部屋に戻ると、クーラーの冷たい空気が迎えてくれてそれだけでも早瀬を家に入れた甲斐があったと遠慮のないやり取りをして、早瀬の用意してくれた軽食とつまみ、お酒で軽く宴席を設ける。

 すみれの部屋でしていたようにお上品に、ではなく床に座りミニテーブルに雑多なものを広げて明け透けに話をするのが、私たちの時間だが今日は早瀬からの話を早々に済ませて自分の話をした。

「ふーーーん」

 私が話を聞き終えると、早瀬は興味あるのかないのか判断つきづらい言いざまをする。

「文葉がそんなこと悩んでるんだ」

「悩んでるわけじゃ……いや、悩んでるわね」

「しょーじき、さっさとやっちゃえばいいんじゃないのって言いたいんだけど」

「……………」

 早瀬の品のない言い草に閉口し、缶に口をつける。

 その言い方はともかく、

「その通り……なのよね」

 本当に下世話なことになってしまうけど、そういう話だ。

 別にそういうことをしなければ恋人でないとは言わないが、そもそもすみれはそういうことを私に求めていると考えている。

 それを私が踏み込まずに躊躇しているだけ。

「私だったらあんな可愛い彼女がいたらさっさと進んじゃうけどねぇ」

「あんたはすぐそういうことしよとするからふられるんでしょ」

「………まぁ、こっちの話はともかく、あのおねーさんは文葉のこと好きなんでしょ。なら悩まなくていいじゃん」

「あんたは、すみれのこと知らないからそんなこと言えるのよ」

「知らないのはそうだけど、文葉はなんで手を出さないわけ?」

 そう問われれば、いろいろなものが思い浮かぶ。

 外見、高飛車な割に世間知らずで初心なところ、普通の人間ではすむことすらできない住居。

 ……私への好意。

「多分、責任を取る勇気がないんでしょうね」

「責任?」

「すみれは、普通じゃない。そんなあの子に初めてになる勇気になんてないわよ。まして、あんな夢見る乙女じゃなおさらね。一生引きずることになられても……」

 困る、とでも言いたいんだろうか。

 なら、我ながら最悪だと言ってやりたい。

「さいてー」

 代わりに言ってくれる人間がいるけれど。

「確かに私は何も知らないけど、結局は文葉が受け止める勇気がないだけじゃん。あと自意識過剰」

 こういうことをずけずけと言える友人がいるのは幸運、なんだろうか。

「わかってる。……わかってるわよ」

 早瀬の言い分のほうがこの場では正しい。私は臆病なだけだ。

(せめて割り切れればよかったんだろうけど)

 そういう非情さも持ち合わせてはいない身勝手な自分。

 あのお子様は本気で覚悟をしているわけじゃないと決めつけて、傷つけてしまうかもしれないことを恐れている。

 それは結局すみれのことを子供だと軽く見ているだけのこと。

 ……私に受け止める勇気がないから。

「……っ」

 胸の奥が痛んで、それをごまかすかのように缶に残っていたビールを飲み干そうとして、それを早瀬に取り上げられる。

 何をするのかと抗議しようとする前に早瀬はそれを自分で飲み干すと、

「っ……何、するのよ」

 私を抱きしめてきた。

「久しぶりに、シない? 慰めてあげる」

 背中に腕を回され耳元で甘くささやかれる。

 アルコールの匂いと、よく知る早瀬の香りまざって鼻腔をつく。

 クーラーの効いた部屋で感じるぬくもりはこの世の誰よりも知っていて、慣れているもので。

 つい、私も早瀬の体を抱くように腕を回して

(………)

 その瞬間に、目の前の相手じゃない人物を思い浮かべた。

「………やめておく。もうあんたとはそういうんじゃないでしょ」

「一緒に住まなくなったあとだって結構シたじゃん」

「そうじゃなくて、今の私はすみれの恋人なのよ」

「都合よく使ってるよね、それ」

「……………うるさい」

「ま、いーや。ちょっと残念だけど」

 あっさりと体を放し、私に背中を見せる早瀬。どこまで本気だったのかはわからないし、たぶん無理にわからなくてもいいのだろう。

「とりあえず、泊めさてよね。シャワー浴びてくる」

「……うん」

 そうして私の懊悩は何も解決しないまま時間だけが過ぎていく。

 

