佳奈と過ごす時間はそういうことをしている時間を除けば、美愛にとって楽しいといってもいい時間だった。音楽やテレビなどのことで話があうのは愛歌にはあまりなかったことだし、大学ではサークルなどには入っていないから年の離れた人間と話すということも新鮮でおもしろかった。

 なによりも、普段では【好きになったときの愛歌】に通じるところが多く、それが美愛の心をひきつけていた。純真で、子供のように無邪気なところもあって、楽しいこと、嬉しいことにキラキラと目を輝かせるところなんかするときの狂気があるのを知っていても、純粋に可愛い、守ってあげたいという気持ちにすらさせてしまう。

 佳奈の中に愛歌の幻影を見てしまっている。おそらくそれは事実だろう。

 だから、佳奈と一緒にいる自分を否定できないのだ。

 普段の佳奈と狂気の佳奈。

(どっちが、本当の佳奈ちゃんなの?)

 愛歌のように変わってしまったのではなく、佳奈の場合はどちらかが偽者な気がする。演技のような気がする。

 しかし一方で、どちらも演技ではないような気もする。

 キスだけならまだしも、あそこまでのことを演技でするなんて考えられない。そして、普段の佳奈にも演技ではない純心なものがある気がする。なにより、少なからず心をときめかせてしまっているのに演技だとは思いたくなかった。

 だが、どちらも本当の佳奈であるのならその本心がまるで見えない。

 好きといわれている。

 関係の始まった当初は愛歌と同じように歪んだ気持ちを向けてきているのだと思った。しかし、一緒にいる時間が多くなるにつれ歪んでいるのは愛歌の話しになるときと【するとき】くらいであるように感じてきた。

 普段では愛歌と違い、美愛のことを考えてくれ、迷惑がかからないような心配りもしてくれる。自分のためもあるのだろうが、愛歌に関係がばれることのないような配慮もしてくれていると思う。

 だからこそ混乱する。なにを考えているのかわからなくなってくる。

 しかし考えてたところで答えがでるはずもない。だけど、考えないでいることもできない。

 最近では愛歌とのことをどうすればいいのかと悩むよりも佳奈のことを考えることが多くなってしまった。それは、一人でいるときはもちろん佳奈といるときには行動の一つ一つが気になるし、愛歌といるときですら気づくと考えてしまっているときがあった。

 それは危険なことだと頭ではわかっていたはずだったが頭でわかっていることを完璧にこなせるのなら誰も苦労はしない。

 だからこそ、美愛は今頭を悩ませていた。

 

 

 美愛は最寄り駅近くの喫茶店の隅の席に一人で座りながら頭を痛ませていた。もちろん、物理的にでなく悩みによって。

 明るく雰囲気のいい店内。お昼のピークをすぎたいわゆるアイドルタイムで人はまばらだ。ここのコーヒーは気にいっていてそれなりの頻度で美愛はここを訪れる。また駅のそばということもあって、待ち合わせには便利でそういう目的でも使うことがあった。

 そして、今もそのためにここにいる。

(…………佳奈ちゃん)

 待ち合わせをしているのは佳奈。誘ったのも佳奈。しかし、部屋ではなくここにしようと提案したのは美愛だった。

 もしかして、という程度の可能性だったが部屋で会いたくない理由があった。

 それは……

(大丈夫、よね……)

 万一にも愛歌に会いたくなかったから。佳奈と会うときは大抵佳奈が愛歌の様子を確認してくるし、こちらとしても愛歌と会ったその日だったりして、できるだけ会わないように気を使っている。

 だが、今日はもしかして佳奈の後をつけてくるのでは……? という懸念があった。まったく疑いのない状態ならともかく、今はその理由が多少ではあってもあった。今の愛歌ならそこに疑いが生じれば突き止めようとしてきておかしくはない。

 というのは、この前愛歌とあったときに、思わず佳奈のことを聞いてしまったから。愛歌の前でほかの、しかも隠れて関係のある佳奈の名前を出すことの危険性はわかっているつもりだったが、あまりに佳奈がなにを考えているかわからなく少しでも愛歌からヒントがほしかった。

