それはまだ、彩音とゆめが友だちになって間もないころ。
ゆめは自分という存在を確立してからはじめてできた友だちというものに戸惑っていた。
「…………………」
授業が終わって、騒がしさが出てくる教室でゆめは自分の席から彩音のことを見つめていた。
(………彩音と、話、したい)
ゆめはこれまで休み時間に席を立つといえば、お手洗いに行くときくらいでそれ以外のほぼすべての時間は自分の席でぼーっとしながら次の授業を待つだけだった。
今も、それは変わっていないが、これまではただ漠然と時間が過ぎるのを待つだけだったのに対し、友だちの彩音の背中を凝視している。
(……授業の準備?)
彩音は机の中を何やらごそごそとして、なかなか席を立とうとしない。
(…………話しかけても、いい?)
友達づきあいがこの数年、ほとんどゼロと言っていいゆめはそれすら確信が持てず、彩音が何かをしてるのを見ているだけだった。
(……でも、話すこと、ない)
友だちと話したいと思うが、ゆめにはその内容が思いつかない。彩音が話してくれればそれにこたえることはできるが自分から話題をふれるほどではなかった。
(……それに、彩音は友だちいっぱいいるから、迷惑かもしれない)
ゆめにはこのクラスで友だちなど、彩音しかいないが彩音は誰とでも話せる。そこに自分がまざっても彩音以外とは何も話せないし、多分他の人もつまらないだけだろうとゆめは落ち込むわけでもなく、客観的に考えていた。
(……でも、私だって、彩音の……友だち)
まだまだそれを自分で思うことすらためらいがちであるが、そう思うと心が温かくなる。
(……友だち、だから話かけても、おかしくない)
それはもちろん、間違っていないし、こうして考えこむことでもないが、自分には話題がないということがゆめを落ち込ませ、いつのまにかうつむいてしまう。
(………………………友だち、だもん)
と、しばらく考え込んでいたゆめは心でそうつぶやくとともに、決意をしながら彩音の席を見つめた。
「ぁ………」
そして、心底残念そうな声を上げる。
(……………いない)
悶々と考え込んでいた間にいつのまにか彩音は席を立ってしまったらしく、視界に彩音の姿はなかった。
(……………………私のバカ)
友だちなのに話しかけることにすら躊躇して、これまでと同じ独りの時間を過ごす。
もっと早く話しかけようと決意すればよかったと思ったところで、後の祭り。
(…………ばか)
もう一度そう思って落ち込むゆめは
「ゆーめ」
背後から彩音の声を聴いて
「っ!!」
反射的に振り返った。
「わっ、っと……」
そのあまりの反応ぶりに彩音は少し驚いた様子を見せるが、特に気にする様子もなく
「ね、美咲んとこ行くんだけど一緒に行かない?」
と、ゆめが悩んでできなかった、友だちに話しかけるという行為をあっさりとやってのける。
「………うん。行く」
「そ、じゃ、いこ」
歩きだした彩音にゆめはぴったりとくっついていき、
(……嬉しい)
微笑を作るのだった。
「ゆめ、帰ろ」
ある放課後。
友だちとなってからはある程度時間はたったが、まだまだゆめは緊張の中にいた。
「……うん」
放課後になってすぐ彩音はゆめのところ来て、下校の誘いをしてくれる。
(……今日も、誘ってもらえた。嬉しい)
心ではそう思っているものの、それを表に出すことはなくゆめは前を歩く彩音の後をくっついていく。
廊下を通って、階段を下りて、下駄箱を過ぎていく。
(…………?)
そこでゆめは違和感に気づいた。
いつもなら、美咲が教室に来るまで待つか、美咲の教室まで迎えに行くか、もしくは下駄箱で待ち合わせをするかだったが、今日は美咲のことなど一言も触れず彩音は校舎の外に出てしまった。
「………?」
「ゆめ? どうしたの? いこ」
しかも、彩音は美咲のことを気にする様子もなく校舎から離れていく。
「……美咲は?」
彩音と二人きりで帰るのが初めてなわけではないが、彩音が何も告げず二人きりで帰るのは初めてなのでゆめは素直に疑問を口にする。
「…………………あぁ、今日は一人で帰るって」
「……そう」
彩音が明らかに感情を揺らしてはしたが、機微に疎いゆめはその原因には気づかず一応の答えが返ってきたことに満足して彩音についていく。
「………………?」
そのまま少し二人で歩いていくが、ゆめはここでやっと彩音の様子がおかしいのに気づいた。
(……元気ない)
いつもなら、彩音が何かしら話してきてくれる。他愛のない話でもゆめには話せるということが嬉しくて、それをいつも楽しみにしていたが、今日の彩音は歩く速度も遅いし、なにより終始無言だ。
(……落ち込んでる?)
そろそろ彩音と別れる道に差し掛かろうとしたところでゆめはそれを思う。
(……落ち込んでるなら、慰めてあげたい。……友だちだもん)
それを決意するが、
(………でも、どうすればいいかわからない)
彩音が何を落ち込んでいるのかわからないし、そもそもゆめは友だちを慰めた経験などない。
(……どうしよう)
「さて、じゃ、また明日ね」
ゆめが悶々としている間に別れ道に来てしまい、彩音は挨拶だけは元気そうに告げる。
(あ…………)
それが空元気だということくらいには気づいたゆめは、
「…………彩音」
思わず彩音の腕を掴んだ。
「へ?」
「……こっち、来る」
どうすればいいかわからない。元気づけたこともないし、なんで元気がないのかもわからない。
ただ、それでも友だちとして何かをしたかったゆめはそのまま彩音を初めて自分の家へと連れて行った。