愛歌、今から会えない?
長い夜の間に決意を固めた美愛は昼になると愛歌に短くそう伝えた。
愛歌はいつも通りに嬉しそうにうんといって美愛の部屋に向かうことを告げてきた。
愛歌に何か用事があるかどうかは関係ない。愛歌は美愛から会えないかなどと聞かれれば、何をおいても美愛のことを優先する。
それが愛歌の自然であり、なによりも不自然で、美愛が正したいと願うこと。
電話をしてそれなりに経ったからそろそろ来てもいい時間。
美愛は決して収まることのない胸の高鳴りを自らの内に押し込めながら愛歌を待った。
(……私は、愛歌が好き)
その想いを何度も自分の中で確認する。
これから確実に愛歌を苦しめることになる。それは、愛歌のために避けては通れぬ道とわかっていても、そこが茨の道であることに変わりはない。
痛むのは愛歌であり、美愛でもある。
その道を歩き出す勇気は佳奈がくれ美愛の愛歌への想いがその道を渡りきるなによりの力。
だから何度でも愛歌への想いを確認する。
愛歌のことを。愛歌に救われたことを。愛歌と培った大切な思い出たちを。愛歌と一緒に過ごした、悲しくむなしかった日々を。
そして、愛歌にもらった喜びと嬉しさ。
ピンポーン。
それがあるからどんな茨の道だとしても渡りきってみせる。
美愛は聞こえたチャイムに固く誓うと深く息を吸い込み愛歌を迎えにいった。
愛歌は美愛と会う際、いつも同じ顔をする。
それは一瞬だけで、最初は美愛も気づくことはなかった。
「美愛ちゃん」
それはおそらく愛歌自身も意識していないに違いない。
だが、確かにしている。
確かに、【ほっ】と安心した表情を見せている。会えたことに、その日、その時も何事もなく好きな人に会えたことにほっとしている。
それは今から壊す。
「嬉しいな、美愛ちゃんが呼んでくれるなんて」
部屋に入ってきた愛歌はこれから自分が何を言われるかわかるはずもなくベッドに腰をかけた。
「……うん、今日は話が、あるから」
対照的に美愛は動悸を悟られぬよう固い表情で愛歌の隣に座る。
「なぁに?」
無邪気な、そう自らに悪気のないといった子供のような瞳。
(……子供なのよね、今の愛歌は)
自らを守ることで精一杯で好きという相手のことすら考えられていない。
そんな愛歌を導いていけるのは自分だけだと、美愛は強く思う。
だから、
「……私たち、終わりにしよう」
美愛自身すら恐れている言葉をあっさりと口に出来た。
「え?」
あの時と同じように、何を言われたのか理解を出来ていない愛歌。
ただ首をかしげ、美愛から放たれる、ありえないはずの言葉を処理しようとしている。
「愛歌がそんな風になったのは私にも責任ある、わ。それに、どうしてこんな風にしちゃうのか、少しは、わか……っ!」
言葉の途中、やはりあの時と同じように愛歌は美愛をつかむとそこに信じられない力を込めてくる。
「美愛ちゃん……?」
「っ!」
(い、ったい……)
狂気を撒き散らし、苦痛を与えてくる愛歌をやはり美愛は怖いと思った。それは素直な気持ち。あの時はその恐怖に負けてしまった。
「……愛歌が、私に嫌われないようにっ……何でも、私の言うこと、聞いたり、なんっ」
「み、あちゃ、ん……?」
愛歌に捕らわれることなく言葉を続けていく美愛に愛歌は不安や絶望とはまた異なった、深い闇を感じさせる目でにらみつけてくる。
(……愛歌)
さらには自らのことを省みないほどの力を込める愛歌に美愛の言葉が何度も途切れ途切れにされる。
「か、して……っ! 仕方、ない、かもしれない、わ。嫌われたく、ないって……思うのも、しょうがない、って思う」
しかし、痛みを感じても、恐怖も感じても美愛は言葉をとめなかった。
「私は、経験ないし、愛歌の気持ちわかる、なんて、軽々しく言えない、けど」
「な、に、いってるの? 美愛ちゃん?」
