「はぁ、んっ……くちゅ……」

 冬の寒さの厳しい大学の講堂。その入り口付近で一組の女性が口付けを交わしている。

「ん、く…、あむ…ちゅぱ」

 授業の時間ではないのか講堂の中には二人以外誰もおらず、夕暮れの迫る薄暗い講堂の中お互いを強く抱きしめあいながらの熱烈なキス。

「はあ、あ…愛歌…、うむっ、ん、っく……ちゅぷ」

「んはあ、あ、美愛、ちゃん……あむ、ちゅく、れろ」

 大学の中だというのに美愛と愛歌は当たり前のように激しくキスを交わす。

「はあ、はぁ、は、あ……ふぁ、ん……ちゅ、ちゅ、あむ、ふふ、ふふふ、美愛ちゃん……」

 時には、美愛の中で、

「ちゅく、ちゅぶ、クちゅ…はぁ、うむ、はああ、あい、か…」

 時には、愛歌の中で、

『あむ、チュ、ぷ、クチュ、ちゅぷ、ちゅる……』

 時には、外で舌を絡ませあう。

 呼吸をすることすらもどかし気な二人の愛の行為。熱く、長く、執拗なキス。

(頭が、ぼーっとしてくる)

 もう数え切れないほどのキスをしているはずなのに、いつまでたってもなれることはなく美愛はキスをすると酩酊感のようなものに襲われる。

 本来学業をする場で、こんなことをしているという背徳感がそうさせるのか、誘うのは大抵愛歌からなのに、いざ始まってしまうとやめられなくなっている自分がいる。

「あい、か……あむ、ちゅる…ちゅうぅ、ふあ、あむ」

 愛歌の中に舌を突き入れ、愛歌のなかをねぶり、時には吸い、その赤い舌に自らの絡ませていく。

(はぁ、……愛歌)

 熱く、ざらついた舌、やわらかく弾力のある口内。

そこに舌を這わせていると愛歌を感じられまた愛歌に感じてもらっているという自覚が、美愛に充足感をもたらしていく。

(…………………………愛歌)

 それと同時に心のどこかで悲しみを感じる。

 愛歌との関係が始まって数ヶ月、愛歌との関係に変わりはない。底なし沼にはまるかのように引き込まれ、美愛はもがくことすらできず深みに落ちていく。

 そして、その沼は別の沼につながっていた。

 

 

「………っはぁ」

 美愛は大学からの帰宅途中最寄り駅に降りたところで軽くため息をついた。

 愛歌が美愛の部屋を訪れる頻度は関係が始まった頃からすれば増えたが、それでも毎日ということはなく今日は一人だった。

 もはや美愛にとって一人の時間は貴重だった。

 しかし……

 ブブブブブ。

「っ!!?

 美愛は鞄に入っていた携帯電話が振動しているのに気づくと大きく肩を震わせた。

 嫌な予感を感じながらも、恐る恐る携帯電話を取り出し着信相手の表示されている画面を見る。

 織崎 佳奈。

 予想をしていながらもその名前を確認すると美愛は、また沼に引きずりこまれる自分を感じた。

「はい」

「あ、美愛さん。今、大丈夫ですか?」

 聞こえてくる、明るい声。天真爛漫さのなかにゆがみを持つ、美愛を縛るもう一つの縄。もう一つの…………愛しい声。

「えぇ」

もうなにを言われるかは大体想像がつく。

「……うん…、えぇ、うん。私のほうは、大丈夫よ」

「そうですか、姉さんも今日は大丈夫みたいですし、今から行ってもいいですか? 今日はどうしても会いたいんです」

 佳奈との関係が始まった当初なら、戸惑いを見せていただろう。しかし、佳奈との関係もすでに一ヶ月近く、

「えぇ、待ってるわ」

 美愛は少なくても表面上は笑顔で、楽しみにしているような声で佳奈に即答をした。

「はい、じゃあ。今から行きますね」

「えぇ」

 電話は向こうから切れて、美愛は携帯電話をしまうと複雑な表情で歩き出した。

 二つの沼に引き込まれ、溺れている自分。

 そんな自分をどう思っているのか、自分でもわからなかった。

 

 

