「えっと、適当に楽にして」
「あ、はい、ありがとうございます」
佳奈を連れて美愛は部屋の中に戻っていく。
(……どうして、佳奈ちゃんが……)
当然思考はその一点に絞られる。
(まさか、愛歌が佳奈ちゃんに何か)
そして、嫌な推測も容易に頭の中に入ってくる。
おかしくはない。愛歌があのことを変に勘ぐって何かしてしまっても今の愛歌ならありえてもいいことだ。
もしくは、姉がおかしくなった原因であろう美愛にその訳を聞きに来たなども考えられる。
美愛は混乱したまま、机の前のイスに座ると若干遠慮がちに部屋を見回している佳奈を困ったように見つめる。
「佳奈、ちゃん」
突然の来訪者にどう対処すればいいのかはわからないままだが、放っておくわけにもいかない。
「あ、はい。何ですか?」
「ここの、こと、愛歌に聞いたの?」
「いえ、姉さんとは最近あんまり話してませんし」
「そう……」
じゃあ、どうやって来たの? というセリフの前に美愛は佳奈の口回しが気になった。
最近あまり話していない。
一緒に住んでいようがそういうこともあるだろうし、もしかしたらそれは元々なのかもしれない。しかし、今は別の理由が考えつけてしまう。
佳奈は机とは別にあるテーブルの前に腰をすえると、イスに座っている愛歌を見上げるようにした。
「今日、姉さんの後つけてきたんです」
「え……?」
「たまたま電話聞いてて、姉さんがここにくるっていうのわかってましたから」
「そ、そう」
美愛はますます困惑してくる。そこまでして一体何をしに来たのかと不安ばかりが増していく。
「でも、愛歌はお昼すぎからずっといたけど、その間は?」
「建物の入り口のところうろうろしてました。ここで姉さんと顔あわせたくなかったですし」
それは、美愛とて同様。佳奈と部屋なんかで鉢合わせしたら愛歌はどんなことしてくるかわかったものじゃない。いや、ここでこうしてることさえもし愛歌に知れたら……ということを不安は少なからずある。
「でも、愛歌がいつ帰るかなんてわからないでしょう?」
「そうですけど、最悪場所さえわかるんならいいかなって思って」
「そう……外、寒かったでしょ?」
「あ、はい。あ、いえ、大丈夫です」
気を使っているのか佳奈はそう答えるが、若干色を失っている顔と赤くなっている鼻を見れば体が冷えてしまっていることはわかる。何度か、口の前に手を当てて暖めているのも見ている。
それほどの理由がある、ということなのだろうか。
「暖かいものでも淹れるわね。少し待ってて」
「あ、そんな。大丈夫です」
「気にしないで、私も外行って少し冷えてるから。私が飲みたいの」
さりげなく年上の余裕を見せて台所へ向かっていくが、実際は少し考える時間が欲しかったから。
何か、嫌な予感がしている。まさか愛歌はここに戻ってくることはないだろうし、佳奈が愛歌に話すとも思っていない。はず、だがここで佳奈とこうしていることに不安を感じている。
ホットココアを淹れると、佳奈の待っているテーブルにおいて、自分も佳奈に向かいあった。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
佳奈は直接カップを受け取ると、まだ熱いであろうカップをまるで小さな子供がお気に入りのぬいぐるみでも抱くかのように頬を綻ばせた。
年相応、いや姉の愛歌同様に無邪気な子供のような様子に美愛は胸をときめかせる。
(こういう所、愛歌にそっくりなのよね)
外見はあまりにていなくても、仕草や雰囲気は愛歌、特にあった頃の愛歌にそっくりで自然に笑顔になってしまう。
しかし、そういった姿だけをみているわけにもいかない。
「それで、佳奈ちゃん。今日はどうしたの?」
ココアとさっきの笑顔で多少緊張をほぐせたかなと思った美愛は本題を切り出す。
「あ、ちょっと美愛さんと話、したくて」
「話? …………愛歌が佳奈ちゃんに何か言ったの?」
やはり、佳奈がわざわざ会いに来るとしたらそれしかおもいつけない。
「…………別に、そういうわけじゃないですけど」
来て以来美愛からほとんど目を離すことのなかった佳奈だったが、ここで明らかに目をそらした。
(嘘、ね)
そもそも、そうでもなければ美愛に会いに理由もないだろう。妹としては、姉のことが気になってもなんら不思議なことではない。
「……んく。美愛さん」
佳奈はココアを一口飲むと、コトと小さな音を立ててカップを置いた。
「なに?」
「姉さんのこと、好きって本当ですか?」
美愛を貫く、真っ直ぐな瞳。
「それは……」
それにひるんだ美愛はそこにある姉と同じ匂いを見つけることはできずに問いに答えることだけで精一杯となる。
「好き……なのは、嘘じゃないわ」
「……そうですか」
まるでこういわれることが予想できていたかのように佳奈は落ち着きを見せている。
「でも、……美愛さん、嫌そう、でしたよ。この前、姉さんと部屋にいるとき。あれって私に見られたからじゃないですよね?」
「……………………」
答えることができない。多分、誰から見てもそう見えてしまっただろう。愛歌のことが好きなのは本当でも、今の愛歌を拒絶したがっているのもまた事実なのだから。
「どうしてですか? 何で、姉さんとあんなこと」
「……ごめん、なさい。それは……言えない。でも、悪いのは、私、だから。愛歌は、悪くないの」
こんな受け答えでは佳奈の聞きたいことの半分も答えられていないということはわかっているが詳しい経緯を話すことはいくら愛歌の妹であろうと、いや妹だからこそなおさらできる話ではない。
姉の失恋、そして、今目の前にいる人間に無理やりされたなど。
「ごめんね、佳奈ちゃん。せっかくこんなところまで来てもらったのに。大したこと言えなくて」
「いえ、姉さんのことだけ聞きに来たわけじゃないですから」
「え? じゃあ……?」
他に何の用があるのだろうと、美愛が首をひねると
「美愛さん」
急に目の前にまで迫ってきた佳奈が美愛の名前を呼んだ。
(ッ!! なに、今の?)
