少し肌寒さを感じさせる風が体に打ち付けます。

 陽が落ちるのが早くなったこの季節では放課後になるともう夕暮れが迫ってきてしまいます。

 夕陽に照らされる校舎というのも悪くはないのですが。

「あ……」

 下校のため自転車置き場に向かおうとしていた私は、中庭を通っていたのですがそこで視界の隅に嫌なものを見つけました。

 嫌な、もの。……うん、嫌なものです。

「深雪、さん……」

 中庭の隅、丁度校舎の壁に隠れてここを通らなければ気づかないような場所。そこに私は深雪さんの姿を見ました。

 ただし、一人ではありません。

深雪さんと一緒にいたのは、髪を二つ結わえた小柄な女の子でした。見覚えはないので、おそらく一年生かと思います。

「……………」

 胸がきゅうと締め付けられるような感覚を覚えます。

 彼女をこんな風に人気のないところで見かける時は決まって

「……かわいいよ……ちゃん」

「……嬉しいです」

 風に乗って囁くような声が私にも届いてきます。

 そして、深雪さんは女の子の頬に手を伸ばすと慈しむように一撫でしてから顔を自分のほうへと向けさせます。

(っ……)

 私は胸のざわめきを鎮めるかのように制服をくしゃっと握り締めます。

 こんなところ見ていてはいけないのに、目が離せず、足は動きません。ただ、別世界のように思えるその光景を私は複雑な気持ちを持って見つめました。

「せんぱい……」

 まだ風に乗って聞こえる、女の子の甘い声。

 すべてがスローモーションのように感じる世界で、女の子は目を閉じ、深雪さんは体を女の子へと寄せていきます。

(あ、だめ。……こんなの、ダメ、なのに)

 こんなところ見てて良いはずがありません。いえ、悪いのはそもそも学校でこんなことをする彼女たちのほうですけど、でも、こんな覗き見、なんて……

 そんなこと考えている間にも二人の距離はどんどん縮まっていって

 ドクンドクンドクン。

 心臓が、心臓が……

 もう口付けを交わすその瞬間、

「っ!!

 ぎゅっと目を閉じた私はやっとその場から逃げていけるのでした。

 

 

「はぁはぁはぁ」

 回れ右をして全速力で走ってきた私は中庭を抜けると、校舎の壁に寄りかかって必死に肺に空気を取り込んで体の火照りを鎮めようとします。

「っは、ぁ……はぁ」

 今、体を熱くしているのは走ったからだと言い聞かせ、息を整えていく私は空を見上げそんな気もないのにさっきのことを思い返してしまいます。

 彼女がああいったことをするところを見るのは、初めてではありません。もう何度も見ています。

 学校でも、中学のときにはそれ以外の場所でも。

 しかし、最後まで見れた事は一度もありません。必ず今みたいに逃げてしまいます。だけど、彼女の姿を確認したときにはすぐに逃げることは出来ずその寸前まで固まってしまう。

 見たくない、見てはいけないと思っているのに、どうしてもそうしてしまうのです。

「……私、なにしてるんでしょう」

 ようやく息も整ってきた私は夕焼けに染まる空を見上げながらそのまま誰に聞かれることもなく消えていく言葉を吐き出します。

 消えていくはずだった、言葉を。

「何が?」

「っ!!!??

 急に聞こえてきた声に視線を戻した私は驚愕してしまいます。

「どーかしたの? 清華」

 だ、だっていつの間にか目の前には深雪さん、が。

「な、何でもありません!!

「わっと、な、何で怒ってんの?」

 聞かれてまずいことは言ったわけではありませんが、さっきのことのせいで思わず荒い言い方となってしまいました。

(さっきの、こと……)

 自分でぶり返してしまった私は改めて深雪さんを見つめます。

「ん?」

 今は、一人でいるようです。あの場ですぐ別れたということなのでしょうか?

「どーしたの清華、まじまじと見つめちゃって」

「べ、別に見つめてなどいません!!

 まったく、彼女はさっきあんなことをしていたというのにまるで変わった様子がありません。見られていたとは知らないのでしょうから、それは当たり前なのかもしれませんが。

(でも、あんなことしておいて……)

 あんな……

 視線が、自然と深雪さんのある部分に集中してしまいます。

「ん?」

 ふっくらとしたピンク色の唇。

「どうしたん?」

 凝視してしまっていた私はこうしてその唇が少し動くだけでも、その動きにすら釘付けになってしまいました。

「もう清華ってば〜、さすがにそんなに見られると恥ずかしいよ?」

「だ、だから見てなどいません!!

「いや、見てたでしょ。明らかに」

「う……」

 完全に凝視してしまっていたという自覚のある私は反論できずに詰まってしまいます。

「た、ただご機嫌だなと思っただけです」

「ご機嫌って……たまに清華って変なこといって来るね。っていうか、別にそうでもないけど」

「……そうなん、ですか?」

 あんなことを、キスをしておいて、ご機嫌じゃないっていうんですか。そんな程度の気持ちでキスしたっていうんですか。

「あー、でもご機嫌はご機嫌かも」

 そうはっきり言われるのは言われるで面白くないと感じていた私ですが、

「だって、清華に会えたんだし」

「っ!! な、何言ってるんですか!! 茶化さないでください。大体毎日というより今日も一日中一緒だったじゃないですか」

「いや、こーやってさ、偶然会えたりすると嬉しいもんじゃん。なんていうか運命感じちゃうって感じ?」

 ふわふわとつかみどころのない感じに彼女はにやにやと笑みを浮かべます。今の言葉が本心なのかどうか、私にはわかるすべはなくいつものように困惑するだけです。

「ねね、せっかくだし一緒に帰えんない?」

「帰るって、深雪さん、手ぶらじゃないですか」

「え? あぁ、そういや、教室に置きっぱなしだったっけ。あーあ、残念。チャンスだと思ったのになぁ」

「何がチャンスなんですか」

「このまま寄り道デートとしゃれ込みたかったんだけど」

「興味ありません」

「う……相変わらずつれないねぇ。ま、いいや。楽しみは取っといたほうがいいもんね。そんじゃ、また明日」

「はい。また明日」

 簡素な挨拶を交わして彼女は私の前から去っていきました。

 ビュウウ

 彼女を見送っていた私にまた冷たい風が吹き付けます。少し熱くなっていた体にはそれが心地よく、私はそうして風を感じていましたが少しすると思い出したかのように元の目的地だった自転車置き場へと歩を進めていきました。

 無言で歩いていた私ですが、すぐに先ほどの現場へとついてしまいます。

「……キス、してたんですよね?」

 最後まで見たわけではないですけど、あそこまでいっておいてしていないなんてことはありえないはずです。

 なのに、彼女はそんな素振りは一切見せずいつもと全然変わっていませんでした。

(……………)

 勝手に頭に浮かんできてしまう光景を振り払うかのように私は何度か頭を振って、でもまたその場所を見つめてしまいます。

「キス……」

 そして、今度は指を唇に当てると深雪さんの唇を思い出してしまいました。

 瑞々しい果実のような唇。

「……そんなに、いいものでしょうか」

 独白した言葉は今度こそ誰にも聞かれることなく空へと吸い込まれるのでした。

 

 

一話/2

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