時計
コッ、コッ。
今日も私は時を刻む。それが私の役目だから。
静謐な朝も、殷賑な昼も、漆黒の夜も。
爽やかな春も、眩しい夏も、切ない秋も、凍える冬も。
私はあなたのために時を刻む。
あなたのために、あなただけのために。
あなたのために、私は針を刻む。あなたに私を見てもらうために。
あなたに見てもらうこと、それが私のすべてなのだから。
でも……もうあなたはいない。私を見てはくれない。
それでも私は時を数える。あなたに会えない時間を。必要とされない時間を私は数え続ける。
春も、夏も、秋も、冬も。朝も、昼も、夜も。一人の時間を、あなたを待つだけのせつない時間を過ごしている。
いつかあなたがまた私を見てくれるまで。あなたが私を必要としてくれる時まで。
いつまでも、いつまでも…………私は時を刻んでいく。
だから、お願いです。
いつか、あなたがこの部屋に戻ってきたら
また、私のことを見上げてください。
……なんでしょうこれはw 時計擬人化? いえ、擬人はしてないですね ちょっとこの前時計のことを日記に書いてみたらなんだかこんなのを書いてみたくなってしまったので。
でも、もし時計に心があったらこんなこと思ってるかもしれませんよね。もうその部屋には誰もいないのに、ただいつか必要とされるときのために時を刻み続ける。くるかもわからないいつかのために。せつないです。
書いてて思ったんですけど、こういう状況……あ、設定は上京かなにかで主のいなくなった部屋の壁時計ですw で、こんな状況に限らず壁時計って見る機会少なくなってますよね。ケータイか腕時計ですませられてしまう。もちろん、まったくみないということもないから役に立ってないわけじゃないですけど、物は人に忘れられてしまったら存在する意味がなくなってしまう。物に心があるとしたら一番悲しいことはそれなんじゃないかなと、思ったりなんか。
っと、内容よりこの補足? のほうが長くなっちゃいましたw にしても、時計をこんな風に思う人もいないですよね。なんとなく思ってしまったので。