「…………こっちこそ」
小さく、しかし心を込めて独り言のように呟いた彩葉はそれを伝えた相手に振り向くことなく歩き出していた。
数歩歩いて、背後から扉の閉まる音が聞こえると何気なく空を見上げる。
綺麗な空だ。
高く青い空に対照的な白い雲。
毎日違う顔は見せていても、基本的には同じようなものなはずなのにたまにむしょうに綺麗に見えるときがある。
(……綺麗)
それがいまだ。
晴れやかな気分だった。
この前、はるかを焚き付けたときには素直になれない自分と、余計なことをしたのではないかという不安で達成感すらほとんどなかったが今は違う。
ずっと心を締め付けていたものがなくなった気分だ。
今度、今度こそ、本当に麻理子の力になれたのだから。
それもおそらく結果を伴う方法で。
「………………」
彩葉はふと足を止めて麻理子の部屋の方角を見つめる。
一時は毎日のように通っていた場所。
今後、訪れないということはなくなるだろうが、その回数は多くなくなるだろうし、ある意味独占していたという優越感もなくなるだろう。
(……それは、まぁ……ちょっとは寂しいわね)
だが、それでも
「だれーだ?」
「っ!!?」
一人、感慨にふけっていた彩葉は背後、門のほうから名を呼ばれ突然目隠しをされる。
「優衣、さん……?」
確信はあるのだがその相手がこんなことをしてくるとは思えず不安の入る声となった。
「こんにちは」
「……どうも」
すぐに目隠しをといて彩葉の正面にまわった優衣の雰囲気は彩葉の知らないものだった。
「? どうかした?」
「いえ……、優衣さんがさっきみたいなことしてくるとは思わなかったので」
「元気なさそうだったから」
「私が、ですか?」
「そう。貴女が」
「…………」
はっきりと断言されたことに彩葉は口ごもる。
寂しく思っているのは事実ではあったがそれを赤の他人といっていい優衣に見抜かれるほど態度に出していたのかと自分で驚いてしまう。
「今頃、はるかさんは麻理子さんと話してるのかしらね?」
「っ。遠野さんが来たこと知ってるんですか?」
「えぇ」
「なのに、鍵、開けてくれたんですか?」
「チャイム押したのはあなただし、言い訳できるでしょ?」
「そう、ですか……」
これまでそんなに話したことがあったわけではなかったが、その一言だけで優衣が麻理子のことを大切に考えてくれているのだなと察する。
「でも、ちょっと意外」
「何がですか?」
「私はいつか貴女が麻理子さんとこんな日が来るのかと思ってたから」
「……中々痛いところをつきますね」
「気に触ったのなら謝るわ」
「……………」
彩葉は返答を返さない。
的確に心の柔らかい部分をつかれてはいるのだがそれが辛いわけでも、嫌なわけでもなくただ、自分と向き合っていた。
十数秒ほど空を見上げていた彩葉はずっと昔から胸に渦巻いていた気持ちを吐き出すかのように息を吐いた。
「……麻理子がどうして私を拒絶したのか、わかってるんですよ」
「…………うん」
「私は麻理子を知りすぎている。幼稚園の頃からずっと一緒で、その頃からずっと麻理子を見てきた。元気な麻理子を」
何故、こんなことを話しているのか自分自身にもわからないが彩葉は止まらず自分にすらいえなかったことを吐き出していく。
「……麻理子のこと、迷惑とか、重荷とかは考えたことないです。でも、ギャップは感じますよ。どうしても前と比べてしまう。それだけじゃないでしょうけど、麻理子はそれが嫌だったんでしょうね。一緒にいればいる分、そのギャップを感じてしまうから」
自分ですらそれを気にしてしまう。麻理子からすればその差は計り知れない。
「……最初は些細な溝だったんだから、乗り越えればよかっただけですけど、私はただ麻理子が望んでいるようにって今の場所にいることを選んだんです」
「……後悔、してるの?」
「……少しだけ」
それは、本心だった。今の晴れやかな気持ちも真実ではあるが、麻理子を人に託してしまったことを寂しく思う気持ちは確実に胸にある。
「これが、遠野さん以外だったらすごく後悔したって思います。でも……彼女なら」
「いいの?」
「はい」
笑顔になれる。はるかの想いの強さを知った彩葉は寂しさを抱えながらも親友の幸せを思い笑顔になれた。
「……えい」
「え……!!!???」
ほとんど見ず知らずの相手にこんなことを話してしまう自分をどこかおかしく思っていた彩葉だったが、優衣の予想外すぎる行動に目を丸くする。
「ふふふ……よしよし」
優衣は彩葉を抱きしめていた。
正面から背中と頭へ手を回し、子供あやすかのようにされる。
「ちょ、あ、あの、なんなんですか!?」
「あはは、ごめんなさい。でも、なんとなくこうしてあげたかったの」
「や、やめてください。別に落ち込んでるわけでは……」
(……まぁ、少しだけ、落ち込んでもいるけど)
とは口に出せない。何故いきなり抱きしめられているのかは知らないが、今思ったようなことを言ってしまったら離してもらえそうにない。
しかし、優衣はそんな彩葉の打算にも似た思いを無視してさらに彩葉を困惑させる一言を放つ。
「ね、これから、どっかいかない?」
「は!?」
「おねーさんがおごってあげる」
「ちょ、いえ、あの……」
「ね、いきましょ」
わずかに抱かれていた腕に力が込められたのを彩葉は敏感に察する。
(慰めてくれてるつもり、なの、かしら?)
落ち込んでいると口にはしていないが、沈んでいるのも事実。それを見抜かれてしまっている。
「………………わかりましたから、離してください」
「うむ。素直でよろしい」
必要とはしていない。しかし、一人になることにも漠然とした不安を感じていた彩葉はそう頷く。
そして、解放されるとさっそく歩き出す優衣に数歩ついていきながら、もう一度だけ麻理子の部屋を見つめるのだった。