その日、ゆめは初めから悪寒を感じていた。
頭は痛むし、背筋に寒気は走る。唾をのみ込むだけでも苦しく、思考も鈍っている。
そんな体調の悪さを自覚してはいたが、ゆめはその日の予定を変えるつもりは微塵もなかった。
ゆめは定期的、というよりも美咲が彩音と一緒に住むようになってからはほぼ毎週彩音の家に泊まりに行っていた。今日はその日で、ゆめにとって彩音のところに泊まりに行く日というのはなによりも重要な行為なのだ。
しかし、
「………………」
彩音の部屋に来てからのゆめは彩音のベッドの上で壁に寄りかかりながらぼーっとしていた。
していた、というよりも調子が悪すぎて何も考えられない。
「んでさ、そん時……」
「ふーん」
目の前で彩音と美咲が何やら話をしていても、一向にそれが頭に入ってこない。実を言えば、こうして体を起こしているのだってつらく感じていた。
このままベッドに横になってしまいたいが、そんなことしたらもう体調の悪さを隠すのは無理なのは明らかで、結果無理を押してきたものの二人とまるで話せていない状態になっている。
もっとも、元気な状態であってもそんなに会話をしないのは珍しくはないが。
「ねー、ゆめはどう?」
(でも……調子悪いって、ばれたら……)
「ゆめ?」
「ゆめー?」
「……ふぇ?」
自分の名前が呼ばれた、というのは何となく気づいたが、何の話をされているのかはさっぱりでゆめは意味のない声を上げる。
「ちょっとー、どうかしたのゆめってば」
いつの間にか彩音がベッドの上にあがり目の前までせまっていきても
(………彩音が、いる)
程度にしか思えず、とろんと潤んだ瞳でその相手のことを見つめるだけだった。
「ちょっと、ちょっとどしたの? そんな情熱的に見つめちゃって。何? あたしに欲情でもしちゃった?」
ゆめの体調の変化に気づけていない彩音は風邪のせいで色っぽい視線を送るゆめに若干照れながらもそれをごまかす。
「……彩音じゃ、ないんだからそんなこと、しない……」
さすがに目の前まで迫られればどうにか会話をできるが、やはりどこかぎこちない。
「って、なんであたしじゃないんだからってなるの? あー、っていうかそうじゃなくて、ケーキあるけどそろそろ食べるかってきいてんだけど?」
「……にゃぅ? ケー、キ?」
「そうそう。今日ゆめが来るし買っておいたの」
「………食べう」
「そ、んじゃ、とってくんね」
目の前に迫っておきながら、ゆめが調子悪いと見抜けなかった彩音はゆめから答えを聞くと嬉々としながらベッドから降りて部屋の出口へと向かって行く。
「あ、彩音」
「んー?」
「ついでに紅茶も入れてきてね」
「えー、面倒じゃん」
「ケーキに紅茶はつきものよ。いいから行ってきなさいな」
「はいはい。わかりました」
「…………」
彩音が目の前にいなくなったゆめはまた意識を別に飛ばし再度ぼーっとし始める。
が
ピト。
「みゅ!?」
急におでこに冷たい感触が走って意識を覚醒させた。
「これで少しはましになった?」
今度は美咲がゆめの前に迫っていて、先ほどまるで氷でもあてられたようなおでこを指でなぞっている。
「冷えぴたよ。あんた熱があるんでしょ?」
「……む、ぃ。そんなこと、ない……」
「強がったってバレバレよ。まぁ、彩音は馬鹿だから気づかなかったみたいだけど」
「……うん。彩音は、馬鹿」
体調が悪いことにはごまかそうとしたくせに、彩音に関してのところは一致させる。
「というか、なんでそんなに調子悪そうなのに隠そうとしてるのよ」
「……別に、かくして、ない」
「だから、バレバレだって言ってるのよ。ぼーっとしてるし、それに」
「?」
満足に動く気も起きないゆめを美咲は壁から離すと、今まで壁に密着して見えていなかった背中に触れる。
「んっ……」
「ほら、やっぱりこんなに汗かいてるじゃないの」
「……ぅゆ」
湿った背中に更なる悪寒を感じたゆめはぶるるっと体を震わせる。
「……こふ」
「ほら、せきまでして。まったく、なんで意地張ってるのよ」
「……………だって、調子悪いのばれたら、帰れって言われる。そんなの、やだ。二人と一緒に、いたい」
ばれてるということを観念したゆめは素直に気持ちを吐露するが、美咲はそんなゆめにため息をつく。
「ふぅ。まったくそんなことで隠してたの?」
「……そんなこと、じゃない。私にはすごく、大切」
ゆめは頭をふらふらとさせながらも、意志のこもった瞳で美咲を見返した。
「ふぅ……まぁ、気持ちはわからないでもないけど、でも、帰れなんていうわけないでしょ。そんな調子なのに」
「……………」
申し訳なさそうに表情を変化させるゆめに美咲は帰れと言われることよりも、ばれていつも通りの時間がおくれなくなったり、自分や彩音に気を使わせるのが嫌なんだろうということに気づいた。
(大体ゆめはこうなのよね)
なんでもはっきり言うふりをしては、本心を隠したがる。昔は、口にするほうが本音だと思っていたが、今はその裏にある本当の本音に気づくようになっていた。
ポン。
美咲はゆめの頭に軽く手をのせた。
「………?」
「ゆめ? 一つ言っておくけど、私たちにもっと迷惑かけなさいな」
「……にゅ?」
「卒業したら一緒に暮らすのよ? それなのに、こんなことくらいで気を使ってたらやっていけないでしょ」
「……………」
「私もゆめに迷惑かけたりするんだから、ゆめもそうなさいな。大体、彩音を見なさいよ。全然、人の気持ち考えられてないくせにそんなこと気づいてすらいないじゃない。ゆめはだからって彩音のこと嫌いになるの?」
「……そんなわけ、ない」
「でしょ? だから、ゆめも私たちに迷惑かけてもいいし、気を使わせていいのよ。というよりもすべきよ。特に彩音には。あのバカは……」
「………彩音は、馬鹿だけど……そんなにバカじゃない」
さっきから美咲が彩音を自分のもののようにバカ、バカというのにゆめは対抗するように言った。
自分の彩音には何度もそういい続けてはいるが、自分で言うのと人に言われるのでは感じ方が異なるものだ。
「……まぁ、そうよね。ほんとにバカなだけなら私は今頃ここにいないわ」
そんなバカなところ……もとい、人の気持ちにいちいち鈍感なところも含めて彩音であり、二人ともそんな彩音を愛しているのだから。
「……うん」
ゆめもそれにはまったくの同意で、自分が今美咲と同じことを考えていることを確信してうなづく。
「……美咲……ありがとう」
それからゆめは心から気持ちを込めてそう言った。もちろん、調子悪いのに気づいてくれたということではなくだ。
「えぇ」
美咲はそれをわかり優しくうなづく。
そして、お互いに彩音といるときとはまた別の充足感に満たされながら微笑みあうのだった。