではと勘ぐってしまいそうな深い瞳をしているのが印象的だった。

「私が入学する前、つまり千秋先輩が一年生の頃、千秋先輩は荒れてたって聞きます」

「荒れ、てた?」

「あ、といっても暴力的だったとかそういうじゃなくて、投げやりになってたって話しらしいです」

「そうなの……」

 それはあまり想像つかないことではあったけれど同時にどこか共感も得る話。

 ……私も投げやりになっているから。

「けど、蘭先輩と一緒にいるようになってから変わったって話らしいです。陸上もそのころから初めて、私が入学したときにはもう今の千秋先輩でした。私が知っているのはそのくらいです」

 冬海ちゃんから得た情報は多くはないけれどなんとなく流れを察することはできる話。

 何かがあって千秋さんは自分を軽く見るようになった。それを蘭先輩に救われたんだろう……それが本当に救いかはわからないけれど、とにかく千秋さんは立ち直り代わりに蘭先輩に傾倒した。

 すべてをあの人に預けることで立てるようになった。

 でも……

(あの人は、そんないい人なんかじゃない)

 どうせ自分の都合で千秋さんを弄んだ。だから今千秋さんはあんなにも苦しんでいるの。

 今の話を聞いてすぐにはどうすればいいのかわからない。けど……あの人を想いつづけることはやっぱり……いいことには思えない。

 それだけは思って今は納得をした。

「……ありがとう。冬海ちゃん」

 それからできるだけ優しく声をかけて冬海ちゃんの頭を撫でた。

「いえ……」

 冬海ちゃんの照れた姿。

 それは底なし沼に落ちていくような関係を続ける私たちが久しぶりに得たまともな時間だったかもしれない。

 けど、すでに私たちは戻れない場所にいて

「………あの」

 冬海ちゃんは弱々しく私のパジャマを掴み、潤んだ瞳を向けた。

 最初にベッドに来た時と同じように。

「………ごめんなさい、今日は駄目」

「っ……」

 冬海ちゃんは質問さえおわれば当然してもらえるものだと思っていたのか私の返答に悲痛な表情をする。

「…………」

 せめて明日はと答えるべきかもしれないけれど……今は冬海ちゃんのことよりも千秋さんの事ばかりがあたまをよぎってしまう。

「っ……そう、ですよね。えへへ、ごめんなさい」

 そのことを見抜かれたのか冬海ちゃんは明るく言ってベッドから降りた。

「……ありがとう」

 その背中にそうお礼を述べるけれど……その顔が笑っていないことを私は気づけないでいるのだった。

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