この前、私は彼女……高倉さ、深雪さんのことを苦手と評しましたが、以前は苦手というよりも嫌いといっていい存在でした。
彼女とは実は幼稚園のころからずっと一緒だったのですが、まともに話すようになったのは初めてクラスが一緒になった今年からです。
彼女は……色々有名な人でしたが、私はそういうところも含めて好きではありませんでした。
先ほども言ったように私は彼女のことが嫌いでしたので、それまでは彼女の【噂】は色々聞いていても、それを気に食わなく思ったりする程度でした。
当然向こうも私のことなんて知りもしなかったと思っていました。しかし、彼女は何故か、まぁ、学校自体ずっと一緒だったので何故かでもありませんが彼女は私のことを知っていたようで話しかけてくることも多かったです。
当初、私はそれを疎ましく思っていましたが……
あんなことさえなければ、多分それがずっと続いていたと思うのに。
そう、あんなことさえなければ。
それは、まだ桜の舞う四月でした。
その日は日直で、いつもよりも早く登校した私は静かな校舎の中を教室へと向かって歩いていました。
放課後の雰囲気と似た、人の気配のない朝の学校も私は気に入っていてなんとなく口元を緩めながら歩いていましたが、視界に嫌な人を発見して思わず足を止めます。
「あれは……」
スラっとした佇まい。ウェーブのかかった長い髪に、白のカチューシャ。同年代よりも少し大人びて見える彼女は
(高倉、さん……?)
廊下の窓から見える中庭にポツンと立つ彼女は私には気づいていないようで、中庭の桜から落ちたピンク色のじゅうたんの中である方向をじっと見つめています。
何故ここで私は足を止めてしまったのでしょう。
この時の私はまだ彼女が嫌いでした。気に食わない相手でした。
そもそも彼女が不真面目な人間というところが気に食わなかったです。ことさら秩序がとうというつもりはありませんが、積極的に乱す相手を好きにはなれません。
彼女に関する噂は中学が一緒の私はもちろん聞いていましたし。実際にそういうところ、……彼女が私の後輩と【仲良く】しているところを見たこともあります。
そういう噂です。そういう人らしいのです。
だから、問題になったりすることもよくあると聞いていました。
そんなわけで彼女を嫌っていた私としてはここで立ち止まる理由なんてありませんでした。
なのに立ち止まった私はそのまま彼女のことを見つめてしまいます。
「教室……?」
彼女は上を見上げているようで、その視線の先には彼女の、もといこれから私が向かう教室があるように思えました。
どうして教室なんか見てるんでしょう?
私はわけのわからぬまま、窓辺によって少しでも近い位置から彼女を見つめました。
二階のこの位置からですとなんとか彼女の表情までも見て取ることが出来ます。
そして、何故か視線を外せないまましばらく彼女を見つめていた私は
「っ!?」
ドキリ、としました。
(あ………)
彼女がこちらを見たわけではありません。
ただ、彼女は一度髪を掻き揚げたかと思うと
「高倉、さん……」
見ている相手が本当に今名前を呼んだ相手なのかと疑いなくなるほどに、憂いとせつなさを秘めた表情。
そんな寂しそうな瞳で彼女は教室を見つめていました。
(胸が……)
ドクンドクンって高鳴っています。不規則な鼓動に刺激されて体が熱くなっていきます。
(あんな顔、するんだ……)
心で呟いた私は、さっきの姿を最後にその場を去った高倉さんではなく目に焼きついた彼女を見つめていました。
普段ちゃらんぽらんと、いつも人をおちょくるような顔をしていた彼女。誰にでもにへらと笑い悩みなんて何も抱いていないかのように感じていた彼女。嫌いだったはずの彼女。
その彼女が、あんな顔をするなんて意外すぎて、完全に不意打ちで、油断しきっていて……
私は……
(私は………)
我ながら笑ってしまいます。