美愛の話がどこに通じるのかを本能的に察したのか愛歌は美愛に終わりにしようといわれたのとは別の恐れを見せた。
「や、っぱり、こんなのは違う、違うわ。愛歌が高校のとき……いじめられての思えばそんな風にするのも仕方ない、って思う。だけど、こんな風にただ嫌われないようにするなんて間違ってる!」
「っ!!!!???」
思いもよらなかった美愛からの高校時代の闇に触れられた愛歌は目を見開き、呆然と美愛にすがる手を離した。
「あ……え……?」
おそらく自分が一番触れられたくなかったであろう過去に触れられ愛歌は知らずに涙を流し、言葉に変わりに目で訴える。
どうして美愛ちゃんがそんなこと知ってるの? と
「………………………佳奈ちゃんに、聞いたの」
美愛はためらいながらもそう口にした。
もし、ここで愛歌に自分の気持ちをわかってもらえなければ佳奈に迷惑がかかってしまう。そう躊躇はしたがここを避けては結局愛歌の救うことなどできない。
「……なんで、佳奈がでてくるの? おかしい、よね? そんなの」
「っ」
先ほどまで疑問で埋め尽くされていた愛歌の目にまた狂気が宿る。
瞳を淀ませ、全身から恐ろしい冷気を放つ。
「……隠し事はしない。……佳奈ちゃんと会ってたの、愛歌に内緒で」
「…………………」
何をされてしまうことも覚悟し告げた美愛だったが、愛歌はうつむいて黙ってしまう。
「……………………ふ、ふふ」
そして、すべてを圧するような恐ろしい笑い声を発した。
「あははははは」
(っ……)
寒い。
決してそんな気温ではないのに、はっきりとそう感じた。
愛歌の中から恐ろしく冷たい怨念のようなものが部屋中に広がり渦を巻いて美愛に襲い掛かってきた。
「そっかぁ」
キャラメルのように甘くとろけるような声。しかし、背筋を凍らせる恐ろしい声。
「あい、か?」
「佳奈が何かしたんだ」
「ちが、」
「ふふ、大丈夫だよ。佳奈にはちゃんと話しておくから。美愛ちゃんは何にも心配してくていいんだよ」
「愛歌、私の話を聞いて!」
「もぅ〜、美愛ちゃん。もう大丈夫だってば。佳奈にそんなこと言わされてるんでしょ? 佳奈には私からちゃんと言うからもうそんなこと言わなくたっていいんだよ」
(あいかっ……)
心の中で悔しそうにつぶやく。
言葉が届かない。
美愛がまっすぐな言葉を発しようと、純粋な想いを伝えようとしようとも愛歌はそれを歪めて受け取ってしまう。
「美愛ちゃん、大丈夫だよ」
「なに、が?」
「私怒ってなんかないからね、全部佳奈が悪いからだもんね」
「っ……」
美愛は苦悶の表情を浮かべる。
愛歌は自分の中の世界で物事を見ている。外から入ってくる情報はすべて愛歌の中へ入る過程で愛歌の都合のいいように変わってしまう。
「愛歌!」
美愛は湧き上がる衝動のままに愛歌を抱きしめた。
「……佳奈ちゃんは関係ないわ。私の本当の気持ちを話してるの」
「あはは、だからもうそんなこと言わなくていいってば。美愛ちゃんが、そんなこと…………終わりに、しよう…だ、なんて……言うわけないもんね」
そういう愛歌は震えていた。狂気の渦に隠されていた愛歌の本音が垣間見える。
それを見て美愛の気持ちが一変する。
先ほどまで自分の言葉なんて一切通じていないのだと思っていたが、そんなことはなかった。
愛歌はただ自分の思いたいように思おうとしているだけだ。現実が受け入れられず、また自らの世界に逃げ込もうとしているだけ。
美愛は体を離すと、正面でまっすぐに愛歌を見つめた。
「愛歌……嘘じゃないの。私たち終わりにしよう。……私、今の愛歌のこと、好きになれない」
「な、んで…どうして? うそ、だよね? ねぇ、美愛ちゃ、ん……」
「愛歌のことは好きよ。だけど、今の愛歌は違う」
「なに、いってるの……? ひくっ…わかん、ない、よ……」
目を背けることのできない現実を愛歌は声を震わせて拒絶しようとする。