その瞬間、闇の中に一人放り出されるかのようないいし得ない不安、……いや恐怖に襲われた。
そして……
「佳奈、ちゃ……んむ!??」
突然、唇に押し付けられた暖かい感触に美愛は目を見開いた。
暖かくて、甘くて、蕩ける感触。知っている感触。
目の前にあるのはほっそりとした睫毛、甘いココアの味。
そう、美愛は佳奈に唇を奪われていた。
「っん、はぁ」
佳奈の甘くて熱い吐息が美愛の頬に当たる。
「か、かか、佳奈、ちゃん……?」
何をされたのか理解してはいる美愛は頬を染め上げて佳奈を見つめるが、佳奈は妖しく微笑みながら。
「しちゃった……美愛さんと、キス。」
嬉しそうにそういった。
「な、なな、なに? え? な、なんで?」
何を言っていいのかわからず、また何がおきたかもわかっていない美愛は自失しながらただうろたえるだけだった。
何故いきなり、キスをされているのだろう。何故、いきなりキスをしてきたのだろう。何もわからない。
「ふふ、これが、美愛さんの味なんですね」
狼狽している美愛をよそに佳奈は舌をペロリと出して、美愛の感触を思い出すかのように唇を舐め取る。
「美愛さん。私、知ってるんですよ」
「な、にを……?」
「姉さんとどんなことしてるのか」
「え……?」
何が、言いたいの? とすら言い出せず、美愛は佳奈の雰囲気に飲みこまれ本能的に体を引いた。
「美愛さん」
しかし、佳奈は容赦なく詰め寄っていく。
「な、なに?」
「私も、美愛さんのこと好きなんです」
「は?」
「一目ぼれって、ありますよね。美愛さんのこと、好きになっちゃいました」
「な、何言ってるの佳奈ちゃん」
体中が嫌な汗をかいていることを自覚しながら美愛は必死に後ろへ下がっていくが、一人暮らしの部屋の中ではそれも限度がある。すぐに窓際に追い詰められた美愛に佳奈は迫っていく。
「私の気持ち、受け取ってください」
佳奈は目を閉じるとまた美愛の唇に迫っていった。
「ま、待って! お、落ち着いて佳奈ちゃん」
さっきは唐突すぎて、されるがままになってしまったが今度はどうにか佳奈を制した。
「だめ、ですか?」
「だ、だめもなにも……」
そういう問題ですらない気がする。しかし、佳奈は美愛に考える余裕すら与えてはくれなかった。
「なら、今日のこと姉さんに言っちゃおうかな」
「え……?」
「美愛さんの部屋で、美愛さんとキスしちゃったって」
「ま、待って! それだけは……」
もし、そんなことになったら……どうなるかわかったものじゃない。本当に、何がおきてもおかしくない。愛歌がどうなってしまうのか、どんなことされてしまうのか、いや、そんなことにでもなれば最悪、死に、かねない。……殺されかねない。
「姉さん、どうなっちゃうんでしょうね」
「か、佳奈ちゃん……」
佳奈自身ですら、何をされるのかわからないし、十年以上一緒に住んできたのだ。佳奈のほうがよくわかるだろう。
(それでも、かまわない、の?)
激情に任せた愛歌は佳奈に何するかわかったものじゃなくても、いいというのだろうか。
「だから、いいですよね」
神話にでてくる天使のような、また悪魔のようにも見える佳奈の笑顔。
(あ………)
愛歌と、同じ笑顔。
魅力的なはずなのに、どこか歪んでいて、淀んでいて、美愛を竦ませる小悪魔の顔。
姉妹、だ。
「好きです、美愛さん」
そして、その声をどこか遠くに聞きながら美愛は愛歌の妹からの二度目の口づけを受け入れてしまった。