もうすぐ琴美にできる……
でも……
本当に、いいの……?
したい、したいけど……してしまったら……
いつもはこんな時、この情念に駆られた時、理絵がいた。
いてくれた。
それ、なのに……
どうして今日に限って……
せめて、図書委員の仕事が入らなければ……
帰りがこんな時間にならなければ……
なんで? どうして?
どうして、誰もわたしを…………くれないの?
……心の底からしたいって思っているはずなのに
なんでわたしはこんなこと考えているんだろう?
「…………っ!」
公園に足を踏み入れた瞬間、今まで感じたことのない衝動がわたしを襲った。
さっきまで考えたことを忘れたわけじゃないのに頭の中が激情支配されていく。
今すぐにでも琴美にしたくなったが、それをどうにか抑えた。
わたしの中の「人」が、体を縛る。
すでにあたりは真っ暗で、光源は公園の街灯とそれを反射する雪明かりのみ。
雪が深々と降り積もる中、誰もいない静かな公園を二人でゆっくりと歩いていく。
「どうかした?」
急に琴美が心配そうに私に話しかけてきた。歩みは止めることなくわたしの顔を覗き込んでくる。
あからさまにどうしたのと言われるほど今のわたしは普通ではないのだろうか。
そんなことはないはず。
鼓動は逸っているがそんなことを悟られるはずはないし、荒くなりそうな息はどうにか抑えている。
でも、多分琴美には、わかってしまうのだろう。
普段と違うわたしを。だが、どう違っているのか、何を思っているかまではわかることはない。
「だ、大丈夫なんでも、ない」
わたしは無理矢理作り笑いをして、なんとか琴美を安心させようとした。
「そう……? なら、いいんだけど」
琴美は訝しげではあるが、一応納得してくれたのかそれ以上追及してこなかった。
ザッ、ザッっと二人が雪の上を歩く音だけが静寂な空間に響く。そろそろ半分、この公園のシンボルにもなっている大きなすべり台まで来てしまう。
(もう、ここまで来たの……)
このままじゃ、あと数分で公園を抜けてしまう。こんな雪とはいえさすがに表通りまでいけば人がいるだろう。
そうしたら、もうする事ができなくなってしまう。すさまじい衝動が襲ってはいるが、さすがに人目があるところではすることなんてできない。
辺りを見回す。ブランコ、砂場、鉄棒、ベンチ、噴水。すべてが雪に埋もれて、静寂な空間を作り出している。
……誰もいない。誰も。
人家もないから、多少の音がしても気付く人はいないだろう。
次にこんな状態で二人きりになれる機会なんて、いつくるかわかったものじゃない。
チャンスは、今しかない。
わたしは一つ深く呼吸をして、空を見上げた。
雪が降る。
全てを白で覆い尽くすために。
歩をとめ、足元の雪を見る。
真っ白な雪、それは歩くのがためらわれるほどに美しく、穢れのなき白。まさに純白という言葉がふさわしかった。
……この雪を別の色に染めたらどんな気分になれるだろうか。
一瞬だけ「それ」を考えてしまった。
「…………!!」
途端にいいようのない恍惚感が体中を駆け巡る。
動悸がして、押し殺そうとしていた呼吸が目に見えて荒くなっていく。
「ね、気分でも悪いの?」
突然立ち止まり、その後も追ってこないわたしを不審に思ったのか琴美は正面に周り気遣いってきた。
その心配そうにわたしを呼ぶ声が。
わたしを見つめる小さなひとみが。
闇に溶け込んでしまいそうなほどに黒く、美しい髪が。
雪のように白い肌が。
琴美の身につけているもの。
琴美が纏っている雰囲気。
そのすべてが、私に語りかけてくるようだった。
わたしを誘っているかのようだった。
このまま欲望に身を任せてしまえばどんなに気持ちよくなれるだろうか。
そうしたい、そうしたいけど、してはいけないと、衝動とはまた別の本能が行為を止めようとする。
けど、いくらそんなものが止めようとしても、この気持ちを抑えるなんて、できっこない。
望み、待ち焦がれていたのだから。
「本当にどうしたの? 大丈夫?」
琴美が一歩近づいてくる。
(だめっ! こっちに来ないで!!)