はっきりいって情けないとすら思ってしまいます。
あんな姿を見ただけで嫌いだったはずの彼女が、気に食わなかったはずの彼女が。
気になる、ようになってしまいました。
あの日から彼女を目で追うことが多くなってしまい、気づけば幼稚園の頃から一緒なのにまったくといっていいほど話したことのなかった彼女と普通に話しもするようになってしまいました。
その過程で、私が彼女を嫌っていた理由をこれまで以上に見たり聞いたりすることにもなりましたが、もう私はそれで彼女を嫌いになんかなれず、逆にいつもこんな風に楽しそうにしている彼女が何故あんな顔をしてたのだろうとまで考えるようになってしまっています。
……実は嫌っていた理由を目の当たりにして思うってしまうことはそれだけではないのですが……それは自分であまり認めたくないのでここでは語りません。
とにかく、私はいつのまにか彼女の友達になってしまっていて、この前のようなこともめずらしいことではなくなっています。
それは嫌なことではないのですが、やはり困らせられてしまいますし、恥ずかしかったりしますし、彼女に単純ならざる想いを抱いている身といたしましては……その、困るのです。
だから、最近では私は少し彼女と距離を置くようにしていたのですが
「さーやか!」
ガバ!
「ひゃあ!!」
考え事をしながら廊下を歩いていた私はいきなり後ろから抱きつかれ、情けない声を出してしまいました。
だ、だって、彼女が……
「んん~、相変わらずいい触感」
彼女の腕が首に巻きついてきて、それで……
「や、やめてください!!」
私は深雪さんの魔手から逃れ、あっという間に真っ赤にさせられた顔で彼女に食って掛かります。
「あぁん、いいじゃーん。ほっぺすりすりするくらい。清華のほっぺってすべすべして気持ちいいんだもん。それにいい匂いだし」
「だからって、勝手にしないでください!!」
「させて言えばさせてくれるの? なら……」
「そういう意味ではありません!!」
私はここが学校の廊下であることも、すでに回りの注目を集めてしまっていることも失念し彼女だけのことしか考えられずに大声を出してしまいました。
「怒んないでよー。このくらいいいっしょ?」
「いいわけありません!!」
「もう、つれないなー、裸見せ合った仲じゃない」
「っ!!!?? な、なななな、なな」
彼女はただふざけているだけで、全然信憑性もないというか、完全に嘘なのに、私は必要以上に顔を赤くさせ、動悸をさせ、あまりにも無神経にこんなこといって来る彼女への怒りで足が震えていたりなんかもして……
「い、いつ! わ、わたっ、わた、しが、あ、あなたと、そんなことしたというんです!!!」
階下中に響き渡りような叫びをあげてしまいました。
「え~、覚えてくれてないの? 悲しいなぁ~。あんなにいい気持ちだったのに……」
「だ、だから!! わ、私がいつ、あなたと、あなたと……………」
「あなたと……何?」
かわいらしいカチューシャをつけた髪をゆらし、彼女は前かがみになって上目遣いをしてきました。
「っーーーーー!!!!」
私はもう恥ずかしさで頭がいっぱいでした。そんな記憶はいっさいないのに、恥ずかしかったんです。
「くすくす、清華がどんなこと考えてくれてたのかは知らないけど、嘘は言ってないよ?」
こ、このごにおよんで彼女は。
さしもの私も周りの注目を集めていることに気づいています。なのに彼女はこんなことが人前でいえてしまう人間なのです。
「中学の修学旅行のとき、お風呂一緒だったよ? あの時の温泉、気持ちよかったよねー。ま、ちょっと熱かったけど」
「え………」
まずは冷や水を浴びせかけられたように心が冷えました。
それから
「で、清華は何を考えてくれたの?」
「っ~~~~~~~~!!!!!」
さきほど彼女が言った熱かった温泉よりも熱くなって私は、私は……
「あ、清華―」
……やっぱり、逃げるしかないのでした。