「……あった」

 教室に着いた命は一目散に自分の机に向かうと鞄を上において机の中に手を入れた。

 まだ教科書もノートも入っていないそこに手を入れるとすぐに紙の感触が手に触れ、それを取り出した。

 それはノートの半分ほどの大きさの茶封筒で表には『九条へ』とだけ書かれ、開け口のある裏の隅に朝倉静希と書いてあった。

(あった……あった、けど……)

 静希のあの様子からしてすぐに読むべきと思いはしたが、同時に何が書かれているのか若干不安にも感じた。

 昨日は思えば勝手なことを言ってしまったという自覚があり、手紙には心地よくないことが書かれている可能性も少なくない。

 命は机に腰掛けたまましばらく手紙の裏の静希の名前を見つめていたが、ふと先ほど別れたときの静希の様子を思い出す。

 

「……さようなら」

 

 確かにそう聞こえた。

(なんで、あんなこと……?)

 もちろん、あれは別れ際だったのだから別におかしくないと言えばおかしくはないはずだがどうも気になる。

(……この手紙を見れば、わかるの?)

 何が書いてあるのかは知らないが、静希にとって大切な、あるいは伝えたいことが書いてあるはず。それも、おそらく直接会っては言いにくいことが。

「……………」

 命は一度目を閉じ、静希の去り際の背中を思い起こすと封筒を開けて手紙を取り出した。

「……ん?」

 中に入っていたのは、一枚の紙。

 それも様式を見る限り日記帳の切れ端だった。

(あれ? 字が、違う?)

 取り出したときに両面に文字が書いてあることは見えたのだが、どちらが先なのか確かめるために内容を軽く確認しようとすると、筆跡から書いた人間が違うということがわかった。

 当然、片方が静希のものだろうが……

(っ!? これって……)

 今目にしているほうの文に軽く目を通した命はこれが誰によって書かれたものなのかを察する。

(『琴音ちゃん』の日記?)

 どうやら、そうらしい。

 何故こんなものを渡してきたのかはわからないが、静希が読めといったのは自分が書いたものであるはずなので頭の中の疑問は離れないまま裏返し、静希の書いた手紙を読み始めた。

「……………………」

 日記の一ページに書かれているに過ぎない手紙は読むのにそれほど時間がかかるわけではなかったがその数分程度の間にも教室の中は人で溢れ、ざわつきを増して行く。

 読み始めた頃はその喧騒が耳に入っていた命だったが、読み進めていくにつれそれが耳に届かなくなっていく。

 ドクン、ドクン。

 かわり心臓の音が大きく聞こえてきた。

「…………っ」

 激しく動悸がしていくのを止めらないまま両面の手紙を読み終えた命はそれを握ったまま立ち上がった。

(朝倉さん!)

 そして、手紙の主の名前を心で叫んで教室の外へと飛び出していく。

(……………静希!!)

 もう一度、これから会いに行こうとする相手を心で強く叫んで命はあの場所へと向かっていった。

 

 ◆

 

(……みこ)

 理子は自分の席についたまま、命が飛び出していく様子を見つめていた。

 理子が教室に入ってきた時にはすでに命は手紙を読んでいて、何気なくそれを見ていたのだったが、気づけば命のただならぬ様子に視線をはずすことが出来なくなっていた。

 目は離せなかった。

 しかし、何も出来なかった。

(……どうせ、朝倉さんのこと、か)

 『どうせ』と考えてしまう。

 命が何かを抱えていて、それが自分には力になれないとわかっている理子にとっては仕方のないことなのかもしれないが、この『どうせ』は本心だった。

(…………何があったのかは知らないけど)

 しかし、友人になりたいと願っている理子はやはり命を気にかけてしまい、命に、命と静希に何かがあったのを感じていた。

(……頑張りなさい、みこ)

 おそらく飛び出したのは静希に会いに行ったのだろうと勘を働かせた理子はとっくに見えなくなった命の背中にそう声援を送るのだった。

 

 ◆

 

(九条さん……)

 聖美もまた、命の出て行った姿を見ていた。

(何か、読んでいたみたいだった、けど……あれって……)

 隣の席である聖美は命が何を読んでいたのか見えていた。

(琴音ちゃんの、日記、だよね……?)