心の中でそう叫ぶが体は今目の前にいる少女を、琴美を求めているのがはっきりとわかる。
……胸があつい。
周りの雪を溶かしてしまうんじゃないかというほどに体が火照っている。
「…………」
視線だけを動かして周りを確認した。
誰も、いない……誰も。
月でさえこの雪の雲に隠れて、わたしたちを見ることは出来ない。
口元に笑みが浮かぶ。わたしを知っている人がみたら、誰もが驚くような不気味な笑み。うつむいているおかげで、わたしの笑みが琴美に見られることはない。それが、わたしにとって幸運だったのか、不幸だったのかはわからない。
最高だ。
最高の舞台だった。
神様がわたしのために用意してくれたとしか思えない。
図書委員の仕事が入ったことも、理絵が先に帰ったことも、公園の中に人っ子一人いないのも、神様がわたしのためにしてくれたのだ。
今なら……
ザッ。
また一歩、琴美が近づいてくる。
ドクッ、っと心臓が跳ねた気がした。気のせいだったかもしれないし、気のせいじゃなかったかもしれない。
どっちにしろそんなことに気をまわしている余裕なんてなかった。いや、どうでもいい。
わたしはわかっていた。本当はもう結論が出ている事を。こんな葛藤、無駄だという事を。
だってこの機会を逃してしまえば後悔するに決まっているのだから。また三人一緒のあの天国と地獄が混在している時間をすごさなくてはいけなくなるのだから。
「こ、な、いで……」
かろうじで声を絞りだす。
それ以上寄ってこられたらわたしは。
「え? なに?」
だが私の言った言葉はまったくの無意味どころか逆効果で、聞き取ることのできなかった琴美はさらに近づいてきた。
足が震える。いや足だけじゃなく、体全体が。
琴美は、もう本当に目の前、手を伸ばす必要すらない距離にいる。
顔を見ることができずにうつむいたままでいると、制服のスカートとニーソックスの間から覗くわずかな肌が見えた。
そこにいるんだっていうことを体で確認してしまった。
(……………!!)
胸の奥に押し込めようとしている激情が狂ったように暴れだす。
(げん、かい……)
「さっきから変だよ。どうしたの?」
わたしの何を思っているかなんてわかるはずもなく、琴美はかがみながらわたしの顔を覗き込んできた。
「……っ!」
体に……電撃が走ったようだった。
この表情が、唯一無二の親友を心から心配するこの表情が。
頭の中が麻痺してきて、もう「それ」しか考えられなくなる。
(もう、だめ……)
今度こそだめだ。これ以上この気持ちを抑えろというのなら、わたしは狂ってしまう。
いや、もう狂っているのだ。
「琴美!!」
わたしは叫びながら琴美を抱きしめた。
髪が頬を撫で、琴美が愛用しているオレンジの香りのついたシャンプーの匂い鼻腔をくすぐった。その甘い香りがわたしの欲望をさらに刺激する。
(……琴美の、におい……)
「えっ!? ちょっとな、なに?」
私がいきなり抱きついたものだから、琴美は目に見えて動揺している。
「ごめん……」
「え?」
なにが。と口では言っているのだろうが、そんな事耳には入らない。
「でも、もう我慢、できない」
わたしはそんな琴美を無視して、押し寄せる感情のまま言葉を紡いでいく。
「だから、なんのこ……っ!」
琴美はその先を続ける事が出来なかった。
次の瞬間には私の唇が琴美の口を塞いでいたからだ。
琴美は驚いたようだが抵抗をすることはなかった。黙ってわたしにされるがままになる。
甘く、とろけそうなくちびる。
「……んっ……」
かすかに感じる呼吸と、鼓動。
はやく! はやく!! はやくしてしまいたい。この後のことを考えるだけでもどうにかなってしまいそうだ。
(ごめんね……)
今度は声に出さず心の中だけで呟く。
それがわたしに残っていた最後の理性だったかもしれない。
わたしは一度体を離し、ずっと忍ばせていたものをポケットからすばやく取り出し……スイッチを押した。
そして、
その飛び出しナイフで
琴美の胸を
……刺した。
ビシュとも、ジュビともいえない音と共に、ナイフを刺した何ともいいようのない感触が伝わってくる。
そのまま奥へと、深く、深くナイフを突き刺していく。
わたしの顔にはっきりとした喜色が浮かぶ。
(あぁ…………)
ずっと、ずっとこうしたかった。
琴美をわたしの手で傷つけたかった。穢してしまいたかった。わたしのものにしてしまいたかった。
そうしたらどんなに気持ちよくなれるだろうってずっと考えていた。一人でいるときも、二人でいるときも、理絵と三人でいるときにも。学校でも、登下校でも、家に帰っても、部屋で独りになっても、お風呂に入っていても寝る前も、夢の中でも、朝のベッドの中でも。
ずっと! ずっと!! ずっと!!!
