二年生の話(三年生があるかはわかりませんけど)はこれでおしまいです。当初考えていたよりもシリアスになってしまいました。シリアスというよりも、テーマが今まであんまりやってないことでしたよね。

 

 誰だって離れれば不安になります。想い続けていられるか、目の前にいないのに、ほとんど会うことすらできないのに好きでいることができるか。柚子は思いましたし、ときなもまだそれが迫ったわけではなかったので怖いというよりも不安でした。

 柚子のときは社会人と学生、ときなは先生と生徒。立場の差がある上に離れてしまえば嫌な想像をするのはしかたないと思います。まして、今は毎日会えているからこそ離れるということが想像できなくて未来を不安に思ってしまうんですよね。

 もちろん、離れても自分を好きでいてくれるはずだという思いのほうが心の大部分をしめていても、少ないと思っている可能性のせいで不安になってしまう。仕方ない、んですよね。

 そんな中、柚子のことで後悔のあった絵梨子が選択したのは気持ちをきちんと伝えることでした。ずっと好きでいると信じて欲しい、と。ちょっと話が大きくなるかもしれませんけど、結局これしかありえないんです。そもそも立場や距離のことがあろうとなかろうと相手の心が読めるわけじゃないんですから、この人は私を好きだということを自分で信じるしかないんですよね。恋人に限らず友達関係だって相手を信じなければ付き合っていけないと思います。キスをされようと好きといわれようと、それが本当の気持ちかどうかは厳密に知ることはできません。自分が信じればそうだし、信じなければ違う。人間はこういう判断をしているのだと私は思います。

 距離や立場の差はその判断の材料でしかない、結局は自分で私は信じるし相手も信じてくれると信じるしかない。もちろん、柚子のように不安に負けてしまうこともありますし、柚子は距離に不安を覚えて自分の気持ちを信じられなくなってしまったのですから、ときなにとっても卒業は絵梨子と自分の気持ちを信じられなくなる材料の一端であることは間違いないでしょう。

 けどときなは絵梨子のまっすぐな気持ちによって、その諸々の不安があろうとも絵梨子を信じられる、絵梨子を好きな自分を信じられるという結論に達しましたんだと思います。

 もっとも、こんな風に偉そうに語りましたけど、本当に人の心がそんな計算をしているかなんて私にはわかりませんけ……w。

 ただたとえ計算をしていたとしても、相手を思う気持ちが本物であれば関係ないですよね。ときなと絵梨子はそう思えているはずです。だから、きっと大丈夫でしょう。二人を書いている身ながら無責任な言い方かもしれませんが……

 

 ときなの三年生を書くかはわからないですけど、柚子のことと卒業をやってしまったので三年生は絵梨子が言ったような思い出作り中心になるのかなと思います。確約はできませんがw

 

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