 だから、つい口が滑ってしまった。

 しかも、名前を出しただけならまだよかったのだろうが口にした後で、まずいと思ってしまい、フォローのつもりでやっぱりいいと動揺しながらいってしまったのは明らかにまずかった。

 これが大学の人間だったら完全にアウトだっただろうが、佳奈は愛歌の妹ということ、また愛歌からしたら佳奈とはほとんど面識がない存在と思われているはずだから平気とは思う。しかし確証はない。

 もし、部屋で佳奈と会っていてそればばれてしまったら……と考えこの喫茶店にした。佳奈が完全に愛歌につけられていたりしたらあまり意味はないかもしれないが、それでも部屋で密会しているのがばれるよりはましだ。

(佳奈ちゃん……大丈夫かな?)

 また、そもそもすでに佳奈が何かされている可能性もある。大学の人間ですら二人きりであっているだけで【敵】とみなすのだ。何か勘ぐられているのなら、肉親だろうと容赦しないかもしれない。

 もちろん、意識しすぎとは思っている。

 いくら愛歌とはいえ確証のないまま妹なにかひどいことをするとは思えない。しかし、それでも愛歌には不安を思ってしまう。

(もし、何かされていたら……)

 自分のせい、と考えてしまう。

脅しているのは佳奈だが、今回のことが理由ならやはり美愛は自分のせいと考えている。脅されていることを除けば佳奈といる時間は嫌いではないし、佳奈が傷つくところは見たくなかった。

 美愛はコーヒーに口をつけると腕時計で時間を確認する。時間を考えればそろそろ来ていいはずだ。

 九割ただの杞憂と考えならそれでも不安な顔で入り口を見ているとちょうど目的の人物が見えた。

 久しぶりにみる制服姿を確認してひとまず安心する。

 店内を見回す佳奈に向けて軽く手を上げると佳奈は笑顔で近づいてきた。

(そうよね、あのくらいで佳奈ちゃんのこと疑うわけ……っ)

 元気そうな佳奈をみて安心した美愛だったが佳奈が近づいてくるにつれ佳奈のある場所に目を奪われた。

 佳奈の左手首そこに、包帯が巻かれていた。

 それを見て美愛の胸の中に不安が膨らんでいく。

(まさか……)

「お待たせしましたー」

 特にそのことを気にする様子もなく佳奈は美愛の対面に座った。

「か、佳奈ちゃん、その手どうしたの? 大丈夫!?

 挨拶すら忘れてしまい美愛はそれを聞かざるをえなかった。

 取り乱したというほどではないが、普通に怪我を心配している以上には誰の目にも映っただろう。

 そこには心の底から心配する気持ちが表れており、佳奈にもそれは伝わる。

「え? あ、たいしたことじゃないですよ」

「そ、そうなの?」

 もしかして、愛歌に何かされたのではと考えていた美愛はあっさりとそう述べる佳奈をどこか気の抜けたように見つめた。

「今日学校でひねっちゃっただけです」

「ほ、ほんとう?」

「あはは、嘘ついてどうするんですかぁ」

「そ、そうよね」

 ケロッしている佳奈とは対照的に、それでも美愛は佳奈の怪我している手を深憂を含んだ瞳で見つめていた。

 怪我の理由を偽る必要はない。それが普通だ。しかしそれも通常なら。通常でない可能性を美愛は知っている。だから、佳奈を見つめる目に不安と心配が宿ってもおかしくはない。

「そんなに気になります?」

 しかし、佳奈からすればそれはただ自分のことを心配してくれていると思うことしかできない。

「そ、そりゃあ……当たり前じゃない。心配よ」

 もちろん、美愛に佳奈を心配している気持ちはある。だが、その心配の大半はもしかして愛歌になにかされたんじゃ? 愛歌が何か気づいてしまったんじゃ? というものだった。

