「ただいまー」

 元気のよい声が玄関先に響く。

「おかえりなさい」

 その声を受けて二階の自分の部屋から出てきた茉利奈は階段を下りながら妹の帰宅を迎える。

「ただいまお姉ちゃん」

「疲れたでしょう? 夕飯はできてるけどとりあえず何か飲む?」

「うん。喉乾いちゃった」

 と二人でリビングへ入っていく。

 そこは数時間前に玲菜と過ごした場所だがそこに玲菜のいた痕跡はない。

 食器もテーブルも綺麗に片付き、匂いすら残していない。

 そんなヘマはしない。玲菜も茉利奈も香里奈にばれるわけにはいかないと考えているのは一緒だ。二人の間に気持ちのすれ違いはあろうともそれだけは徹底している。

 香里奈は思惑通り、というよりもまさか恋人と姉がそんな関係などとは想像すらできずに茉利奈の入れてくれた緑茶に口をつける。

「そうだ。今日ケーキ作るって言ってなかった?」

「えぇ、あるわよ。でももうすぐ夕飯だからご飯のあとでね」

「えー、今食べたいよー」

「だーめ」

「うぅ………」

 玲菜と付き合いだしてから玲菜の前では年相応の姿を見せるようになったものの茉利奈の前ではまだまだ子供の様子を見せる香里奈。

「あ、でもケーキ明日のほうがよかったかな」

「? どうして?」

「玲菜が明日来るんだって。帰ってくる途中で連絡とってそうなったの」

「そ」

「玲菜がウチにくるのって久しぶりだよね。最近外でデートばっかりだったから。」

「そうね。確かに明日にすればよかったわね。あの子意外に甘いもの好きだものね」

「そうなんだよね。デートで喫茶店とか行くと大体デザート頼んでるし」

「まぁ、それは今度にしましょ。次来るときはちゃんと事前に伝えてって言っておいて」

「うん」

 仲睦まじい姉妹の会話のはずだが、香里奈はそう思っていても茉利奈の心中は穏やかではない。

 玲菜は茉利奈の心を見抜けていないがなんとも思わないはずはない。茉利奈の香里奈を思う気持ちに偽りはないのだから。

「さ、そろそろご飯の準備しましょ。帰ってきたばっかりで悪いけど手伝ってね」

「はーい」

 心の裡を完璧に隠し茉利奈は姉としての姿を見せるのだった。

 

 

 玲菜や香里奈も前では自分を隠すことができる。茉利奈には二人に悟られていないという自信があった。

 だが……

「っ……」

 夕食後。自室で仕事の資料をまとめている茉利奈だったが、パソコンを叩く手が何度も止まる。

 自分が人の道に外れたことをしているという自覚はある。そしてその自覚は茉利奈の思った以上に心を追い詰めていた。

「なんでこんなことになっちゃったのかしら?」

 作業をする手は完全に止まり、浮かぶのはあの過ちの夜のこと。

 あの時語った気持ちに偽りはない。玲菜に対する行為は本物だ。

 ずっと気を張って生きてきた茉利奈が唯一心を許した相手。許すことのできた相手。

 本気で玲菜を好きだが、それでも気持ちを表に出すつもりなどなかった。

 あの夜はどうかしていた。アルコールの勢いと、香里奈を失った喪失感と、一人になってしまったことへの不安。

 そして、玲菜の残酷な優しさ。

 それらが組み合わさり、抑え込もうとしていた気持ちが爆発してしまった。

(…………いけないなんてことくらいわかってるわよ)

 玲菜に言われたことが頭に響く。

 いつまでこうするつもりなのか。

 香里奈になんというつもりなのか。

 続けるべきでないということは玲菜に言われるまでもないし、万が一香里奈にバレてしまったらと思うとおそろしくて想像もしたくない。

 香里奈をこの世で最も大切な相手だということに変わりはないしこれからも変わることはないと確信している。

 その香里奈を悲しませるなど耐えられないことだ。

 しかしそれでも

「………玲菜」

 好きな人を思い浮かべてしまうのが人の性だった。

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