「行かないで……」
あたしは琴子を後ろから抱きしめていた。小さな琴子にすがりつくように。
「み、美月ちゃん……?」
「やだ……やだよ。あの二人のところなんか、行かないで。私のところにいてよ」
「ど、どうした、の?」
琴子は訳が分からないといった声を出して、おずおずとあたしが抱きしめてる手に触れた。
それを受けてあたしは一層琴子を抱きしめる手に力を込めた。
「……もう、やだの。あの二人と一緒に、いる琴子を見るなんて、もうやだ」
こんなこと言うつもりも、言えるつもりもなかった。でも、中途半端すぎる告白をしようとしたこと。それになにより、由香ちゃんに呼ばれて琴子があたしの前から去って行こうとするのが耐えられなかった。
「あたしと一緒にいて。ずっと……一緒にいてよ。あたし、琴子の一番じゃなくなるなんて絶対やだ」
「み、美月、ちゃんは私の一番のお友達、だよ?」
予想通りの答え。あたしが欲しいのはそんなものじゃない。
「違う。違うの。そういうことじゃない」
「ち、違くないよ。私は美月ちゃんのこと……」
「違う!」
あぁ、何してるんだろあたし。こんなことしたら、嫌われちゃう。友達ですらいられなくなっちゃう。
頭ではそう考えているはずなのに、あたしは琴子を離すとすばやく体を入れ替えて琴子の背中を校木押し付け、
「みつき、ちゃ………!!!???」
混乱するだけの琴子の口をふさいでいた。
「ふっ……んむ」
あたしの唇で。
「ん、ぁ……」
手首を取られ木に押し付けられる琴子は驚いているのか抵抗を見せずあたしのキスを受け入れている。
(琴子……琴子と、キス、してる)
想像でさえほとんどできなかったこと。
(夢、みたい………)
柔らかな唇。わずかに感じる鼓動。大好きな琴子のぬくもり。
琴子と一つにつながる感触。
全部が、夢みたいで……涙が出てきた。
これは、夢じゃなくて紛れもない現実だから。
それを胸の痛みが教えてくれるから。
「……は、ぁ……」
「……ふぁ……?」
キスを終えて、唇を離すと呆けている琴子の顔が滲んだ視界にうつった。
(や、っちゃった………)
キスをしている時からそれをわかってたあたしは、すでに諦めたように心でつぶやく。
寂しかった。寂しくて、寂しくてたまらなかった。琴子が一緒にいてくれないことが寂しかった。どこにも行ってほしくなくて、ずっとあたしのそばにいてほしくて。でも、そんなこと言える勇気はなくて。けど、今あの二人のところに行かせたらもう琴子が戻ってきてくれないような気がして……
(だからって、こんな!!)
無理やり、なんて。
「ひっぐ……」
「っ!!!??」
そのしゃくりあげる声に体中を震わせた。
泣かせた。泣かせた。……泣かせた!!
大好きな琴子を、世界で一番大切な琴子を。あたしの一方的な想いのせいで。初めてまで奪って。
「ひぐ……ひう……ぅっく」
琴子はとめどなく涙を溢れさせ、それを必死にぬぐおうとしている。
それがあたしにはキスされたことを消そうとしているようにも見えて、一層心が痛んだ。
(琴子………)
取り返しのつかないことをしたのだと改めては悟る。
(終わった………)
もう、琴子の一番どころか、友だちの資格すら失った。一番の親友としてならまだまだ一緒にいられたかもしれないのに、今のキスでこれまでの時間とこれからの時間。
その両方を消し飛ばした。
その事実にあたしは
「ごめん、……ひっぐ、ごめんね、琴子……ごめんね」
泣き出してしまった。
そんな資格あたしにはないのに。それでも、後悔があまりに大きすぎて泣くしかなかった。謝っても、懺悔しても、取り返しはつかないのにそれでもあたしは謝るしかできない。
「ごめんね……ごめん……ごめんなさい、ごめんなさい」
許してもらえるはずなんてない。それだけのことはしたのだから。でも、謝るしかできない。
許してほしい。友達ですらなくなるなんて、絶対に嫌。
そんな自分勝手すぎることしか考えられないあたしの耳に入ってきたのは琴子のあまりに予想外の言葉だった。
「ひぅ……ち、がう、よ……ひっく、美月、ちゃん」
「ふぇ……?」
「わたし……うれしい、の……すごく、すごく嬉しくて……」
(何? 何言ってるの?)
琴子が言っていることがまるで理解できない。
(嬉しい? そう言った、の?)
