世界中が眠りについたような静かな夜。

 感じるのは目の前から聞こえる穏やかな寝息と、鼻腔をくすぐる甘い香りと、大好きな人の体温。

 それと

 ドクンドクンと大きく響く私の心臓の鼓動。

 私を知っている人が見たら驚くだろうなってくらいに顔を染めている。

 まともな状態じゃない。

 でも、だってしょうがないじゃない。

 今私は! 深夜の部屋の中で。ふかふかのベッドの上で。

「……んぅ……ローラ……ん」

 大好きな人に抱き着かれながら横になっているんだから!

「ん……っく」

 ゆめから漂う少女の香りに私は生唾を飲み込む。

 半身になった私の目の前に迫るゆめの顔。胸元はゆめの可愛らしい手が私のパジャマをつかんでいる。

 あまりにも無防備な寝姿。

「は…ぁ……」

 私は熱のこもった吐息を吐きながら理性が衰えていくのを感じる。

 無意識にゆめを求めようとする衝動を抑えながら私はなぜこんなことになったのかを思い出していた。

 

 

 ゆめと私が付き合いだしてからしばらくたった頃。

 この日はオフの日前ということもあって、小春が気を利かせてある提案をしてきた。

 それはゆめと小春の部屋に泊まりに来てはどうかっていうこと。

 小春は「今日はあこちゃんの部屋に泊めてもらうね」なんていなくなって、正直気を利かせすぎだと思ったけど、好意はありがたく受け取ってゆめと夜のおしゃべりをしながら楽しい時間を過ごした。

 そこまではよかったの。

 日付が変わる頃、そろそろ寝ようかとゆめと話して私は当然小春のベッドを借りようと思っていたのにゆめは

「せっかくだからローラと一緒に寝たいな」

 なんて言ってくれて、私は内心それだけで心臓が飛び出るかと思った。

 だって、私達は仮にも付き合ってる。

 そりゃあキスだってまだだけど、それでも立派に恋人同士。

 一緒のベッドで寝ようなんて言われたら気にしちゃうじゃない。

 お風呂でちゃんと体を洗ったかなとか、下着可愛いのにしておけばよかったとかそんな考えすぎなことまで考えてしまいながらゆめのベッドで並んで横になった。

 ベッドの中で明日の予定なんかを話し合って、私はゆめがどういうつもりかってドキドキしながら時間を過ごしていたのだけれど

「……んぅ……くぅ……くぅ」

 ゆめはあっさりと寝入ってしまった。

「はぁ……」

 そんなゆめを見て私は大きくため息をつく。

「慌ててた私がばかみたいじゃん」

 なんて文句を言いながら私は仰向けだった体を半身にすると無防備な寝顔を見せるゆめを見つめる。

「まぁ、ゆめらしいといえばらしいけど」

 毒気を抜かれたような気分で私はゆめに手を伸ばすと頬を軽くつねった。

 つやつやとして瑞々しいゆめのほっぺ。

 ムニムニと形が変わるのが面白くて、緊張させてくれた腹いせもかねてしばらくもてあそんでいると

「ん、ぅ……ロー、ラ」

「っ!」

 名前を呼ばれて思わず手を離した。

「……ん……う……くぅ」

 でも、どうやら寝言だったようで起こしてしまったということもなくすぐに寝息を立てる。

「はぁ……私も寝よう」

 ゆめが寝ているのにあまり悪戯をするのも悪いと思って、私は体を仰向けに戻そうとすると

「ぁ…ん……ん」

「っ」

 ゆめが私の胸元に手を伸ばしてぎゅっとパジャマを握る。

 しかもそのまま顔を私の肩口に寄せてきた。

「えっ! ちょ、ゆめ!?」

 寝ているって分かっているのに私は思わずそんな風に声をかける。

「すぅ……くぅ」

 でもやっぱり返ってくるのは穏やかな寝息で、私は突然縮まった距離に頬を染める。

 寝息だけじゃなくてゆめの香りすら漂ってくる距離に耐えかねて咄嗟に離れようとするものの、ゆめは思いのほかパジャマを強く握ってて少し体を引いたくらいじゃ離してはくれない。

