6、赤い糸

 

「…………」

 パタン、と琴音の日記を閉じる。

 真っ暗な部屋の中、机の上だけに電気をつけ私は読み終えた琴音の日記を見つめる。

 時間はすでに深夜となっているが、九条が帰ってから今の今まで琴音の日記を呼んでいたわけではない。

 日記が読みたいから九条に帰ってとは言ったが、九条の去った部屋で私は琴音の日記を開くことはできなかった。

 九条の想像以上の過去や、事件のこと、それを受けての九条の話。それを考えていたのも嘘ではないが、やはり琴音の日記を開くのは怖かった。まして、九条の話を受けてからではなおさら。

 結局手をつけられたのは夜になってからだった。九条にあんな話をさせておいて私が逃げることなどできるわけがないのだから。

「…………琴音」

 すでに枯れるほどに涙は流した。表紙こそなんともないが、中身は涙で滲んでしまったページがいくつもある。

「……九条」

 九条には九条の理由がある。

 だが、どんな理由であれ、人とあれほど長時間の会話をしたのは琴音以来だった。

 それだけじゃない。

 あんなに本気の想いをぶつけられたのもやはり琴音以来だ。

(…………………………)

 私はしばらく目を瞑り、心の中を九条で満たす。

 そして、目を開けると私は琴音の日記を開いて、『最期のページ』を開いた。

(ごめんっ!)

 ビリッ。

 そのページを手で切り取り、机の上に置くとペンを握り締める。

(……………)

 これから書こうとしているものなんてもしかしたら一時的なものでしかないのかもしれない。琴音の日記、九条の話、この二つによって感情が高ぶっているからこそなだけなのかもしれない。

 だが、今胸にある感情は間違いなく私から生まれたものであり、それは私の本心の一つなのだ。

 私はそれだけは真実だと信じ、琴音の日記を読んでいた時とは別の理由で涙を流しながら手紙を書き綴っていった。

 

 ◆

 

 よく晴れた空。

 この日はここ数日の曇天が嘘のような晴天だった。

 寒さはそれほど変わることはないが、やはり太陽が出ているというだけで大分異なった印象を受ける。

(……もっとも、私はこうはいかないけれど)

 一人で通学路を行く命は快晴の空を見上げながら、曇った心を嘆いていた。いや、嘆いているわけではないがとにかく心に太陽の光は指していない。

「……………」

 思ってしまうのは静希のこと。思い返してみれば、自分の都合だけの意味のわからない言葉を綴ってしまっただけのような気がしていた。

(……姉さんのみたいになって欲しくない、か)

 それは本心ではあった。本心ではあったが、結局あんなことを言っても自己満足に過ぎないのではという気持ちが命の心を曇らせていた。

 姉に自分と話したことで死を選ばせてしまったのではないかというぬぐいきれない闇が心の中にあり、静希に想いを改めさせようとしたことでそれを少しでも払拭しようとしただけではないか。

 静希の間違った想いを正すなんていうのはただの口実に過ぎなかったのではないか。

 そんな不安と自己嫌悪。

 もっとも、それで本当に静希のためになっていてくれたのならそれにこしたことはないが。

 そんな葛藤が昨日静希の家を出たときから続いていた。

 ガヤガヤ。

 学校が近づくと、周りから人のざわつきが聞こえるようになってくる。命にとっては楽しくない空間であり命は少しでもそこから早く抜け出そうと早足で過ぎていった。

 それが幸いしたのかもしれない。

 早足で学校へと向かっていた命は校門を過ぎようとしたところで人とぶつかりそうになり、はっと足を止めた。

「っ!?」

 そして、驚く。

「朝倉、さん」

 校門から出てこようとしていたのは昨日からずっと考え続けていた相手だった。

「九条……」

 命も驚いてはいたが、静希も予想だにしていなかったのか命以上に驚いていた。

(何で、学校から……?)

 この時間に生徒が学校から飛び出てくるというのは普通ありえないことだ。

 よく見てみると、静希は制服こそ着ているものの学校用の鞄を持っていなく手ぶらで、それがさらに命の疑問を膨らませる。

「……手紙」

「え?」

「机の中、手紙入れておいたから、後で読んで」

「あ、朝倉、さん?」

 静希は命を見ない。ぶつかりそうになったときに相手が命だと確認して以来一切顔を見ようとはしていなかった。

「…………それじゃ。昨日は…………ありがと」

「え、何?」

 静希が小さく述べた謝辞は命の耳にははっきりと届かず、静希はそのまま命の前を通り過ぎていった。

「あ、ちょ、ちょっと……」

 学校は? と続けようとしたが、静希は命を無視して歩いていってしまい距離が開いてしまったので口を閉ざした。

 そのまま人の流れに逆らっていく静希を目で追っていたが、静希が少し歩くふと足を止めた。

(?)

 風が吹いていたわけではない。特に大きな声を出したわけでもない。

「………………さようなら」

 だが、その言葉は朝の喧騒をぬってはっきりと命の耳に届いた。

「っ!? 朝倉さん……?」

 追いかけるべきか迷った。しかし、考えている間にも静希は歩き出してしまいすぐに命の視界から消えてしまう。

(……手紙……?)

 去ってしまった静希の言葉が浮かぶ。

「机の中って言ってたな」

 その手紙に何が記されているのかはわからない。ただ、そこには静希が伝えようとした何かがあるはず。

 命は踵を返すと教室に向かって早足で歩き始めていた。

 

 ◆

 

 ダッダッダと早足に私は学校へと向かう人の流れに逆行してそこから遠ざかっていく。

 ドクン、ドクンと心臓が大きく跳ねているが、それは早足になっているからではない。

「九条……」

 私は小さくその名を呼ぶと、さらに足を早めた。

 会うつもりなんてなかった。机の中に手紙を置いて、九条が来る前にさっさと離れるつもりだった。

 いや、あんなふうにぶつかりそうになって顔を合わせさえしなければたとえ声をかけられようとも気づかぬふりをして去ることができたはず。

(……なんてタイミングなのよ……)

 私が校門から出ようとするのも、九条が入るのも一瞬のはず。あそこで鉢合わせになるなど、一体どれだけの確率なのか。

 手紙があることを告げるのはかまわなかった。気づかないということはないだろうが、もしということもあるのだから。

 しかし、その後は余計だった。

 必要なかったはず。あれ以上の言葉なんて。会話をするつもりなんてなかったのだから。必要なことは手紙に記したのだから。

 ……昨日、九条が私との出会いを運命だなんていっていたけれど、さっきのも運命……なの、かしら。

 学校が遠くなってくるとようやく私の足はゆっくりとなっていき、学校に向かう生徒が見当たらなくなると、一度振り返って校舎の方角を見つめた。

(……もう、読んでる、かしら?)

 どう、思うだろう。

「…………………行こ」

 関係ない、はず。九条が手紙を読んで何を思うかなど。あれは、私の勝手な区切りでありけじめであり、それによって九条が何を考え、どうするかなどはもはや私には関係のないこと。

(そう、私にはそんなこと、もう……)

 私はポケットに手を入れて、肌身離さず持ち歩いているもの……琴美を引き裂こうとしたナイフの柄をぎゅっと握り締める。

「琴音……」

 誰よりも愛しかった相手の名前を呼ぶ。

 そして私はあの場所へと向かっていった。

 

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