ピンポーン。

 電話から約一時間、部屋の中を落ち着かない心地で過ごしていた美愛の元に、一応待ち望んでいたといってもいい音が響いてきた。

 佳奈のことを待っていたのかはわからない。だが、ぐるぐると頭を悩ませて佳奈のことを考えているよりも実際に佳奈と会っているほうが気は楽だった。

 美愛はインターホンについているカメラでチャイムの相手が佳奈だというのを確認するとすぐに玄関によっていきチェーンと鍵をはずしてドアを開けた。

「こんにちは、美愛さん」

 佳奈はそれを嬉々とした表情で迎える。

「いらっしゃい、佳奈ちゃん。中、はいって」

「はい」

冷えている玄関先で、長時間はなすことはせずあまり飾り気のないコートに身を包んだ佳奈を美愛は部屋へと招き入れた。

 佳奈も黙ってそれについていく。

「佳奈ちゃん、それは?」

 生活スペースに来ると美愛は佳奈がいつも持っているバッグとは別に、持っていた包みについての疑問を投げかける。

 佳奈はコートを脱ぐと、いつかのようにテーブルの前に腰を下ろして、その包みをテーブルの上におく。

「ケーキです。ここに来る前に買ってきました」

「そう……」

 美愛も佳奈のそばに腰を下ろすと、ケーキの包みと佳奈を見て困惑したような表情を見せた。

 美愛には佳奈がなにを考えているのかわからなかった。

 佳奈がこうして美愛の部屋を訪れるのはめずらしいことではない。というよりも、愛歌がこないときに二回に一回はこうして美愛の部屋を訪れている。

 そこですることは愛歌と大差はない。ただ、佳奈は愛歌と違いあらゆることで美愛のことを考え、気を使うことが多かった。

 ケーキは初めてだが、何か持ってきてくれることはそれなりにある。また、二人で出かけることも何度かあったがそういうときでも佳奈は愛歌と違い、美愛のことを考えていた。

 この感じ方が正しいのかはわからないが、美愛に好かれるよう振舞っているようにも見える。

「美愛さん、今日何の日かわかります?」

「え?」

 佳奈のことに思いをはせていた美愛は急な問いかけに首をかしげた。

「えっと、佳奈、ちゃんの誕生日、とか?」

 ケーキと何の日? という問いかけを結びつけるのはそのくらいしか考え付かない。誕生日は教えてあるが季節すら違うし、ケーキを食べるようなイベントのある日でもないのだから。

「違います。今日で、一ヶ月なんですよ」

「一ヶ月……?」

「美愛さんとはじめてのキス、してから」

「っ。そ、そう、だった、わね」

 佳奈は多少なりともこちらのことを考えてくれている。そう感じてはいても、こんな風に愛歌と同じゆがみのようなものをあふれさせてくる。

「あ、じゃあ、ちょっとまっててお茶入れるから」

 それに心はひるみを見せるが、体裁は保てるようになってしまった。

 お茶と食器を用意している間は軽い小話をする程度、愛歌は基本的に想いを確かめさせるような話題をしてくることが多いが佳奈とは単なる雑談になることも多く、そういう意味では愛歌にばれたらどうしようと、心配する以外では佳奈といるときはどこか安心できた。

 お茶の用意が終わり、ケーキを食べ始めても話す内容に特に変わりはなかった。

 ただ、そんな風にまるで友達か、【普通の恋人】のように振舞う佳奈に逆に困惑を感じている美愛はあまり食も進まず、気づくとおいしそうにショートケーキをほおばるを見つめていた。

(なにを、考えているの?)

 佳奈のことを考えるとき、疑問はそこに集約する。

 正直いって、美愛には佳奈がなにを考えているのかわからなかった。美愛の前で見せる佳奈の姿のほとんどは普通だった。普段から狂気を見せている愛歌とは違う。最初の日のことを思えば、そうなってしまってもよさそうなものなのに。

 それを見せるのは……ある一定のとき。

「美愛さん? どうしたんですか?」

「え? なにが?」

「いえ、さっきからあんまりケーキ食べてないから。甘いもの、だめですか?」

「そ、そんなことないわ」

 その言葉に嘘はないがそれよりも今は別のことに思考を奪われていてそれどころではなかった。

「ふーん、そうだ。ところで、今日はどれくらい姉さんとしました?」

「っ!?

 唐突な話題。それに美愛は体を震わせる。

 そう、合図のようなもの。普段、おとなしいといっていい佳奈が見せる狂気の片鱗。

「…………キスは、三回」

 そうなってしまうと後の美愛は、普段の関係とは立場が逆転する。年上ということもあり、普段話していたり何かをするときは美愛がリードというか余裕を持って接することができるが、狂気の後は魔法にでもかかってしまったかのように佳奈に逆らえなくなっていた。

「そうですか」

 愛歌と美愛の関係を知っている、むしろ利用している佳奈は好きと伝えている相手が別の人間とキスしていたということには別段怒りを見せることもない。

 変わりに。

「じゃあ、私は、もっとしてもらうかな?」

 嗜虐的ともいえる表情であっさりと言ってのけた。

 

中編

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