今まで当たり前のようにそこにあったものが、いつの間にか手の届かない場所に行ってしまうことがある。
当たり前にそこにいて、当たり前に毎日話せて、当たり前に幸せな時間を過ごしてた。
それはずっと変わらないと思っていた。
学校に通ってる以上、卒業って別れは絶対にあるけど、そんなのはまだ遠いことだし、たとえ卒業をしたとしてもずっと一緒にいられるんじゃないかって根拠もないもないのに信じてた。
でも、【別れ】はもっと近くにあったんだ。
「あ……」
一年で一回の独特の喧騒の朝。
あたし、宮原美月は下駄箱の前に張られたクラス発表の紙を見つめながら呆然と声を上げた。
「あ…………」
隣ではあたしの親友神田琴子が同じような
「……………」
いや、あたしがあげた声よりも遥かに落胆の色を大きくした声を上げた。
「………………」
「………………」
予想もしてなかったことに頭が付いていかず、中々次の言葉が出てこない。
「美月ちゃん……」
琴子も同じかと思っていたが、琴子はすぐにあたしのセーラー服を引っ張る。ここから離れたいといわんばかりに。
「うん」
あたしは言葉にしないそれを察しつつ、琴子と一緒にあたしたちと同じようにクラス発表の紙に群がるほかの生徒を掻き分け、人気の少ない校舎裏に歩いていった。
「……………」
日のあたりは悪く朝だというのに少し薄暗くも感じる校舎裏、そこにひっそりとそびえる校木の下に行くと、ようやくお互いに口を開けた。
「クラス、違っちゃったね」
軽く校木に寄りかかったあたしは受け入れたくない現実をポツリと口にする。
「………うん」
琴子は俯いたままそれに答えてあたしの顔を見ようとはしてくれない。
もっとも、琴子が【こう】なのはいつものことだ。基本的に人とまともに話したりは得意じゃない。
さすがにあたし相手なら顔を見てくれることは多いけど、何かあればすぐこうなるし、ましてあたし以外と話すときなんてほとんど俯きっぱなしだ。
よく言えば、もの静か。
悪く言えば……暗い。
「まぁ、隣のクラスなんだし、近いじゃん」
「………うん」
「それに、授業中なんてどうせ話したりできるわけじゃないんだし休み時間とかお昼休みにあったりすれば変わんないって」
「………うん」
「休みの日とかは今まで通りなんだし」
「………うん」
よほどショックが大きいんだろう。あたしの言ってることは耳には入ってるんだろうけど、頭には入ってない感じだ。
おふざけでおっぱい触っていい? とか言ってもうんとか答えられそう。
「あ、そうだ。今日は始業式だけなんだし、どこか寄ってかない?」
もちろん、あたしだってショックを受けてないわけじゃない。あたしだって、一番の親友と言えば琴子であるし、さっき自分では休み時間とかは前と一緒だなんて言っていたが、学校生活で大半を占めるのはクラスの活動なのだ。授業はもちろん、文化祭や運動会、宿泊学習のような行事もクラスの垣根を越えてするのは容易なことではない。
これから一年そういったことで琴子と一緒になれないショックは大きい。
だが、それでも今は琴子を慰めてやらねば。
「………うん。あ……」
あたしは琴子の頭に手を伸ばすと軽く頭を撫でてあげた。
あたしより少し小さな琴子の髪はふわふわで撫でていてこちらが幸せになってしまいそうな感触。
「……………」
よく琴子がテンパったときなんかはこうしてあげることが多い。最初こうするようになったきっかけは覚えていないが、琴子曰く「美月ちゃんに頭撫でてもらうと落ちつくの」だそうだ。
「美月ちゃん。ありがと、もう、大丈夫、だよ」
「……そか」
やっと琴子は顔を上げあたしのことを見つめてくれた。さっきまでは泣きそうだったくせに今は少し嬉しそうになっているんだから現金なものだ。
「ま、クラスが違っちゃったけど。関係が変わるわけじゃないんだし、今まで通りいつだってあたしに頼ってくれていいんだよ。呼んでくれればいつでも即参上ってね」
「うん、ありがとう美月ちゃん」
あたしはあくまで琴子のため、琴子の望むことを言ってあげていた。
これから先、このことがあたしと琴子どちらに重くのしかかっているかも知らずに。
神田琴子。
この春あたしと同じ二年生に上がり、朝のことの通りクラスは別になった。
小さく整った顔とふわふわな髪が特徴で、身長は平均よりちょっと低いくらいだけど、あの性格もあってそれよりも小さく見える。お世辞にも積極的とは言えず、自分から人に話しかけることはめったにない。もちろん、友達も多くはなく、その友達ともあたしが間にいるから話せているに過ぎなかっただろうし、その数少ない友達も実はクラスが違ってしまった。
たぶん、琴子はこれから孤独に過ごすことになるだろう。去年、あたしと知り合うまでそうだったように。
親友というが琴子と知り合ったのは実は去年だ。たまたま夏休み明けの席替えで席が隣になり、あたしが消しゴムを忘れたときに貸してもらったことがきっかけで話すようになった。
何が気に入ったのかは知らないけど、琴子を見ていると妙に保護欲を書き立てられたというか、ほっとけなくて何かと世話を焼いていたらいつのまにか仲良くなってしまったというわけだ。
最初はあたし相手でも顔を見れずに話すことも多かったが、それもその段々改善されていって、今ではあたし相手であればある程度自己主張もできるようにもなった。
朝のクラス初めてのHRから、始業式、帰りのHRとなってあたしは琴子のことを考えながら過ごしていた。
見てはいないけど、琴子がこの半日どう過ごしたかは想像が付く。
朝、まだ先生が来るまでの時間では新鮮さ溢れる空気の中、早くもグループのようなものが作られるのを自分の席で遠めに見つつ、元気なく俯いていたんだろう。
始業式にすれ違ったときには不安そうにあたしを見つめていたし、放課後になったら早めに迎えに行ってあげたほうがいいかもしれない。
どうせ放課後はこれから毎日顔を突き合わせることになるくせに、ぐだぐだと残って話たりこの後の予定を話したりするのだろうから。
そして、琴子はその輪に入っていくことはできない。ほとんど見知らぬ相手に自分から話していけるような人間ではないのだから。
(……そういう意味じゃ、なんで最初あたしに話してきたのかしらね?)