 中身までは見えなかったが、ちらりと命を見た際に何の紙を読んでいたのかだけはわかった。

 何度も何度も琴音の日記を読み返していた聖美。それを見間違えるはずはない。だが、いくら琴音の日記といえども、それが全部使われていないことは知っており、琴音の日記を読んでいたのか、日記帳に記された何かを読んでいたのかまではわからなかった。

(でも……)

 昨日、命を静希の家に案内したあと二人に何があったのかはわからない。だが、少なくとも『琴音の日記』を読んでいる時点であれがおそらく静希からの手紙であることは想像に難くなかった。

(朝倉さんのこと、よろしくね。九条さん)

 琴音もそれを望んでいるような気がして聖美は命に届かぬ声援を送っていた。

 

 ◆

 

『九条。昨日はありがとう。色々思ったけど……ありがとう。琴音が……死んで、以来、あんなに人と話すなんて初めてだった。心配、してもらうのも。だから、まずはありがとう。そして、ごめん。九条が話してくれたこと、お姉さんのこと、衝撃だった。私以外にそんなことを思う人がいて……それをしちゃう人がいる、なんて考えたこともなかった。九条が私のために、つらいことを思い出しながら話してくれたって私は勝手に思ってる。だから、ごめん。私のためを想ってくれたのに、九条が辛かったってわかってるつもりなのに……九条の言ったことに頷けない。それどころか勝手なことを書く。

 お姉さんは辛かったと思う。後悔だってしたって思う。だけど、どうせ、後悔はしたのよ。想いを遂げても、遂げなくても、後悔するしかなかった。だから、して、後悔したのよ……すれば、想いを遂げれば、遂げたときの気持ちが残る。何もしなかったら、後悔だけ。他の誰が九条のお姉さんを非難しても、私は、九条にしたことはともかく……『最初のこと』を非難できない。九条は怒るだろうけど……九条の言うとおりの人なら……後悔したけど、後悔はしなかった、はず。

 ……こんなこと九条に言っても仕方ないのはわかってるわ。ただ、綴らせて。誰に理解されなくても、誰かには覚えててもらいたいから。

 私は琴音のことを好きだった。本気で愛していた。まずそこから異常だって、わかってるわ。苦しかった、辛かった。今も、かもしれないけれど、『普通じゃない』のは怖かった。いつ琴音に知れて、琴音を失うか怖くてたまらなかった。何時ごろからそう思うようになったのかはもう覚えていない。ただ、いつのまにか私は琴音を自分だけのものにしたいって強く願うようになった。それを自覚してからは琴音が私以外の誰かと一緒にいることが怖かった。今は琴音がいつでも一緒にいてくれる、けど……もし他の誰かをとか……いずれ別れが来てしまうんじゃって考えるようになってからは、止まらなくなっていた。

 私のものにしたい。他の誰にも触らせたくない、話させたくない……私を好きでいてくれる琴音を永遠にそのままにして、私だけのものにしたい。

 それだけを考えるようになって、いつしかナイフを買って……時が経つにつれてその気持ちは限界にまで膨らんでいった。

 裏の日記……この日が琴音の死んだ日。私が呼び出して、事故にあった日。どうせ日記はここで終わってたのよ。……事故に合わなくても、この日が琴音の最後の日。この日、私は琴音を呼び出してて、『私のものにしよう』と決意していた。

 琴音が死んだって聞いたとき、悲しかったわよ……? この世の終わりが来たって思うくらいに悲しかった。だけど、私の醜すぎる心はその悲しみの中で、琴音にできなかったことを……悔しがってた。

 これが、私の正体なのよ。あまりに人と違いすぎる。

 まして、九条の話を聞いたってその気持ちは変わらなかった。

 ごめんなさい……でも、ありがとう。琴音がいなくなってから、私と本気で話した人なんて誰もいなかった。九条は、向かってきてくれた。こんな私に感謝されても嬉しいわけないだろうけど、感謝してる。本当よ。

 九条は、九条のお姉さんとは違うわ。九条が私のことをお姉さんと同じに思ったのなら、私は九条は私と全然違うと思った。いいえ、わかったわ。だから、心配しないで九条は、九条のしたいように生きればいいのよ。人の輪に入って、友達を作って、好きな人を作って……普通の生活をしていい。九条がそうできなかった気持ちもわからないでもないけど、九条は大丈夫よ。

 だから、九条はお姉さんや、私の分まで幸せになって。

 ふ、ふふ……なんだか何書いてるかもうわからなくなってきた。とにかく、感謝してるわ。ありがとう。

 それと……さようなら』

 

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