トントントン。

 小奇麗なマンションの一室にまな板をたたく音が響く。

 その横ではぐつぐつと鍋が音をたて、食欲をそそる味噌汁の香りが部屋に充満していく。

「ふんふーん、っと」

 台所に立つ少女、ときなは見るからにご機嫌な様子でなれた手つきで二人分の朝食を作っていく。

 まだそれほど回数は多くないもののすでにこの部屋のことを熟知しているときなは、軽快にまな板をたたき、鍋の味を見て、フライパンを扱う。

 出来上がった料理を一つずつお皿に移していき、それとは別に小さなお弁当箱へ昨日の下準備したいたものとお弁当用に作っていた料理をつめていく。

 髪を結い上げ、エプロンをつけながら作業をこなすその姿はさながら新妻のようだ。

 そんなことを自分でも思いながら、一通りの作業を終えたときなは壁にかかった時計を見上げた。

「あ、っと。もうこんな時間。そろそろ起こさないと」

 そうつぶやいたときな、結い上げていた髪を解くと、つい数十分前までは自分もいた場所へと戻っていった。

「先生、朝ですよ」

「ん、んー……?」

 部屋に入るや、ベッドの様子も確認しないで声を出したときなの耳になんとも気だるそうな声が返ってきた。

 ときなはまっすぐとベッドによっていき、そこでまるまる絵梨子をゆさぶった。

「ほら、先生。おきてください」

「ん……おきてる、よー」

「おきてません。早くしないと遅刻してしまいますよ」

「んー、今日休みたいー」

「だめです。もう金曜日なんだから頑張ってください」

「………」

「はぁ。先生ってば」

 ここ数日は似たような会話しているときなは半ば呆れたようにため息をつくと、絵梨子の耳元に顔をよせ

 フゥー

 と、やさしく息を吹きかけた。

「ひゃああ!?

 と、その途端絵梨子は情けない声を出して飛び起きる。

「ふふふ、やっぱり先生にはこれですね」

「あ、…う、と、ときなぁ」

「もう朝ごはん出来てますから、早く顔洗って着替えてください。あ、寝癖付いてますからそれもちゃんと直してからじゃないとご飯はだめですからね」

「はぁ〜い」

 一瞬、耳を責められて意識が覚醒したもののまだ眠そうに絵梨子は部屋を出て行った。

「まったく、私がいないときはどうやって一人で起きてたのかしら」

 乱れたシーツを軽く直しながら愚痴をこぼすときなだが、その顔には笑顔が浮かんでいた。

 

 

「はい、これお弁当です」

「あ、ありがとう。ときな」

「いいえ、好きでしてることですから」

 まだ寝ぼけ気味だった絵梨子と朝ごはんを食べたときなは、玄関まで絵梨子を送っていき、緑の包みをしたお弁当を手渡した。

「へへー、ときなの手作りー」

 絵梨子はそれが嬉しいのか受け取った包みを顔を前に持っていってにやにやと笑いだす。

「……だから遅刻しますって。早く行ってください」

「むぅ。わかったわよぉ。行ってきます」

「はい。行ってらっしゃい」

 毎日しているような会話をして、いつもならこのまま絵梨子が背を向け学院へと出かけていくわけだが、

「あ、そうだ。ときな」

 今日は何かを思いついたようにいったん向けた背を元に戻した。

「? 何か忘れ物ですか?」

「そうじゃなくて」

「??」

「行ってらっしゃいのチューは?」

「………………」

 今日この時まで二人がしてきたのはこの一週間ほとんど二人がしてきたことだったが、これは初めての出来事で、ときなはその想定外の事態に。

「……さて、今日はまずお風呂掃除かな」

 呆れたように無視をした。

「あ、あのーときな。そういう風にされると悲しいんだけど……」

「あと、天気がいいみたいだし、布団でも干そうかしら」

「…………行ってきます」

 これ以上粘っても無駄だと悟った絵梨子は無駄に意気消沈して出て行くのだった。

「まったく、もう。朝っぱらから……ん」

 絵梨子の部屋に一人残されたときなちょっとだけ、物足りなさそうにつぶやくとはまずは台所に向かうと、朝食に使った食器を片付けて、宣言の通りにお風呂場へと向かっていった。

 ずっと続けていれば面倒にも感じるのだろうがときなはここでも機嫌よく作業を行っていく。

 それもそのはずだろう。まだこのお風呂の掃除するのは五回目だ。ついでに言うなら朝食を作ってあげたのも、お弁当を作ってあげたのも、ああやって朝送り出すもの、だ。

 夏休みに計画していた二人の想い出作りのひとつ。寮には実家に帰ると言っておき、ちゃっかり絵梨子の部屋に住み着いているのだ。あまり長期間になってもばれる可能性も出てくるため一週間だけという期限つきだが、この上なく幸せを感じている二人だった。

「あ……」

 幸せだと思っている間にお風呂掃除を終えてときなは、脱衣所兼洗面所に戻ってくると、あるものを視界に入れてまた幸せを見つめる。

 それは並んだ二つの歯ブラシ。定番な上に安直だと自分でも思っているが、こんなので幸せな気分になれてしまうのだから人というのは面白い。

「……さて。何しようかしら」

 今の生活がこの上なく幸せと思っているものの、実はときながすることはあまり多くはない。

 掃除や洗濯などの家事は午前中いっぱいかかるものではない。やるべきことがなくなってしまえば、したいことというのはあまり多くはなく、せいぜい今日のお昼や夕飯はどうしようとか、絵梨子は今頃何してるのだろうとか、主に考えるだけのことが多くなる。

 出かけるというのは知り合いに見つかる可能性もあるし、結局ときながするのは勉強か読書となってしまっている。

(でも、それも今日までよね)

 今週の月曜日の夕方から来て、平日を過ごしてきたが明日からは休みだ。一日中絵梨子といられる。毎日朝と夜を過ごすこの五日も楽しかったが、一日中一緒にいられるというのはやはり特別に感じていた。

 それは同時にこの天国のような一週間の終わりを告げるものでもあるが、それでもやはり楽しみだった。

「ふぁ、あ………」

 適当にテレビをつけながら本を読み、受験生らしく一定時間の勉強をして、間にお昼を挟んで、また勉強していたときなだったが、午後の眠気に思わず欠伸をした。

「ねっむ……」

 勉強はまだ今日のノルマを達成していないが唐突にそれを放棄したくなるほどの眠気に襲われた。

(先生ってば、中々寝かせてくれなかったしな)

 早く起きなければいけない義務があるのは絵梨子のほうだが、絵梨子もときながいてくれるのが嬉しすぎるのかこの数日は中々すんなり寝入ったことはない。

「んー、んー」

 眠気覚ましにと、夏の日差しですっかり乾いた洗濯物を取り込んでいたときなだったが

「……………」

 思わず、絵梨子のベッドの前に立ち尽くしていた。

「………」

 それからベッドへ腰を下ろして、軽くシーツをなぞる。

「…………」

 指で何気なくシーツの皺を伸ばし、少し頬をほころばせる。

 それから時計を確認したときなは

「まだ、大丈夫よね」

 そうつぶやいて、そのままベッドへ横になった。

 絵梨子が使っているダウンケットを抱きしめるように体へとかけると

(……先生に包まれているみたい)

 本人を前にしたらめったに言わないようなことを思い、幸せなうたた寝へと落ちていくのだった。

 

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