すぐ、といったわりには意外に佳奈がくるのは時間がかかった。

 美愛は心を乱しながら佳奈の訪れを待ちつつも、頭の片隅では何を話せばいいのかを考えていた。

「……こんにちは」

 やってきた佳奈は去って行った時と同じ顔をしていた。

 戸惑いと不安を顔に宿しながら、瞳はそれに耐えられないかのように美愛と目を合わせようとはしない。

「いらっしゃい、佳奈ちゃん」

 美愛はいったい佳奈はどうしたのだろうと常に疑問に感じながらもどう切り出せばいいのかわからず、佳奈を部屋に迎え入れた。

(……佳奈ちゃん一体どうしたの?)

 美愛の目からは佳奈は迷いの中に決意をあるようにも見えた。悲壮感こそないが、その決意の中にさらに迷いを感じさせた。

 部屋に通した佳奈をテーブルの前に座らせて、美愛も隣に座る。

 話をしたいし何か話すことがあるのなら、一刻も早くそれを聞き出したいとは思ったが美愛には言葉が見つからず、また年上としての余計なプライドもあって、無理に佳奈を促そうはしなかった。

 その間佳奈は部屋中に視線を散らしながら美愛を見ることなく、自分の中で何かを葛藤をしていた。

「さて、と。何から話せばいいでしょうか」

 佳奈が部屋にやってきて十分ほど、佳奈はついに口を開いた。

 自ら話すことがあるはずなのにそれを支えるほど決意がないのか、あえて美愛から切り出させたかったのかはわからないが美愛は胸のうちにある疑問を素直に投げかけてみることにした。

「……どうして、急にもう会わないようにしようだなんていったの? それに、戻ってきてくれるなら何でさっき話をしようとしてくれなかったの」

「……美愛さんのこと、試してみました」

「え?」

「あんな話をして、ちゃんと私のこと気にしてくれるかなって」

「そう、なの……?」

「でも、当たり前ですよね。美愛さんがそういう人だから、もう会わないほうがいいかなって思ったんですし」

「え?」

 会わないようにしようといわれたこともその【試し】の一貫と思っていた美愛はその言い草に頭の中のハテナを増やす。

「うん、そうですね。今さら、かくしてもしょうがないですし、全部言っちゃおうかな」

 佳奈は何かを一つで納得すると、次の瞬間には耳を疑うような、しかしどこかではわかっていた言葉を発した。

「私、本当は美愛さんのこと好きじゃなかったんです」

 佳奈にとしては衝撃的なことを言ったつもりだったが美愛はその、【今までだましていた】ということをはっきり言われてももちろん驚きはしたが、どこか無感情にその言葉を受け入れた。

「…………そう」

「あれ? 驚きません?」

「えぇ、ううん、ちょっとびっくりしたけど……なんとなくそうじゃないかなって思ってた」

「……そうですか」

 美愛に涼しい顔をされた佳奈は特別それを気にする様子は見せなかったが、少しだけ目を細めてせつなそうに美愛を見た。

 美愛もそれには気づくが、理由もなにより今は佳奈の話を聞かなければならない気がして探りを入れたりはしなかった。

「あ、でもなんていうのかな、最初は好きっていうか、憧れてたんです。まさか、あの姉さんにこんな綺麗で優しそうな友達がいるんだって思って。それで、そのあと姉さんとあんなことしてるの見て、わけわかんなくなっちゃって、美愛さんが嫌がっているのはわかったけど……えっと、あは、なんかうまくいえないです」

「うん、佳奈ちゃんが好きなように話してくれていいから」

 確かに佳奈の言いたいことはよくわからないし、何を話そうとしているのかすら定かではないが今は何よりも佳奈の話していることに耳を傾けたかった。

「はい、それで、ですね……えっと……言っちゃい、ますね」

「うん?」

 佳奈は、戸惑っているというよりも不安にゆらぶられている様子で次の言葉をためらっていた。しかし、おそらくは美愛に会うまでの間に話すことを決意しており、佳奈は美愛を見ずに言った。