「ちょ、ちょっと……」

 その近すぎる距離に私はベッドに入ったときのような胸の高鳴りを再燃させる。

 暗闇の中にうっすらと浮かぶ恋人の顔。

 大きな瞳は今は閉じられて、必然視線が頬や唇に移る。

 感触を知っている頬と、感触は知らないけれど少し小ぶりなでも心地よさそうな唇。

「んぅ……ローラ……ん」

 甘い少女の香りに刺激されながら名前を呼ばれると心の高まりを感じてしまう。

「ん……っく」

 喉が渇いていくような感覚に唾を飲み込む。

「………………」

 あまりに無防備な姿に、理性が削られていく。

「っ……」

 喉が、乾く。

 ベッドに入ったときよりも心臓がバクバクと大きな音を立てている。

 だって、だって。こんなに近くに、しかもベッドの上で寝顔を見せるゆめがいるなんて!

 これで意識しないっていう方が無理に決まってるじゃない。

 わずかな意志と勇気で、私たちの間にある距離を縮めることができる。

 そんな風に考えると余計にゆめから目が離せなくなって、体が熱くなっていく。

(ゆめの顔、ゆめの頬……ゆめの……唇。ゆめの、体)

 私の理性を刺激するゆめの全てが目の前にあって、私は体を襲う衝動と飢餓感に耐えていた。

 もし今が片思いの状態だったら、私の中にある気持ちは許されることじゃない。

 でも、私達は付き合っている。

(……恋人らしいことはできてないけれど)

 思えば付き合い始めてからも私たちの距離は変わってない気がする。友達の延長でしかない私達の距離。

(その距離を縮める絶好の機会なんじゃないの?)

 そんな考えが頭をよぎるけど

「って、駄目に決まってるって。ゆめは寝てるっていうのに」

 あえて声に出してそれを自分に言い聞かせる。

 寝ている恋人に何かをしようとするなんてまともな考えじゃない。

 私はその考えに至ると、名残惜しさを感じながらもパジャマを掴むゆめの手を外そうとして添えた。

(ゆめの手……柔らかい)

 何度も繋いだことがあるはずなのに、こうしてベッドの上でっていう状況がそうさせるのか、その女の子を感じさせる手の感触と安心させてくれる熱に私の手は吸い付くようにゆめの手から離れなくなっていた。

(もっとこうしてたいかも……)

 そんな考えすら浮かぶ私を

「っ!!?」

 さらなる衝撃が襲う。

(え? え? ちょ、っと)

 今度は驚きすぎて声にならない。

 ゆめの足が私の足に絡んできたんだから。

「ん……んん」

 私の片足を挟むようにゆめは自分の足を差し込んできて、まるでコアラが木に抱き着くみたいにしっかりと密着される。

「っ〜〜〜」

(あし……脚が……ゆめの、脚が私の脚に……)

「んん……」

 ふくらはぎを挟まれ、足首をゆめの足が撫でるとゾクっとした感覚に私は声を上げる。

 くすぐったいような気持ちいいような不思議な気持ち。

 ゆめの脚は運動をやってたせいか引き締まっているのにこうして肌が合わせると少女だと思い知らされるすべすべとした触感がある。

(なんか……なんか、もう……)

 掛け布団があるから見えはしないのに、脚を絡ませている光景が頭に浮かんじゃって私の理性は薄れていく。

 絡まる脚と脚。布越しじゃない直に感じるゆめの、熱……

 さっきパジャマを捕まれていた時なんかとは比べ物にならないほどの誘惑に私は限界を迎えそうだ。

「う……わ」

 理由の明確じゃない後ろめたい気持ちに下げていた視線を上げると、その先にゆめの顔を見てしまって私の知らない熱を燃え上がらせる。

「ん……く」

 飢えた感覚が強烈に私を襲う。もう何度目かわからないほどに唾を飲み込むけれど、あまり乾きすぎてそれすらおぼつかない。

 ドキドキしてる。ドキドキなんて言葉が表現できないくらいに心臓が大きな音を立ててる。ゆめが起きてたら聞こえちゃうんじゃないかって思うくらいに。

「はぁ……あ……」

 無意識に熱っぽい息が漏れてゆめの髪を揺らした。

(体が、熱い)