ううん、そんなわけない。だってあたしは琴子に無理やり……キスをしたん、だから。
そうよ。ただの友だちに、無理やりキスをされて嬉しいわけ、
「っ!!??」
目を見開いて驚く。
「美月ちゃん……」
琴子の小さな体があたしの体を抱きしめていたから。背中に手を回されてぎゅっと、力強く抱きしめられてる。
「私ね……ずっとこんな日が来たらいいなって思ってたの」
「…………?」
抱きしめられているのがわかってもまだ琴子の言葉を理解できないあたしは琴子の体を抱き返すことすらできないで、体だけを縛られる。
「……私、ずっと美月ちゃんが好きだったんだよ」
(え…………?)
「うそ………」
そのなによりも欲しかった言葉にあたしは、あまりに現実感を失ってそんな乾いた声だけを返した。
心の中では何かが激しく燃えているのを感じながら。
「嘘じゃないよ……ひく……。私、ずっと美月ちゃん好きで。でも、言えなくて。言ったら、もうお友達じゃなくなっちゃうって思ってて、すごく怖かったの」
胸が、胸が熱い。
言葉だけで理解のできてなかった琴子の言葉があたしの中で形を作っていく。
「でも、好きなのは止められなくて。寝る前、なんか、いっつも美月ちゃんのことばっかり考えてたんだよ? もっと一緒にいたいなとか、手、繋ぎたいなとか、キス、したいなとか。いつも、いつもそんなことばっかり考えてたの」
(…………嘘)
声にできなかったこの【嘘】は声にしたさっきとは全然別の意味を持っている。きっと今声にしたら震える。
期待と歓喜に。
「だから、一緒のクラスになれなかったときはすごく悲しかったし、美月ちゃんに他にもお友達を作れって言われたのだって、寂しかったの。私、他のお友達なんていらないって思ってた。美月ちゃんだけがいればいいって。でも、美月ちゃんに心配かけるのも嫌だったから、頑張ったんだよ?」
じゃあ、あたしがあんなこと言ったから琴子は友だちを作ったの? あたしのせいで琴子が離れて……?
ううん、違う。そのおかげであたしは琴子を好きなことに気づけて。
「なのに、美月ちゃん……冷たくなっちゃったし、どうすればいいのかわかんなくなっちゃってた。……でも、違ったんだよね」
抱き着いたまま琴子はあたしの顔を上目使いに見てきた。
あたしが友だちを作れなんていったから、琴子はあたししかいらなかったのに頑張って、由香ちゃんと理沙ちゃんという友だちを作って。……あたしから離れて行った。
でも、それはあたしの思い違いで。
琴子の心はあたしのそばにあった。あたしが気づいてなかっただけで、
「美月ちゃんも私のこと……」
琴子の気持ちはずっとあたしを向いててくれたんだ。
「待って」
あたしは琴子の唇に人差し指を当てて、言葉を遮らせた。
「……あたしからちゃんと言わせて。ずっと待たせちゃってたみたいだから」
そのまま空いている手で琴子をぐっと引き寄せ、今度はあたしの方から抱きしめた。
小っちゃいけど、確かなぬくもりを感じさせる琴子の体。
(もう、離さない)
「大好き。琴子。友だちじゃなくて、もっと、もっと大好き。世界で一番大好き。誰にも渡さない、ううん誰にも話させたくないくらい琴子が大好き。ずっと一緒にいたいの、私と手、繋いでて欲しい。いつでも、どこでも……ずっと、ずっと」
考えられてたわけじゃなくて、浮かんでくる言葉を少し早口に言葉にしていった。
「……うん、うん! 私も……私もだよ。美月ちゃん。私も美月ちゃんと一緒がいい。ずっと、ずっと一緒にいたい。私も美月ちゃんが大好きだもん。美月ちゃんが私を好きっていうのと同じくらい大好きだもん」
「琴子………」
嬉しい。こんなに嬉しいことがあるんだって疑いたくなるくらいに嬉しい。こんなこと夢ですら想像してなかった。琴子と両想いになれるなんて考えてすらいなかった。……考えるのだっていけない気がしていた。
でも……でも!
「美月ちゃん……」
琴子は少し体を離すとあたしを歓喜の涙を浮かべた瞳で見つめてくる。
「……琴子」
あたしも同じ瞳で答えて。
「……んっ」
今度はお互いが近づくキスを交わした。
(……琴子、琴子………琴子……)
世界で一番暖かくて幸せなぬくもりを感じながらあたしは琴子のことを走馬灯のように思い出す。
初めて話した時のこと。琴子って呼べた時のこと。美月ちゃんと呼ばれた時のこと。二人で初めて遊びに行ったこと。初めて琴子がうちに来たこと、琴子の家へ行ったこと。別のクラスになったときのこと、友だちを作って琴子が遠くに行ってしまったと思い込んだこと。
そして、今、この時。
琴子と心を通じ合わせキスをしている、今。
「………………」
ただ唇を触れ合わせるだけのキスを終えたあたしたちはお互いを見つめあい、抱きしめあう。
すれ違った時間を埋めるように。これから重なる時間を確かめ合うように。
あたしたちはいつまでも抱きしめあった。