「私、姉さんのこと……嫌い、なんです」

「え……?」

 美愛はその言葉に目を丸くした。

 自分のことを好きじゃないといわれたときにはどこか予想もしており、平静を保つことが出来たが、佳奈が愛歌のことを嫌いという言葉には驚きを隠せなかった。

 一緒にいるところを見たのは初対面のときの一回だけだが、少なくてもいがみ合っているようには見えなかった。

 さらに言うのであれば、今の状況で姉のことが嫌いであるというのがどう関係しているかもわからず、とにかく頭に疑問符を増やしていく。

「それ、で……美愛さんにあんなこと、好きだなんていったり、……あんなことした、のは……美愛さんのことどっちかって言えば好きだし、綺麗って思うし、だけど……最初に思ったように、憧れたっていうのも嘘じゃないです。けど、一番は、姉さんへの、当てつけ……でした」

(あて、つけ……)

 そんな、くだらない理由であんなことを……? 

 いや、くだらないかどうかなんてわからない。もしそこまでしてでも佳奈が愛歌のことを嫌いなのだとしたら、するのかもしれない。

「最初は……楽しかった、です。姉さんに内緒で美愛さんとあってるっていう優越感もあったし、美愛さんといるのって普通に楽しかったし……」

「……じゃあ、どうして、あんなこと言ったの?」

「…………」

 胸のうちのある気持ちを吐露していた佳奈は居心地悪そうに顔を伏せた。

「愛歌のこと、嫌いであてつけがしたいのなら私との、その……関係を終わらせる必要はないんじゃない?」

「……………」

 もっともな美愛の言葉に佳奈は口を閉ざしたまま自分の中で葛藤を繰り返しているかのようだった。

「美愛さんが……優しい、から」

「え?」

「今さら、だってわかってますよ!? 私、美愛さんのこと……利用、してただけなのに、今さらいい人ぶってやめようなんて、自分勝手すぎだって」

「佳奈ちゃん……」

「でも、今さらでも、もうこれ以上はだめなんです。これ以上、ただ私のために美愛さんのこと利用するなんてできない」

「…………」

 どうすればいいのかわからなかった。いきなり頭に入ってきた情報はあまりにも美愛に衝撃的で、佳奈にどうすればいいかも、また自分がどうしたいのかもわからなかった。

 美愛の目には今の佳奈がとても小さく、心細そうにしているように見えた。

 恨み言のようなものを言いたいという気持ちがないわけではなかった。しかし、今の佳奈にそんなことを言えるような雰囲気ではない。

「ねぇ、佳奈、ちゃん」

「……はい」

「どうして愛歌のことそんなに嫌いなのか、聞いても、いい?」

 そこで美愛が聞いたのは、佳奈の動機になったことだった。

 佳奈はこぶしを握り締め、唇をかみ締めながら小さく、コクンとうなづいた。

「……姉さん、高校のころいじめられていたんです」

「…………うん」

 これも、予想していたわけじゃないけど。こんなことがあったんじゃないかくらいには思っていた。愛歌は昔、特に高校の頃のことをほとんど話さないし、なんとなくそういう空気があるとは思っていた。

「……私も姉さんと同じ高校通ってたけど、やですよね、学校って。身内がいればすぐにばれちゃうし、っていうか、なんで私まで妙な目で見られなきゃいけないのかわからなかったです。部活入っても、姉さんの妹ってだけで、嫌がらせうけて、ほんとやってられませんでした」

「……そう、なの」

「姉さんがどうしていじめられてたのかとかは知らないですけど、そんな意味わかんない理由でなんで私までって、ずっと姉さんのこと恨んでました。なんで、私が、姉さんのせいなんかでって」