困っていたのは事実だけれど、まだ友達というか知り合いですらなかったあの時に琴子から話しかけられようとは、今考えれば考えられない。
(……そんなに困ってるように見えたってこと、かな……?)
「はい、じゃあ、今日はここまでです」
「ん……」
ぼーっと琴子のことを考えていたあたしは担任教師がそういったところに目ざとく反応し顔を上げた。
(さて、いくか)
配られたプリントやら資料やらを手早くまとめたあたしはかばんを持って教室を出て行こうとする。
「あ、宮原さん」
と、その直前でクラスメイトからおよびがかかる。
「今日これから、遊びに行こうって話があるんだけど一緒に行かない?」
「あー……今日は先約があるんだ」
「あ、そうなんだ」
「うん、ごめん。また誘ってね」
「うん。それじゃ、また明日」
「じゃねー」
と、軽くあしらってあたしは、こんな会話が琴子の側でもされてるんだろうなと心配になりながら琴子の元へ急ぐのだった。
「で、どう? 琴子、新しいクラスは」
琴子を向かえにいったあたしはそのまま琴子を連れてあたしの家に誘っていた。一緒にお昼を食べ、その後はあたしの部屋で去年はよく過ごしていた時間を過ごす。
どこかのお店に入ってもよかったけど、どうせ同じ事を考えてる輩はおおいだろうし、琴子がそういう場をあんまり得意じゃないこともあって、今日はあたしの部屋だ。
「あ、うん……」
琴子は出してあげた座布団の上にご丁寧にも正座をして歯切れ悪く答える。
「まぁ、半日でどうってこともないか」
あたしは机の前のイスに座りながら、おそらく琴子が今日誰とも話すことができなかったのを察する。
「……うん」
「ま、初日だし、これから、これから」
「うん……」
あからさまに元気がない。
(琴子ってこう見えて寂しがりやだしなぁ)
仲良くなってからは大体琴子とは一緒だった。というよりも、何をするにも琴子が付いてくることが多かった。
友達と話していても、何かとあたしの顔色を窺うし、遊びとかに誘われても、まずあたしの動向を探ってから、美月ちゃんが行くなら行く。というほどだ。
そのくらいべったりな一年、というか半年だった。
だから、クラスが異なってしまい心細いのはわかるつもりだ。
「美月ちゃんは、どう、だった?」
さて、どうやって元気付けてやろうかなと考えていたあたしに琴子はやっと顔を上げてあたしを見てきた。
「あたし?」
「……お友達、できた?」
「いや、別に。っていうか、半日でそうそうできるもんじゃないって」
「そう、だよね」
少しほっとしたような様子を見せる琴子。もし、新しい友達でも出来たら自分が捨てられるともでも考えてるんだろうか。
(そんなことありえるわけないってのに)
寂しがり屋な上に心配性なんだから。
半年以上も付き合ってて、まだまだこういうところにはなれないななんて思いながらその後も今日のことや、他愛のない雑談などを話して過ごしていく。
そこまで話が弾むというほどではないのに一緒にいるのは楽しく感じるんだからあたしと琴子は合ってるんだろうね。
「あ、でもさ。ちょっと厳しいこと言うかもしんないけど、一人くらいは話せる人間作っておいた方がいいんじゃない?」
そんな中あたしは、軽い気持ちというかそれほど本気じゃない、どちらかといえば琴子の世話役としての言葉を発する。
「そりゃ、なにかあったらいつでも相談に乗るし、出来る限りはするけどさ。やっぱ、いつでもってわけじゃないし、クラスが違っちゃうとわかんないってこともあるからさ」
こうはいうものの、本気でそうしろといっているわけではない。本当に流れから出た軽い気持ちだった。
「う、うん。美月ちゃんがそういう、なら、頑張って、みるね」
でも、後にあたしはこんなことをいったのを後悔することになる。