 ◆

 

 あの日は結局すみれとも早瀬とも何事もなく終えた。

 本音を言えば少しだけ、早瀬に甘えたくなったのはある。考えることに疲れてすべてを忘れて溶け合うのも悪くはない。

 昔、早瀬にそうしてあげたように。

 その時だけでも楽になれるのなら一夜の過ちを犯すのも悪くない。

 だが、代わりに私はすみれと一緒にいる資格を失うだろう。たとえすみれにそのことがばれなくとも。

 ……そんなことを考えるくらいならさっさと手を出せと早瀬に言われてしまいそうだ。

 その通りだ。

 恋人という言葉を便利に使いながらその実子供扱いをして

 私は臆病で身勝手で、自意識過剰で……自分のことしか考えていない。

 その私の迷いはおそらくすみれにも伝わっていたのだろう。

 おそらく、この前の花火の日以前から。

 そしてそれは花火の日のキスで明確なものになって。

「……はぁ」

 夏休みもあけた平日のある日、私はカウンターで書架の貸し出し業務をしながらため息をついていた。

 日記にもなっていない日々をつづる手帳を眺め、これまでのすみれの記載を何となしにたどる。

 いつの間にかすみれのことを書くことが多くなっているものの、こんなものを眺めても私からみたすみれのことが書かれているだけで今を打開するようなものは何もない。

(……いえ、すみれのことを書くことが多いというのは……)

 つまり、すみれの比重が高まっているということかもしれないけれど。どちらにせよその程度ではすみれへと踏み込む理由にはなってくれなくて。

「……ふぅ」

 再びため息をついた。

「なーにため息ついてんの?」

 そこへのこのことやってくる親友。

 開館直後でほとんど人もいなく、多少の雑談はしてもいいところなのだが今はあまり話す気にもなれずに「なんでもない」と答える。

「何でもない人間はため息つかないと思うけどねぇ。あ、またあのおねーさんに手を出すかどうかで悩んでるわけ?」

 「どんな人間よ」と返したいが、ほぼ事実でありそれを早瀬に知られるのはあまりいい気はしなくて。

「最近、すみれの反応が少し悪くなったなって思ってただけ」

 代わりに嘘ではないことを答える。

「ふーん? 文葉が手を出さないから呆れられちゃったとか?」

「……さぁ、ね」

 話題を間違えたと悔恨する。

 なぜなら今の悩みの根幹でなくても、それは事実だったから。

 花火の日以来、すみれからの連絡は減りあれから会ったのも図書館で一度だけだ。

 その時にも妙な距離を感じてはいて、会わない期間が延びるたびにすみれのことを考えることが多くなっている。

「デートにでも誘ったらー?」

「…………」

 相変わらず早瀬の言うことは的を射ている。気になるくらいなら会えばいいのだ。

 だが、そんなことを考えながらもなかなか行動には移せず、今こうして悩んでいる。

(ったく。デートの約束くらい考えないですればいいでしょうに)

「…みは。文葉ってば」

 いつの間にか自分の思考に潜っていた早瀬の声に我を取り戻して

「な……っ!?」

 何? と問う前に早瀬が呼んでいた理由を察して、過剰に反応した。

 過剰にもなる。

「文葉、話があるわ」

 なんせ絶賛私を悩ませている最中の恋人がカウンターの前に立っていたのだから。

「話?」

 急にきて何? とか、来るなら連絡を頂戴とか、言うことがあったがすみれとしては珍しい行動でもなくとりあえず早瀬にどこか行けと目配せをしたが、すみれは早瀬を一瞥しただけで

 

「私と旅行に行きなさい」

 

 この物語の大きな転機を迎えるデートの誘いをかけてくるのだった。

 

4−6/五話  

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