思えば私はずっと彩ちゃんに恋をしてきたのかもしれない。
それこそあの雨の中チケットを売る彩ちゃんの姿を見た時から。
それを認めようとしていなかっただけなのね。
けど、仕方ないかもしれないわ。
だってこの想いはきっと誰も幸せにしないから。
私の為にも、彩ちゃんの為にも、パスパレの為にもならない。
こんなスキャンダルは誰にとってもマイナスにしかならない。
今までの自分、これからの自分、パスパレの仲間。彩ちゃんのこれから。それらを比較して自分の気持ちを無理に叶える理由なんてない。
もっとも……そんなのは全部言い訳かもしれないわね。
今度のドラマでは私と彩ちゃんはハッピーエンドを迎える。
でも、現実はそんなに甘くはない。
彩ちゃんに拒絶されることだって充分にありえる。
もしそうなったら今のままパスパレを続けることなんて考えられない。一緒のお仕事をすることだってなくなるだろうし、今のただの友達よりは親密と言える関係も、芸能界の頼れる先輩という立場も全部なくなってもう気軽に話せる間柄でもなくなってしまう。
その恐怖があるからこそ私は彩ちゃんへの気持ちを認めるのを避けていたんだと思う。
だから私のすることは決まっている。
これまで通りパスパレの仲間として、仲のいい友人の一人として、芸能界の先輩として彩ちゃんと接していく。
そうすればわたしはこれまで通り彼女の傍にいることが出来る。
全てを失うくらいなら、たとえ望んだ関係になれないとしてもそれでいいわ。
まだ恋を自覚した程度の私はそう出来ると軽々しく思っていた。
◆
それからも彩ちゃんとの練習は続いた。
事務所のレッスンや、自主練習を通し彼女の演技は徐々に良くなっていった。
それはつまり私に向けられるドラマのセリフも真に迫ってきているということ。
練習中彼女から伝えらえる好意が本当のものじゃないとわかっていても、彼女から伝えられる甘い言葉に私の心は溶けていく。
恋を自覚しての好きな人との時間は好きと認める前とは全然違い私の懊悩を深めていた。
「ねぇ、千聖ちゃん。ここのシーンなんだけど」
今日も二人でのレッスン。
二人きりのレッスン室で、熱心に練習に励む彩ちゃんに迫られている。
「台本にはこう書いてるけど……」
(……近い)
台本を手にしながら私へと体を寄せる彩ちゃんに意識が奪われる。
視線の先には彩ちゃんの横顔、もともと愛嬌を感じてはいたけれど気持ちを自覚してからだとこれまで以上に彩ちゃんが魅力的に見えてしまう。
それは何も顔だけのことじゃなくて、彼女の香りや、レッスン着から覗く首元、触れ合いそうなその柔肌。
それらが私の思考を乱す。
「…さとちゃん。千聖ちゃん?」
「……っ!?」
彩ちゃんの顔が。目の、前に……
「何、かしら?」
「何って、千聖ちゃんがぼーっとしてたからどうしたのかなって」
「……いえ、何でもないわ」
言って、私は彩ちゃんから距離を取る。
(何でもない?)
どこが? 彩ちゃんが近くに来ただけで見惚れて話だって聞いてなかったじゃない。
彩ちゃん二人きりでいることに酔って、演技の指導をするどころじゃなかった。
「そっか。それじゃ続きしよ」
「……えぇ」
こんなんじゃ彩ちゃんにだって失礼なのに練習をやめることは出来ない私は、目の前で演じる彩ちゃんに再び心を奪われる。
彩ちゃんの目、いつもまっすぐに前を見据える瞳は純粋で眩しささえ感じさせる。。
彩ちゃんの髪、ステージ上とは違う下ろした髪が艶めき輝いている。
彩ちゃんの唇、小柄な唇から紡がれる言葉はドラマのセリフだとわかっても私の心を揺らす。
彩ちゃんの体、私より背が高いのに可愛らしく柔らかい女の子の体だって私は知っている。
彩ちゃんの手、整った細長い指先は美しくどこか性的ですらある。
それら全てが好きって認める以前よりもはるかに愛おしくて、そして手を伸ばせばすぐそこにあるということが私を惑わせる。
瑞々しいその頬に触れたい。サラサラとした髪を撫でてみたい。その細い体を抱きしめてしまいたい。
演技の中じゃなくて彩ちゃんのことを求めてしまいたい。
その想いが自分の中で徐々に大きくなっていることがわかって、私の手は自然と彼女へと伸び……
「千聖ちゃん……?」
「っ」
不思議そうに私を見つめる彩ちゃんの表情に我に返った。
(私は、何をしようとして)
彩ちゃんに手を伸ばしてどうするつもりだったの? 抱こうとでもしていたの?
「さっきからどうかしたの? 調子でも悪いの?」
「そう、かもしれないわね」
自分の歯切れ悪く答える。
貴女が好きだから見惚れていた。なんて言えるはずはない。まして、無意識に触れようとしていたなんて。
「え!? 大変、それじゃ今日はもう終わりにしよ。早く帰って休まないと」
本当の理由を知る由もない彩ちゃんは心配そうな表情を向けてくれる。
それは嬉しくもあるけれど、無用のものでもある。
だって、これは休めば治るものではないのだから。
それどころかこれからだって悪化することが決まっている恋の病。
治療法のない病。
このまま彩ちゃんと練習を続ければそれは進行を早めることはわかっていて、彩ちゃんの友達でいようという決意すら滲んでしまうそんな予感がしていたから
「……ねぇ、彩ちゃん。もう、終わりにしましょうか」
安易なことを提案していた。
「うん、だから今日は」
「違うの。この練習のこと。もう彩ちゃんの充分上達したし、後は通常のレッスンだけで充分よ」
「そ、そんなことないよ。私なんてまだまだ」
えぇ、そうね。確かに彩ちゃんの演技は上達したけれどプロと言えるレベルではないわ。
でも
「大丈夫、ちゃんと出来ているわ」
「けど……」
いきなりの提案に彩ちゃんは取り乱している。この場をどうにかすることしか考えてない私は気づけなかったけど、よく考えれば練習が終わった後にならともかく、途中で言われるのは何かをしてしまったかと思っても仕方ないのかもしれない。
しゅんとしたその姿に同情心を催しはしても
「自信をもって。彩ちゃんなら出来るわ」
自分の都合を優先させてしまう私は彩ちゃんを安心させるかのように偽りの笑顔を向けていた。
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