春の妖精が目覚めたかのようなぽかぽかとしたうららかな昼休み。そんな中絵梨子はにこやかな顔でときなの教室に向かっていた。
約束してあるわけではないが昼食を一緒にとろうと誘いに行くところだ。
(そういえば、ときなってたまにお弁当だっけ。頼んだら私の分の作ってくれたりするのかしら? 甘えてもいいんだからそのくらい、ね)
都合のいい妄想をして、一年生の廊下を歩いていってすぐにときなの教室へつくと、
「ときなー」
早速ときなの姿を発見した絵梨子は気づいてもらうために大きな声を出してときなを呼んだ。
ざわ、っとときなはもちろんのことクラスの半数程度の視線が絵梨子に集まる。
そのほとんどは何事かという興味の視線だったが、その中に明らかな怒りの視線があった。
(? な、何?)
その視線の主は当のときな。
周りにいた友人たちに何かを告げるとつかつかと迫力のこもった目で絵梨子の前までやってきた。
(え? な、何か怒らせるようなことした?)
ときなの様子に胸をどきまぎさせる絵梨子だったがその理由がわからず余計に不安が募る。
「何か御用でしょうか、桜坂先生」
教室の入り口に並ぶとときなはやはり不機嫌そうに言った。
「あ、あの、お昼一緒に食べたいかな〜って、思ったんだけど……えと、先約でもある?」
「いーえ。別に」
「と、ときな、あの……」
「何ですか?」
「何で、怒ってるの?」
「わかりませんか?」
怒っているということに否定をしなかったときなに絵梨子はさらに困惑してしまう。
一方のときなは怒っているということを否定しなかったが、怒っているというよりもどこかあきれているかのようだった。
「……ふぅ、こっち、きてください」
「あ、え、えぇ」
ため息をつかれてしまい若干びくびくとしながらも絵梨子はときなの背中についていった。
「…………」
ときなの背中を見つめるのは好きといっていい絵梨子だったが、この時はさすがに気まずく、いつもは自然とついていきたくもなるときなの背中すらまともに見れなかった。
つれてこられたのはあまり人気のない四階階段の踊り場だった。昼休みの歓喜に沸く階下とは異なった静けさが空気を支配している。
「先生?」
「あ、な、何?」
ときなはそこにつくとくるりと振り向いて絵梨子に向き合った。
「私たちの関係は何ですか?」
「え?」
「私たちはどういう関係かって聞いてるんです」
「え、っとその、恋人、でいい、わよ、ね?」
こんな雰囲気でなければはっきりといえる絵梨子だったが、ときなが妙に不機嫌なのでしどろもどろになってしまう。
さらに……
「違います」
このときなの一言が絵梨子の心を凍りつかせた。
「え………?」
「生徒と先生です」
「あ……そ、それは、そうだけど……」
(や、やだ……頭が真っ白……)
恋人……恋人といっていい、はず。少なくても絵梨子はそう思っていた。だが、それを嫌うときな……
(わ、私だけ、が舞い上がって、た、の……)
そう心が思ったとき、涙腺が緩んでしまうのを感じた。
「……何を勘違いしてるんですか?」
そんな絵梨子はときなはさらにあきれたように見つめる。
「え?」
「学校のある時間は分別を付けてくださいっていってるんです。別に先生のことが好きじゃないっていってるわけじゃありません」
「あ、そ、そう……なん、だ」
(えっと、つまり、ときなも恋人って思っててくれてるってこと、よね?)
ときなの言葉が絵梨子の凍った心を強烈に溶かしていく。
「……よか、ったぁ」
無意識に心底安堵した声を上げた絵梨子。遅れたように笑顔をついてくる。
「まったく、生徒に手を出したっていうのがばれて困るのは先生のほうですよ? 私のせいで先生に何かあったら私だって悲しいんですからきちんとけじめはつけてください」
相変わらず、年下の可愛げが感じられないときなだったが絵梨子にはそれもいとおしく感じてしまう。
「わかった、気をつける、ありがとう」
「はい、そうしてください。それじゃ、今はこれで失礼します」
「あ……」
理解はした、ときなが自分のためを思って言ってくれているということを。だが、お昼を誘いに来て結局断られる形になったことが絵梨子に残念そうな声を上げさせてしまった。
ときなはそんな絵梨子は困ったように見つめ、
「もぅ、特別ですよ」
といって、
ちゅ
絵梨子の頬に軽く口付けをした。
「え、ぇえ!!??」
「心配しなくても誰も見てませんよ。今はこれで我慢してください。それでは今度こそ失礼します」
ぺこりと軽く頭を下げてときなは去っていった。
絵梨子はそんなときなを呆然と見送りつつ、やっぱり自分はときなを好きだと改めて認識するのだった。