いけないこんな事しちゃ……
わかってる……
わかってるのに……
でも……
もう、抑えられない……
この、気持ちを……
クリーム色のドアを開けて、部屋の中へと入っていく。中は青い絨毯が敷き詰められており、学校の中では最大級の大きさを誇る部屋にいくつもの本棚と、普通の教室では見ることのない長机が多数置いてある。
その中を静かに歩いてカウンターへと向かった。
図書室に本を借りに来たわけじゃなく、図書委員として放課後の仕事に来ただけだ。本来、今日は当番の日ではなかったが、当番の人が休んでしまい臨時で任されていた。
カウンターのイスに座って、図書室の中を見渡す。本棚があるのですべてが見えるわけではないが、大体の場所は一望できる。
人はそれなりにはいるけど、放課後にわざわざ図書室で本を読んでいる人は多くない。
大抵の人は各々の場所に席を取り、黙って勉強をしている。この学校には自習室もあるが、そこがいっぱいだったり、図書室の雰囲気のほうが好きとかで、ここに来て自習をする人は結構いる。
それでも、さすがに放課後になってすぐは本の返却、借りに来る人もいる。けど、それも終わってしまえば、あとは閉館の時間になるまで暇なだけ。本を読んだり勉強をしたりしてもいいが、あいにく今読みたい本はないし、勉強なんてわざわざしたくなんてない。それに、一応係で来ている以上は、仕事のほうに集中しておかなければいけない気もする。
わたしは軽くため息をついてから南の窓をみた。外は昼から降り続く雪が絶え間なく落ちてきている。この分じゃ、帰りにはかなり積もっているかもしれない。
わたしは帰りのことを不安に思いつつもカウンターに座ったまま時間が過ぎるのを待つのだった。
いつかからだっただろう、こんなことを思うようになったのは。
始めにそれを自覚したときには、漫画や小説の読みすぎだなくらいにしか思わなかった。だって、こんなこと思うなんてあまりにも馬鹿げたことだから。
でも、芽生え始めた感情は日に日に大きくなっていった。
会うたびに、声を聞くたびに、触れるたびに。
膨らみすぎたこの感情は今にも胸の内から溢れてしまいそうで、恐ろしく……そして、待ち遠しかった……
そんなことを思ってしまう自分が信じられない。
この想いが成就する、そんなこときっとあってはいけないのに……
五時五十分。
六時に閉まる図書室はこの時間にもなるとほとんど誰もいなくなる。わたしは、カウンターを離れ窓の戸締りをしていた。冬でしかも雪が降っているため空いてる窓なんてほとんどないが、鍵がかかっているかはちゃんとチェックする。
三分の二ほどまわったところで窓から外を見てみた。東を向いているこの窓は校舎とは反対で校庭が見える。校庭は一面、すっかり白に覆われ、空からは数時間前と変わることなく雪が降り続いている。
それにしても。
(……寒い……)
図書室内は暖房が利いているとはいえ、窓の側ともなると寒い。
わたしは手袋を取ろうとスカートのポケットに手を伸ばそうとして、やめた。
そうだった。手袋を持つのはやめていたんだった。
あれを手に入れた日から、直に触れる感触が欲しくて。
わたしは手袋の代わりにポケットに入れているものに布の上から触れた。
数週間前に通販で買った物、こんなものを学校に持ってきてるなんて知れたら、没収どころじゃすまないだろう。だから、学校にいるとき、外出するときには必ず持ち歩いていた。
これに触れると、どうしようもなく考えてしまうことがある。想像の中で、夢の中で幾度も思ったこと。思うたびに頭から打ち消した。しかし、打ち消しても、打ち消しても決して消えることなく頭の中に浮かんでくる。
当たり前かもしれない……わたしはそれを望んでいるのだから。それも心の底から。
「あ、いたいた」
戸締りの確認を終え、入り口近くのカウンターに戻ると、わたしを迎える人物がいた。小柄な体でスクールバッグを持ち、わたしを見ると嬉しそうな顔を見せる。
鼓動が、高鳴る。
「……琴美」
そこにいたのは、親友の宮澤 琴美。
わたしの……想いの相手。
「よかった。カウンターにいなかったから、もう帰っちゃったのかと思った」
琴美はそういうと安心したように笑う。
「戸締りしてただけよ。先に帰るなんて、そんなことするわけないでしょ?」
「そうだね」
わたしは動悸を抑えながら、平然と、いつもどおりの態度で琴美の横を通り過ぎ、カウンターにおいてある荷物を取ろうとした。
そこであることに気づき、図書室の中を見回す。
「……? 理絵は? 先にいってるの?」
「え? あ、うん」
わたしは「そう」と頷いてバックを取った。
理絵もわたしの、わたしたちの親友の名前。
わたしと琴美と理絵、クラスは三人とも別々だけど、登校も、お昼も、下校も、学校ではいつも一緒だった。三人のうち誰かが欠けるなんてこの学校に入ってからほとんどない。
今のわたしにはそのことがありがたくもあり、うらめしくもある。理絵さえいなかったら……そんなことも何度も考えた。
琴美も理絵も、今日の放課後は何の用事がなく、普通に考えれば先に帰ってるものかもしれないけど、誰かが委員会の仕事や他の事で授業終わりに一緒に帰れないときには、自習室で勉強したり、教室に残って談笑をしたり、図書室で本を読んだりして待つのがなんとなく暗黙の了解みたいになっていた。
今日はわたしが図書室にいるから、二人は自習室で勉強をしていたはず。三人揃うと仕事にならないから。
「えと、先に帰った」
その言葉に耳を疑う。
「え…………?」
思わず、手にしたバックを落としそうになった。
(帰った……?)
