「授業、サボっちゃったね」

 屋上で燈ちゃんに迫られ、迷子になろうって誘われて観念しちゃった少し後。

 曇り空の屋上で柵に寄りかかって座る私はそんなことを口にした。

「あ〜あ。私、これでも優等生なんだよ? 燈ちゃんのせいで不良になっちゃった」

 隣にいてくれる燈ちゃんにそういうと、

「えっ。で、でも愛音ちゃんが、サボろうって……」

 燈ちゃんは少し前までの威勢はどこへやらと言った感じにわたわたと動揺する。

「だって、私たちあんな言い合いして飛び出してきたんだよ。そんな簡単に戻れないって」

 ……戻らないわけにはいかないから問題を先送りにしてるだけなんだけど。

「でも、こうやって屋上で授業サボるのも青春って感じでいいかもね」

 サボっちゃった罪悪感もほんとなら、こっちも本音。

 ……こんな青春の中でなら、普通なら恥ずかしくて言えないような事までいえる気がするから。

「燈ちゃんさ」

 私は抱えた膝に頬をつけて燈ちゃんを見る。

「……ありがとうね」

「え、と……?」

 何のことだかわかんないって顔だ。

「さっきは意地になっちゃったけどさ。私、ほんとは燈ちゃんが連れ戻しに来てくれるのを待ってたのかもしんない」

「………」

「っていうかあの日、スタジオ出てっちゃった時だって同じだったかも。そよさんのこととか関係なく、いらなくないって言ってほしかった」

「…そう、なの?」

「んー、自分でもわかんない。でもそういう気持ち、ゼロじゃなかったよ。ほら」

 って、私は燈ちゃんに手を差し出した。

「ぁ……」

 絆創膏塗れの傷ついた指を見て燈ちゃんは小さく声をあげる。

「バンドやめたんだからもう練習なんてしなくたっていいのにさ。やめられなかったんだよね。自分で戻る勇気もないのにこんな指をぼろぼろしてさ、情けないっていうか未練がましいっていうか」

 冗談めいた自虐に笑うと燈ちゃんは。

「でも…」

「っ!」

 私の手を取った。

「私は…愛音ちゃんの指、好きだよ」

 絆創膏の上から指先を撫でられる。

「これは…頑張ってる人の指、だから……愛音ちゃんが…私のこと覚えててくれた証、だから」

 優しく指の腹を撫でる燈ちゃんの手が柔らかくて、温かくて。手を繋いだこともあったけど、何だか今は妙に気恥ずかしい。

(え、ちょ……)

 撫でられるだけでもこそばゆかったのに今度はぎゅって、指を絡めてきた。

「私は愛音ちゃんのこの手が…嬉しくて……大好き、だよ」

(っ―)

 繰り返されるその言葉。

 意志のこもった瞳に吸い込まれそうで、私を見る真剣な表情には本音しかない。偽りを知らない純粋な気持ちが私の心にまっすぐに届いて。

(…敵わないなぁ)

 胸の奥からじんわりと熱が広がっていった。

「っ…愛音ちゃん…?」

 心の熱に突き動かされて、燈ちゃんに肩を寄せて頭をくっつける。

「私、やっぱり燈ちゃんにいらなくないって、必要だって……言ってほしかったんだな」

 胸にある気持ちは表現しきれない。

 嬉しいって気持ちが一番大きいけど、それだけじゃなくて色んな気持ちが湧き上がってきてる。

 自分でもその色んな気持ちがなんなのかはわかってないけど、一つ言えるのは。

(……多分、私燈ちゃんのこと)

 今はきちんとした言葉にするのもできない淡い想いが自分の中にあるんだって気付いた。

 一度繋がりを失ったからこそ、触れるぬくもりが愛おしいって思う気持ち。

「あ、愛音ちゃんは…必要、だよ。だって、私の大切な…」

 私が自分の想いに見つけてる間に燈ちゃんは話を続けてて。

「…大切な、何?」

 頭をくっつけたままちょっと意地悪に促してみた。

 何かを期待したわけじゃなくて今の燈ちゃんからどんな言葉がでてくるか気になって。

「えと………」

 中々出てこないのは多分燈ちゃんの中に私たちの相応しい関係を示す言葉がないんだろ思う。

 私たちは友達で、バンドのメンバーで、迷子の仲間で一つのことになんてまとめられない。

 もしかしたら私が今まさに気付いた気持ちの関係もあるかななんて期待したいけど、今はそれよりも。

「一緒に進む相手、とか?」

「っ、う、うん」

 うん、今はこれでいい。私にとってもそれが一番ふさわしくて、望む関係だから。

「燈ちゃん」

 今度はこっちからつながったままの手に力を込めた。

「私、頑張るね。燈ちゃんと一緒に進んでも……ううん隣を歩いても恥ずかしくないようにもっと頑張るから。燈ちゃんの詩を、心の叫びをみんなに伝えるために」

「…うん。一緒に、頑張ろう」

 言って燈ちゃんは私と同じように肩を預けてくれた。

 それもどんな気持ちからきてるかはわからないけど、こうして互いに体重をかけてるのが支え合ってるって気がして。

 再び胸に暖かいものが宿った。

「っ……あ〜あ」

 いつの間にか曇り空から陽の光が差し込む空を見上げて息を吐く。

「私、こんなキャラじゃなかったんだけどな。楽な方ばっかいって、一生懸命、なんてことから遠い人間だったのに」

 留学から逃げて、ギターを頑張ることから逃げて、バンドが駄目になっても取り戻そうなんてしなくて、燈ちゃんからも逃げた。

 でも。

「ほんとさ、全部燈ちゃんのせいだよ」

「…ぁ、う…」

「逃げてばっかの人生だって思ってたのに、燈ちゃんは迷っても前に進んでるって言ってくれたから。一緒に迷子になろうって言ってくれたから私、諦められなくなっちゃった。燈ちゃんの為に頑張ろうって思えちゃった。そんな今の自分が…好きって思えるようになっちゃった。ほんと、全部…」

 頭を離して顔を覗き込む、これは目と目を合わせて言いたいことだから。

「燈ちゃんのおかげ」

 あ、きっと私今いい顔できてる。

 大切なものを抱きしめるみたいなそんな顔を。

「愛音、ちゃん……」

 燈ちゃんもいい顔だ。

 頬を緩ませ、瞳を潤ませてる。燈ちゃんがそんな顔をしてくれることが嬉しくて。

「燈ちゃん。さっき言った通り燈ちゃんを誘ったこと見栄だったよ。一生だなんて、全然考えられなかった。でも……」

 地べたにおいてた手をあげて二人の顔の間にもっていき、指をほどいて小指だけを絡めた。

「今度は、ちゃんと約束する」

 燈ちゃんにとって一度は破られた誓い。私なんて、誓ってすらいなかった。

 今は燈ちゃんの気持ちも、その重さも分かった上で

「バンドしよ……一生」

 その誓いを立てた。

「うんっ」

 燈ちゃんが絡めた小指に力を込めてくれるのを感じながら。

(……もしかしたらいつか一緒に進む相手以上になりたくなるのかもしれないけど)

 今はまだ、もう一度燈ちゃんの繋がれたことの喜びを感じながら一緒に進んでいこう。

 繋いだ手を、離さずに。