それが、今、かなった。
「え………な……に…?」
琴美がかすれた声呟きながらで、弱々しく自分の胸を刺している腕を、わたしの腕を掴んだ。そのままゆっくりと顔を上げてわたしを見る。
呆然とした表情で口からは血を流し、瞳は涙で滲んでいる。
(っ!!)
体中が悦楽に満たされる。
息が詰まるほどの空気がわたしたち二人を包みこんでいく。
「あ……あ……」
琴美はなにやら口をぱくぱくさせたがそこから意味のある言葉が出ることはなかった。
永遠にも感じられる時がすぎ、わたしはゆっくりとナイフを抜いた。数瞬後、琴美の体はまるでスローにかかったように血飛沫を上げながら真っ白な雪の上に倒れていく。
飛び出した血は勢いよく私に降りかかる。
琴美の、血……
あたたかい……
気持ち、いい……
口元には自然と笑いが起きている。
ドサっとした音とともに琴美が雪の上に倒れた。
すぐに琴美の血が真っ白な雪を赤で汚していく。
まだ息はあるようだが、もうその瞳に力はない。
わたしは笑う。
血で穢れたわたし自身の体、その原因を作ったナイフ、そして
血まみれの親友の姿を見ながら。
わたしは笑った。
赤く染まった雪を見ながら。
わたしは、親友を穢した喜びに笑っていた。大切な人を殺めたられたことに歓喜した。一番大事な人の血を浴びて快楽にひたった。
「これで、琴美は、わたしの……ずっと、わたしの……」
気持ちいい。
こんなに気持ちよかったなんて。
今まで十数年生きてきた中でここまでの快感を味わった事なんてない。きっとこの先、これ以上の気持ちよさを得ることなんてできないだろう。
そう、たとえいくら雪が降り積もりこの血を白く染めたとしてもこの気持ちまで犯すことは出来ない。
わたしは今、人として、最上の快楽を手にした。
暖かかった琴美の血は外気に触れ、どんどん冷たくなっていく。
もう琴美の瞳には何も写してはいない。自分を殺した親友さえも。
街灯を反射する淡い雪明りの中、わたしは踊った。
冷たくなった琴美の体を見ながら……享楽的に。
わたしは踊る。
甘美な快感に震えながら……狂ったように。
わたしは踊る。
この公園で唯一白銀の世界から切り取られた場所で……おぞましい笑みを浮かべて。
「あ…………」
不意に何かに躓きわたしは転んだ。それが琴美の体だと気づくまで数秒かかる。
わたしはナイフを手放し、雪の上に膝をついて琴美の体に寄り添った。そのまま血に濡れた手で琴美の頬に触れる。
(あたたかい……)
そこはまだ暖かくて、生の、生きて【いた】感触が残っていた。
わたしは何をするでもなく琴美の頬を撫で回す。
琴美の頬が赤く汚れていき、わたしの中の背徳感をさらに刺激した。
ポタ……
と、頬に触れている手に何か生暖かいものが落ちた。
「あ、あれ……?」
それはわたしの涙だった。
(どう……して……?)
想いを遂げられて嬉しいはずなのに……
この涙は、後悔や罪悪感から来ているものじゃないはずなのに……
「…………ことみ」
溢れだした涙は、止まることを知らずに流れていく。
「…………………………………ごめんね」
そして、わたしは泣き続ける。
涙の理由もわからないまま
琴美の体からぬくもりが消えてしまう
そのときまで……