「はぁ………」
ときなが絵梨子を絵梨子と呼ぶようになって三日。
絵梨子はその三日間を思い出し思わずため息をついていた。
何か別に嫌なことがあったわけではない。ただ、なんというか毎日いじめられているような気がしていた。
朝起きれば、ねぼすけさんねとからかわれ、昼間ダラダラしていればしゃんとしろと注意され、買い物に行けば無駄遣いをするなと怒られる。
(……あれ? あんまり変わってない気もするわね)
思い返すと先生であったころも、一緒に住んだときにはそんなことばかり言われたような気もする。
ただ、問題なのはそういうことではない。
以前と違うのはときなが絵梨子と呼ぶようになったことと、敬語でなくなったこと。それだけではあるが、口調が変わるだけで受ける印象は大きく変わるもので、以前なら「私は先生なのに、また注意されちゃった」程度にしか思っていなかったのに今は、ときなの口調もありいじめられているようにすら感じてしまっていた。
それが嫌だというわけではないのだが、絵梨子が思っている問題点は別のところにあった。
それは、そんなときなをたまらなく好きだと感じてしまうこと。
もちろん、恋人なのだからそれは当然なのだが、ときなにいじめられる自分をあまりに簡単に受け入れてしまっていることが問題だった。
繰り返すが、絵梨子は今を嫌だとはまるで考えていない。ただ、本能的に思ってしまうことがあるだけ。
それは。
(……なんか、このままだとときなに頭が上がらなくなっちゃいそう)
こんなことだった。
ときなに絵梨子と呼ばれることも、半ばいじめられていることも不満はない。だが、年上として、ときなの先生だった身としてこのままそうなってしまうことは受け入れたくなかった。
(もしかして、だからあの時、断ろうとしたのかしら)
先生と呼ぶのをやめるといったときなを制したのは本能的にこうなってしまうのを予測してたからなのかもしれない。
が、今更以前のように戻せというもの無茶な話。
(で、でも!)
だから、絵梨子は今日一大決心をしていた。
「……………」
テレビもついていない静かな部屋にかすかな水音が響く。
それは、お風呂の音。ときなが入っているお風呂の音。
「………………」
すでにお風呂を済ませた絵梨子はその音に聞き耳を立てるとともに、ときなのその姿とこれからのこと思い浮かべて赤面する。
(そ、そうよ……)
今までの【そういうこと】を思い出し、絵梨子は自分の心を鼓舞する。
(エ……べ、ベッドの上なら……)
一度だって、ときなに主導権を握られたことはない。
(い、いじめられた分、今日は私がときなをいじめちゃうんだから)
そんな勇ましいのか情けないのかわからない決心をして絵梨子はときながお風呂から戻ってくるのを待つのだった。