「……今の愛歌は自分のことばっかりで私のことなんて何も考えてくれないじゃない……」
「そ、んなこと、ないもん……。ねぇ、私ちゃんと美愛ちゃんのこと考えてるよ? 美愛ちゃんのことばっかりいつも考えてるもん。美愛ちゃんの言うことならなんでも聞くよ!? 美愛ちゃんのためならなんでもできるよ!? なのにどうしてそんなこと言うの!??」
愛歌は必死に訴える。涙を流しながら、美愛に弱弱しくすがりつく。
「……そういう、ところが、何も考えてないのよ」
「なんで? どう、して? 私こんなに、美愛ちゃんのこと好きなのに……」
「違う。今の愛歌は私のこと本当に好きって言わない」
「なんで? 好きだよ、大好きだよ……」
「違う、愛歌の言ってるのは違うわよ」
「違く、ない、よ……大好きだよ、本当に美愛ちゃんのこと……」
「……………」
同じことしか繰り返せない愛歌を美愛はあえて表情を凍らせて見つめた。
もしかしたらこれから自分が言おうとしていることなんてただの考え方の相違なのかもしれない。愛歌にとっての愛は今の姿なのかもしれない。
そう思わなくはない。しかし、それでも美愛は自分の想いを素直に伝えなければならない。それが美愛にとっての『愛』なのだから。
「愛歌」
美愛は愛歌を見つめる。
澄んだ瞳に決意と想いを込めて、ゆがんでしまった愛歌の心の奥へと届くように。
「好きって……愛歌の言うようなことじゃないと思う。愛歌は私のこと好きっていってくれるし、何でも私のことを優先させたりしてくれる。でもそれって違うわ。私のことだけしか考えられないのなんて、恋じゃない。好きじゃないわよ」
「え……?」
「それに、学校とか佳奈ちゃんの前とか……そんな風に私の気持ちを確かめたりして、無理に私から想いを返されたってそんなのただの自己満足。私を見てくれないで、自分のことしか考えられてない。そんなのが、好きっていえる?」
「…………」
愛歌は黙ってしまう。呆然と美愛の言葉を受け止めていた。
「ただ愛歌にとって都合のいい私だけをみてるなんて、違うわよ」
愛歌は何も言い返さない。現実が受け入れられていないのか、それとも美愛の言葉に思うことがあるのかわずかに表情を暗くして美愛をつかんでいた腕を放した。
「……わからないけど、わかるつもり。仕方ないのかもしれないって思うわ! いじめ、られてたんだもの……。嫌われないようにしなくちゃって私の言うこと何でも聞こうとするのも、好きな気持ちを確かめるようなことするのも。わからないけど、わかる。でも、それは愛歌のためでしょ!? 私のためじゃない。そんなの……違うわよ」
否定する。愛歌の好きを。
そうすることが美愛の好きなのだから。
好きだからなんでも許す。何でも言うことを聞く。気に入られようとする。
それも好きであり、愛であるのだとは思う。
しかし、美愛は好きだから。こんなことをいえる。
好きだから、怒らせても、悲しませても、苦しませても……たとえ、嫌われたとしてもこれが愛歌のためだから、言える。愛歌のための言葉を。
「好きなら、好きな人に何ができるかって考えなきゃ……自分のことだけでも、相手のことだけでもなくて、好きな人のために何ができて何が出来なくて、何を一緒にしたくてどう一緒に生きたいのかって……ごめんなさい。私もうまくいえてない、けど……好きってそういうこと、だと私は思うの」
言葉はつたない。それでも想いを精一杯に込めた。
それは言霊となって愛歌にも届けられたのだと思う。
「………………………………………………………………美愛、ちゃん」
長い沈黙の後愛歌は戸惑いながら美愛を呼んだ。
「うん」
美愛は覚悟を秘めて愛歌を見つめるが、
「…………今日は、帰るね」
「……わかった」
うつむきながら言う愛歌に美愛は小さくうなづくのだった。