ある日曜日の午後。
玲菜はこじんまりとした青い屋根が特徴の家の前に立ちそれを見上げる。
(………………)
そうしているだけで玲菜の胸が締め付けられる。合鍵は渡されており、ドアを開けて入ればいいのだしそのために来たのだがそれは勇気のいる行為だった。
良心の呵責に後ろ髪を引かれているがいつまでもこうしているわけにはいかない。
【恋人】に会いに来たのだから。
玲菜は意を決すると扉を開けて、恋人の待つ家に入っていく。
「……………」
ドアを開けた先で玲菜は並べられている靴を見て顔を歪めた。
香里奈の外行き用の靴がない。
いないことに心を痛めているのは事実だが、それは玲菜にとっては周知のことだ。
「玲菜、上がって」
代わりに玲菜を迎える恋人は玄関先まで出てくるとひと声をかけてリビングに戻っていく。
「……あぁ」
玲菜は低く返事をして茉利奈の待つリビングに入っていく。
「…………」
香しい紅茶の香りとケーキの甘い匂い。
茉利奈もまた恋人を迎える準備を整っている。
「さ、座って」
「あぁ」
玲菜は短く答えてソファの茉利奈の対面ではなく横に腰を下ろす。
それも肌が触れ合うほど近い位置で、香里奈の前では見せない距離で。
「ケーキは手作りなの。後で香里奈ちゃんにもあげるけど、黙っておいてね」
「……わかっている」
「そう……そうよね。とりあえず食べましょ」
そうして二人でケーキを取る。
「どう?」
「うまいよ。私は料理はするがこういったものがあまり得意でないから感心する」
「そう、ありがと。じゃあ、私の分も食べていいわよ。あーん」
「っ、な、何をしている。同じものだろう」
「そうだけど、玲菜に食べてもらいたいから。ね」
笑顔で生クリームの乗ったフォークを差し出され、一瞬顔をしかめたが
「……ぁむ」
羞恥というよりは罪悪感にやかれながら玲菜は茉利奈の差し出したケーキを頬張る。
「じゃあ、今度は玲菜からして」
「っ。わ、私にたべてもらいたいんじゃなかったのか」
「そうだけど、玲菜に食べさせてももらいたいから」
普通であればこの話を了承することなどできない。玲菜が付き合っているのは茉利奈ではなく妹の香里奈なのだから。本来の恋人を差し置き、姉とこんなことをするなど許されることではない。
普通であれば、だ。
「……これでいいのか」
「本当はあーんって言ってもらいたいところだけど。まぁいいわ。あーん」
玲菜とは対照的に茉利奈ははしゃいだような声と共にケーキを口に含む。
そんな茉利奈を玲菜は落ち込みながら見つめ、口数は多くないものの濃厚な時間が過ぎていく。
「んー、おいしかった」
「そうだな」
ケーキを食べ終え紅茶を飲み干した二人。勝手知ったる場所ということもあり片づけをしようと食器に手を伸ばすが。
「あ、それはいいわ。そんなことより」
「っ」
茉利奈はそんな玲菜を制すると体を倒して頭を玲菜の膝に乗せた。
「ちょっと休憩させて。昨日は遅くまで仕事してて疲れてるから」
そうするのが当然のように茉利奈は玲菜に膝枕をさせて、見上げながら言う。
「……食べた後にすぐ横になるのは感心しないが」
膝枕のことには触れずに一般的な注意をして視線を下に向ける。
そこにあるのは本来の恋人である香里奈とよく似た顔をし、年相応の苦労も色気も……ずるさも感じる茉利奈の顔。
「あ、玲菜」
「っ」
不意に茉利奈が手を伸ばし、玲菜の頬を指がくすぐる。
「クリーム、ついていたわよ」
と言って、自らの指を舐める。
「…………」
見せつけるように濡れた舌が指をなぞる光景は妖艶で、そのように見てしまう自分が嫌になる。
「ふふふ」
終始暗い顔をする玲菜とは対照的に茉利奈は楽しそうに玲菜の頬を撫でる。今度はクリームを取るなどいう意味もない。ただしたいからしているだけ。
「………なぁ」
いつもなら黙ってされるがままになる玲菜だがこの日は違った。香里奈がいない時にこの家に来るたびに感じていた呵責が許容量を超えてしまった。
「何かしら?」
「……いつまでこんなことを続けるつもりだ?」
玲菜は冷徹に言い放つと茉利奈は玲菜の頬にあてていた手を下ろし、視線も外す。
「玲菜は私のこと嫌い?」
先ほどまでとは異なり一転して不安を瞳に宿し玲菜に問いかける。
だが玲菜はその言い方が気になった。
「そういう言い方で口封じをするのは卑怯だろう」
好きと聞くのではなく嫌いかと聞く。そう問えば玲菜が嫌いと答えることはないとわかっているから。
「……そうね。でもそれ以外に聞きようがないもの」
諦観したような茉利奈の姿に玲菜は茉利奈が今の状態を決して快くは思っていないことを察する。
「……香里奈に悪いと思わないのか」
「思ってるわよ。だからこうして隠れて会ってるんじゃない」
「はぐらかすな。そういう意味じゃない。香里奈に悪いと思っているのに何故こんなことをするのかということだ」
「貴女が好きだからよ。好きな人とは一緒にいたいって思うものでしょ?」
「ちゃかすな」
「そんなことない。本気よ」
そう言って茉利奈はもう一度玲菜に向かって手を伸ばした。声には不思議な響き。玲菜を見つめる瞳は玲菜にはわからない感情に潤んでいる。
「貴女こそ、どうして私のことを拒絶しないの?」
「それは」
当然玲菜の頭には香里奈の姿が浮かぶ。
「別に私のことを捨てても香里奈ちゃんにいったりなんかしないわ。こんなことしてちゃ信じてもらえないかもしれないけど、香里奈ちゃんのこと悲しませたくなんかないもの」
その言葉に嘘はないのかもしれないが、だからと言って本当にそうかと不安は消せない。
それと玲菜はこの関係をうやむやにして終わらせるのはしたくなかった。
「貴女を悲しませたくはない」
「香里奈ちゃんのため?」
「………そうだ」
茉利奈が不安定な状態にあることは察している。均衡を保たせ、乱しているのが自分だということも。今自分が茉利奈との関係を切れば茉利奈の心に重大な傷を残してしまう気がしている。
(……それは……香里奈も望まないだろう)
「そう。ならとりあえずは私を受け入れてくれるってことよね」
「……………」
玲菜は消極的な了承を沈黙で示す。
その様子を見ながら茉利奈は体を起こすと
「……好きよ」
小さく支えきながら玲菜の唇を奪うのだった。