体の中で何かが疼きだす。
「そ、そうなの? どうして?」
わたしは今度こそちゃんとバックを持ち、琴美に向き直る。問い掛けに疼きをだしはしなかったが、声がうわずってしまった。
「なんか、自習室いたらメールがきて、そのあとすぐ用事ができたとかいって帰っちゃった」
「そ、そうなの? なにかあったのかしら?」
理絵が……いない……
「うん、あわててたしそうかも」
ということは……
「ちょっと心配ね」
今日は二人……
「そうだね、夜になったら連絡してみよっか?」
わたしと琴美だけ……
「うん……そうしよ……」
二人っきり……
わたしは左手をポケットに手を入れた。今度は直に触れる。
「ねぇ、琴美……」
わたしは琴美に近づいていき、右手を琴美へと伸ばそうとした瞬間、
キーンコーン、カーンコーン。
六時を告げるチャイムがなった。それにビクついて琴美へと伸ばしかけた手を引っ込める。
「あ、ほらチャイムなった。もう終わりでしょ? 早く帰ろ」
「うん…………」
チャイムに水を差されてしまった。
いや、どうせこんなこと図書室で、学校の中で、できるはずない。
わたしは司書教諭の先生に挨拶をして琴美と一緒に図書室をあとにするのだった。
この想いがかなうこと、そんなことあってはいけない。
本気でそう思っている。
それどころか、こんな想いを抱くこと、それ自体が罪であるような気さえする。
でも……
わたしはどうしようもなくそれを求めている。求めてしまっている。
我慢することには疲れてしまった。
こんなにも求めているならしてしまえばいい。
気持ちを吐き出し、想いのままに琴美にしてしまえばいいのだ。
そう、想いのままに……
「うわ、寒いねー」
上履きから靴に履き替え、下駄箱から外へでると開口一番に琴美が言った。わたしも琴美に少し遅れて外にでる。
「そうね……」
当たり障りのない返答をして琴美より先に歩き出した。
待ってよ、とすぐに琴美が追いかけてきて並んで歩く。
校門を抜け、いつもの帰り道を二人で歩く。いつもの道、道路も脇にある家々も、所々にある木々も雪化粧してはいるが、やはり見慣れている道。違うのは、理絵がいないことだけ。
「ねね、今日なにかおもしろいことあった?」
人懐っこい笑顔を浮かべて子猫がじゃれるように体を寄せてくる。
「……別に」
「そ、私はさ……」
琴美は今日学校であったことを脚色も交えながら楽しそうに話す。
「……そうなんだ」
対するわたしは適当にあいづちを打つくらいで自分から話題を振ったりはしない。
思考は別のことに奪われ琴美の話に気を回すことなんてできない。
「ちょっと……ちゃんと聞いてる?」
「……あ、ごめん。……何?」
「……もうっ!」
琴美は不機嫌そうにそっぽを向いた。
もちろん、本気で怒ったりしてるわけじゃない。一種の友情表現みたいなものだ。
琴美の様子は三人でいる時と少しも変わりはない。
一方わたしは、口数は少なくなり琴美の顔もまともに見ることをすらできないまま帰路を行く。
左手はポケットに入れたままあれに触れている。
気づけば喉もカラカラに乾いていた。
簡素な住宅街を道なりに歩いていく、確かに見慣れているはずなのにどこか異質に感じてしまう。
「理絵……本当にどうしたんだろうね?」
「うん…………」
琴美の声はほとんどわたしには届いていない。
わたしが考えていること、それはどこで、どうやって琴美にするか。
それだけだった。
(そうだ……)
ある場所がわたしの脳裏をよぎる。
あそこなら……きっと。
わたしは高鳴る鼓動を抑えながら、左手に力を込めた。琴美はわたしの反応が薄いせいか、先ほどからあまり話しかけてこなくなっていた。
学校を出発してから十分程経つと、Y字路にでる。曲がらず真っ直ぐ行くのがいつもの道で、そっちへ行くとすぐに表通りへ出る。一方、曲がると少しの間暗い路地が続き、大きな公園へと出る。公園を通るといくらか近道になるが、公園は周りに人家はなく、大きさの割には人がいることも少なく、人通りもあまりない。学校では危険だから暗くなったら通るなと言われている。ましてこんな雪の日、それこそ人なんていないだろう。
「琴美……」
まるで酔ったような甘い声で琴美を呼ぶ。
「今日は、こっち通って行かない……?」
こっちというのは公園へと続く道。
「え? 別にいいけど、なんで? 用事でもあるの?」
琴美はまったく警戒することなく、あっけらかんとしている。
「う、うん……そんな、感じ……」
当然だ。
親友が自分にこんなことをしようと思っているなんて想像できるわけがないのだから。
わたしはポケットの中でスイッチに指をかけ、運命の曲がり角を曲がっていった。