香里奈と玲菜が密な時間を過ごした時から一週間ほどたった頃。
その日、香里奈は珍しく早起きをしてキッチンに立っていた。
「んー、と……」
理由は単純で今日のお弁当を作るというものだが、それは自分のためでなくある相手のためだ。
香里奈は料理の手伝いこそすれ、自分でこうしたことはほとんど経験はない。週の半分は茉利奈が作ってくれるが他の日は学食やコンビニで済ませている。
だから手際がいいとまでは言えないが、自分になりに努力をし一通りのおかずと白米を詰め込んだ弁当を完成させていく。
「んー……よし」
自分ではそれなりに納得いくできばえになり香里奈は満足げにうなづく。
(…………受け取ってくれるかな)
そのお弁当が役割を果たす瞬間を想像し、初心な少女のように頬を染め上げる。ただ受け取ってもらえたとしても自分の望む展開にはそうそうならないだろうということもわかり少し残念そうな想像もしてしまうが、それも彼女らしいと再び笑みをこぼす。
「おはよ、香里奈ちゃん。早いのね」
「っ!!」
その時を妄想しにやにやとしまりのない笑みを浮かべていた香里奈だったが唐突に背後から声をかけられ思わず背筋を震わせてしまう。
「お、おはよう、お姉ちゃん」
「うん、おはよう。香里奈さん。あら? お弁当作ってるの?」
「う、うん」
「もう、言ってくれれば今日だって作ったのに」
「あ……え、えと……」
これは自分用ではないと説明しようかと悩む香里奈だが、それを目の前の相手に伝えるのはある意味目的の相手に伝えることよりも難しい。
そう香里奈が悩んでいるうちに
「おしいそ、一つもらっちゃおうかな」
と茉利奈がお弁当のおかずに手を伸ばそうとすると
「だ、駄目!」
思わず大きな声で制してしまう。
「っ!?」
「香里奈ちゃん?」
「あっ……」
姉がどうしたんだという顔で自分を見つめてくるとまずいとは思ったがなんとか誤魔化そうと頭をめぐらし
「え、えと……お、おねえちゃんにはちゃんと朝ご飯作るから、ちょっと待っててね」
結局ごまかしにもならない言い訳を口にし、
「……そっか。ごめんね、香里奈ちゃんのを取ろうとしちゃって。ご飯楽しみにしてる。それじゃ、私は顔でも洗ってこようかな」
茉利奈は一瞬の沈黙の後、そう言って香里奈に背を向けた。
「う、うん、行ってらっしゃい」
どうにか誤魔化せたかなと安堵する香里奈だが、姉が複雑な表情で洗面所に向かったことには気づけずにいた。
香里奈は人から誤解されやすく、外見に反し子供に見られることは多いがれっきとした乙女である。
あえて子供の用に振舞っていた部分は確かにあるが、それでもあくまで香里奈はまだ十五でしかない普通の女の子だ。
「……………」
上級生の教室に来ることは緊張するし、まして目的のことを思えば逃げ出したくもなってしまう。
二年生といえど自分より背の高い相手は皆無だがそれでも緊張は抑えられず香里奈は教室の外から玲菜のことを見ていると
「何か用?」
見知らぬ上級生に話しかけられてしまう。
「え、えっと……ぶちょー……じゃなくて、久遠寺先輩に………」
普段の香里奈を知っているものなら目を丸くしてしまうようなしおらしい態度。幸いにもこの先輩は香里奈のことを知らず、親切に玲菜を呼んできてくれた。
「香里奈か、何か用なのか?」
それはそれでもちろん、よいことなのだが……
「あ……え、っと」
心の準備が万全でなかった香里奈はつい手に持っているものを後ろに隠してしまった。
「ん? なんだ、それは?」
当然その行動が逆に玲菜の興味を誘ってしまい、問い詰められてしまう。
「あ……え、えっと……その………あの」
「どうした? らしくないぞ」
玲菜に訝しげな顔をされてしまうが、乙女である香里奈はますます頭に血が上ってしまい言い訳も、本来の目的も口にすることができない。
「……ふむ。よくわからんが、丁度昼だ。どこかで食べながら聞くとしよう」
とある意味香里奈の目的と合致することを提案してくれた。
首尾よく玲菜と二人きりで中庭で昼食を取ることになったものの想定にしていなかった問題が発生した。
香里奈が毎日弁当を持参していないように玲菜も毎日というわけではなかったが、この日は持ってきていてその時点で香里奈の目的は半ば破たんしてしまっている。
「? 香里奈やはりどこかおかしいぞ。何かあったのか」
秋空の下中庭のベンチに座る玲菜は香里奈の目の前で自分の弁当を広げていく。
(あぁ……ぁ)
その光景を見ていた香里奈は心の中で情けない声を上げる。これで玲菜が手を付けてしまったらもう終わりだ。せっかく早起きして、玲菜のためにお弁当を作ってきたというのにすべてが無駄になってしまう。
「ぶ、ぶちょー!」
せっかく頑張ったんだからと自分を鼓舞するために香里奈は勢いよく自分の持っている弁当箱を玲菜に手渡そうとするが、
「っ!?」
勢い余りつい玲菜が広げようとしている弁当にぶつけてしまい。
「あっ………」
ガシャと、ベチョっという嫌な音と共に玲菜の昼食が地面へと落ちてしまう。
「あ…………」
絶望的な気持ちでそれを見つめる香里奈。
「………ふむ」
玲菜は自分の昼食が消えてしまったということにも動じず、冷静に頷いた。
「前にも似たようなことがあったな」
「え?」
「茉利奈さんが帰ってこないとお前の家に言った時だよ。コーヒーをこぼしただろう」
「あ、う、うん」
「あの時は私も悪かったが、お前は少し落ち着いた方がいいな」
言いながら玲菜は地面に落ちた弁当箱を拾い上げる。その動作の中に残念そうな気持ちは見えても怒りなどは感じられない。
それが逆に香里奈の心を不安にさせる。
「さて、とりあえず何か買ってくるか。さすがに昼飯抜きというわけにも行かんからな」
と立ち上がろうとする玲菜を見てようやく勇気を出す。
「ぶ、ぶちょー! わ、私のお弁当食べて」
「む? いや、お前の分がなくなるだろう」
「い、いいの! 私が悪いんだしぶちょーに食べてほしくて今日作ってきたんだから」
「う……む?」
唐突に伝えられた香里奈の本心に玲菜は一瞬目を丸くするものの、香里奈の瞳が真剣でさらにある種の熱を持っていることに気づく。
(………ふむ)
機微には鈍い玲菜ではあるが少なくても香里奈の言葉が真実であるということ程度は見抜き、動機にまでは到達しないもののその本気にうなづく。
「では、二人でわけるとしようか」
落ち着いた声でそう述べる玲菜は香里奈の憧れる姿そのもので香里奈は完璧でないにしろ自分の望む時間を手に入れることができた。
玲菜への想いを高めつつ、いくつかの複雑な思いを抱きながら。