 そんなこと思い出したいわけがないだろう。佳奈は体を震わせて決して美愛とは顔を合わせようとはしなかった。

「……姉さんさえ、いなければって思ったこともあったし。もう私のほうが登校拒否したくなりましたよ。でも、そんなの自分でもやだし、自分のせいじゃないことで負けたくなんかなくてがんばったけど」

「か、な、ちゃん」

美愛も佳奈ほどではないが、苦渋に満ちた顔をしていた。

 聞いたことを後悔しているわけじゃない。しかし、佳奈にこんなことを思い出させているということが美愛の心を痛めていた。

(あれ? でも……)

 美愛は今の話に少し違和感を覚えた。

 佳奈はまだ卒業はしていないはず。制服を着ているところは見ている、というよりも学校の友達がどうとかいう話も結構聞かされているのに。

 矛盾、している。いや、いじめられているからとはいえ友達がいないといことにもならないがそもそも学校でいい思いをしていないのならあんなふうに楽しげに話すとは思えない。

「……一年は我慢したけど、結局耐えられなくて。転校することになって、わざわざ遠くまで、今の学校が嫌いじゃないけど、なんで姉さんのせいでこんなことまでしなきゃいけないのか……自分はさっさと卒業して、私が苦しんでるのなんてぜんぜん気づいてないところがほんっと、嫌い、なんですよ……」

 おそらく、まともに人に話したことはなかったんだろう。

 佳奈は思いを吐き出しながら、いつのまにか涙も流していた。

 理由を知った。

 その理由があったとしても、自分にしたことを許せることじゃないと美愛は思う。理屈ではそう思った。

 だが、

「佳奈ちゃん」

 美愛は気づけば、その手に佳奈の細い体を抱きしめていた。

「美愛、さん……やめ、て、ください」

 佳奈はその抱擁を力のない声で拒絶した。

 今、そんな優しさに包まれたくなんかなかった。そのために来たのではないのに。こんなことことされたら、意味がなかった。

「佳奈ちゃん……辛かったわよね」

 だが、美愛はそんな佳奈の想いとは裏腹に慈愛を込めて佳奈を抱きしめる。

「ずっと、一人で悩んできたのよね。佳奈ちゃん、ほんとはすごく優しいもの。誰にもいえなかったんでしょ。愛歌にも、友達にも誰にもいえなくて一人で抱え込んできたんでしょ」

 そんな恨み言を、家族や当人の愛歌、転校した学校の友達になんか話せるわけがない。そんな黒い気持ちずっと小さな体に押し込んで、でもそんなのない振りをしてきっとずっと過ごしてきた。

 たった、一人で。

 自分のことを利用し、姉へのあてつけをしたかったのもきっと嘘じゃない。

(……こんなの、想像だけど)

 だけど、きっといつかそんな人に話せないって思っていたことを話したいって思っていたのだと思う。

 だから、そんな誰にも話せなかった本心を打ち明けてくれた佳奈のことを今は抱きしめてあげたかった。

「ね、泣いても、いいのよ。気が済むまで泣いたっていいんだから」

 佳奈が泣きたいと思っているかなんてわからない。でも、泣かせてあげたかった。たとえ、泣きたいと思ってなくとも美愛は自分の胸で泣かせたいと思った。

「美愛、さん……やだ……」

 佳奈は泣きたかったわけじゃなかった。

「こんな、ことのために、……きたんじゃ、ないのに……」

 ただ、自分の表層の意思とは無関係に涙が流れてきて……止まらなくなってしまった。

「うぁ……ああ、…あ…ぅあぁあああん!

 美愛の優しさに勝手に涙があふれて、いつしか佳奈は堰を切ったかのように嗚咽がこぼしていた。

「うん、いいから。泣いても、いいから」

 美愛は慈愛をもってそんな佳奈を抱きしめる。

 そして、

 

 

1、いつしか泣き止んだ佳奈に優しく口付けをした。

2、そのまま佳奈が泣き止むまで優しく包み込んだ。

 

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