 自分の体なのに自分の体じゃないみたいな感覚。

 それでもどうにか落ち着こうとするのに

「……んーん、ん……ん」

「っ」

 パジャマをつかむ手や、絡めた足はそのままにゆめは体制を変えると顔をこちらへと上向かせた。

 それはまるで私に唇を差し出しているようにも思えて

「ぁ…………………」

 もう息すらままならないほどに私は動揺してしまう。

「………いい、のかな」

 ポツリと、そんな言葉が心の隙間から漏れた。

 理性はいけないって声を上げている。でも、目の前に迫るゆめの姿が、パジャマをつかむ手が、絡まる足がその声をかき消して代わりにゆめを求める本能が大きな音を立てていた。

(キスを、する……くらい)

 くらいなんて言葉じゃ言いたくはないけれど、もうそんな思いをとめられない。

 だって、私たちは付き合っているんだし。

 絶対にダメということではない……わよね?

 そもそもこんな無防備な姿を見せられて、しかもこんなにも肌を密着させてなんていたら我慢しろっていう方に無理がある。

 いけないことだっていうのはわかっている。でも……

 体が勝手にゆめを求めて、手がゆめの頬に添えられていた。

(ゆめの……唇)

 小さいけれど可愛らしいその唇もまた私を受け入れてくれているようにも見える。

 月並みだけど、まるで蝶や蜂が蜜に吸い寄せられるように自然に私の唇はゆめを求めて近づいていって

「ん………ローラ………好き」

「っ!!?」

 囁かれるように響いたその声に我に返った。

(な、なにやってんの!? 私は)

 ゆめは私を好きだって言ってくれているのに、私を信じてこうして一緒に寝ているのに、何自分の身勝手な感情でゆめを求めようとしてたのよ。

 だいたい初めてのキスをこんな形でするなんて絶対間違ってる。

(……危なかった)

 さっきまでの私はどうかしてた。キスはこんな簡単にしていいものじゃない。もっとちゃんと、お互いの気持ちを確認してそれで……それから……

 具体的な想像にはならなかったけれど、少なくてもゆめの意志を無視したままキスをするなんていうことは許されないとどうにか思いなおせた私。

(ゆめの為にも抑えなきゃ)

 それを強く決意した私。

 でも、ゆめはその後も手も足を離してくれることはなく、時折もぞもぞと足を動かされてそのたびに自分を失いそうになりながら私は生殺しのような長い長い夜を過ごすのだった。

 

 

 翌日。

(全然眠れなかった………)

 どうにか理性を保ちながらいつの間にか意識はなくなっていたけれど、眠れたっていう自覚はほとんどないまま食堂で朝食を取っている。

「ゆめちゃん、調子よさそうだね」

 ご飯は戻ってきた小春と一緒でゆめは小春と楽しくおしゃべりをしているようだけど、耳には入るものの話に加わる気は起きなくて二人のやりとりを見守っている。

「うん、昨日ローラと一緒だったからぐっすり眠れちゃった」

 無邪気にそう言ってくれるゆめ。

(人の気も知らないで)

 少し苦々しくすら思う。とはいえ、その理由を説明するわけにはいかないけれど。

「そうなんだ。あ、じゃあ今日も私はいない方がいいかな」

「そんなに気を使ってくれなくても大丈夫だよ。でも、また後でお願いしようかな。ローラと一緒に寝るの楽しかったし。ね、ローラ」

 何が楽しかったのかは知らないけれど

「……私はしばらく遠慮しとく」

 昨日みたいな夜を過ごすなんて心が持たない。

 憔悴した顔で私はそれを伝える。

 冷静になると私の方が身勝手なことを言ってるようにも見えたかもしれないけれど

「なーんだ」

 ゆめは残念そうに言ってから私の耳元に顔を寄せてきた。

 そして

 

「今度こそローラがキスしてくれるかなって思ったのに」

 

 妖艶に囁かれたその言葉に私は

「…………………………え?」

 呆けてゆめの顔を見返すしかできなかった。

二夜目

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