「そうですか……」

 そんなこととは露とも知らずに、佳奈は美愛を嬉しそうに見返して

「嬉しいです」

 と、たまに佳奈が見せる年相応の純粋な少女のような顔をした。

(……嘘、ついてない)

 美愛はそれを確信する。嘘をついている人間がこんな表情をできるわけがない。

 もし、これが愛歌にされたのなら、佳奈との関係を気づかれてしまったと考えてよかっただろうが、どうやらその心配はないらしい。

「でも、本当に体育でひねっちゃっただけですから、大丈夫ですよ」

「そう、よかった」

 そして、この美愛の言葉も心から安心したような、本当に心配していなければ出せない声と表情だった。

 美愛が愛歌の前で佳奈の名前を出してしまったことを知らない佳奈は、それが自分のことを心から心配してくれたと勘違いしてもおかしくないほどの力が今の美愛にはあった。

 こんな些細なことではあったが、佳奈の心に今の美愛との関係にはない何かを受け付けるには十分な出来事だった。

 

 

「ただいまー」

 佳奈は玄関を開けると誰にいうわけでもなくそういうとそのまま自分の部屋に向かうため階段を上っていった。

「佳奈、おかえり」

 途中、らせん状になっている階段の真ん中あたりで姉に、愛歌に出くわした。愛歌は佳奈に対し別段、含んだ目をすることなくただ妹を迎えた。

「……ただいま」

 逆に佳奈は一瞬、冷たい目で愛歌を見返すと、すぐに階段を上がって廊下を行くと自分の部屋に戻っていく。

「ふふ、何も知らないんだから……」

 部屋に入った佳奈はなんともいえない優越感に浸りながら唇の端を吊り上げた。

 何も疑っていない。今目の前にいた相手が誰と会ってきたのか、何をしてきてか、何も知らないで妹を迎えた。

「ふふふ」

 愉悦がこみ上げてくる。

 あの姉に対する優越感。美愛とキスするときとはまた別種の甘美な感覚が湧き上がる。

 いい気分、もし美愛との関係が知れたときにはどんな顔をするだろう。あれだけ、依存して好きあっていると思っている相手が妹に浮気をしているという事実。もうこれは消せないのだ。

 早く言ってみたいという気持ちは少なからずある。

(……まだ、まだ)

 だが、まだ早い。期間は長いほうがいい。それだけ、姉の傷は深くなる。

 どんな顔をするだろう。何を思うだろう。

「ふふ」

 佳奈はゆっくりと自分の机に向かって歩いていくとまた、怪しげな笑みを浮かべる。

楽しみだ。

 今のままでもいいが、できるなら美愛に自分のことを好きになってもらうのがいい。それのほうがはるかにいい気分だろう。

 もっともそれは、佳奈だけでどうにかできることじゃない。最適ではあるが、今のままでも悪くはない。

(大切なのは、美愛さんと私に関係があることなんだから)

「っ!

 佳奈は普段の調子で椅子に座るとその反動で怪我をした手に若干の痛みが走る。

「…………」

 佳奈はそれで我に帰り、その手をじっと見つめる。

 

 その手どうしたの? 大丈夫?

 

「あんなに、心配してくれるなんて……」

 正直思っていなかった。変な人。普通嫌いなってもおかしくないのに。脅されているくせにその人の心配をするなんて。そりゃ、包帯巻いてれば多少心配するかもしれないだろうけど。

 

 そう、よかった

 

 まだ耳に残っているあの声と表情。

 あれは、表面だけ心配している人にはできない。心からそう思っていなければできない力を持っていた。

(心配してた……)

 こんな一方的で、相手の尊厳なんて無視して脅しているはずの相手を。

 もちろん、好きになってもらえるのならそれに越したことはない。あの心配はそれが身になり始めているということかもしれない。しかし、あんな顔をされてしまえばさすがに良心が痛んでしまう。

「…………」

 佳奈は今日の美愛を思い出しながら、部屋に入ってきたときとはまるで違う表情で美愛のことを想うのだった。

 

2/五話

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