暗闇の中、上を見つめる。

 そこにあるのは天井ではなくベッドの裏。

 涼香のベッドの裏。

「……………」

 懐かしい気分。別に涼香のベッドの裏を見つめるのが懐かしいわけじゃない。そんなものは自然と入ってくる。

 懐かしいのは

(…………ひさしぶりね、こんなの)

 こうして気分を落ち込ませながら見ていることだ。

(……まさか気づかれていたなんてね)

 うかつだった。

 渚の盗み聞きに関して聞こうと思ったのはそれほど深い意図があったわけじゃない。聞かれてまずい話だとは思ったけれど、どこか聞いてほしいことでもあって、でもそんなに期待したわけじゃなくて、ただどんな風に感じたかと、あとはからかいだって少しはあった。

 

 知ってるんですよ。

 キス、しようとしてたの。

 

 渚の声が頭に響く。

 気づかれているとは思わなかった。それほど回数は多くはないし寝ているのはいつも確認していたはず。

 いつ気づいたのかは知らないけど、最近たまに様子がおかしかったのはそういうことだったらしい。

「ふふ……」

 私は自虐的な笑いをこぼし、手を上へと伸ばした。

 もちろん、そこには何もない。

 何かをつかもうとした手はむなしく空を切る。

 けれど、下ろせない。伸ばした手が下ろせない。届かないとわかりながら伸ばした手が下ろせない。

 ……そんなことを想いながら、こうして夜を過ごしていた。

 それはもう一年以上も前の話。

 まだ、渚と付き合う前の話。

 渚に向けていままで口にしてきたこと。

 それは嘘じゃない。

 待つといった。渚が私のところへ来てくれるまで。いつまでも待っていると。

 周りなんか気にせず自分たちのペースで歩けばいいんだと。

 嘘ではなかった。間違いなく本心だった。

 その時は、間違いなく。

 そう考えるようになったのは夏くらいから。渚と付き合いだして、半年はたったころ。

 渚は相変わらず子供で、そういうところはもちろん可愛かったけれど、それだけではなくなっていった。

(……渚が、欲しい)

 そう思うようになっていた。

 初めから漠然とした焦りはあった。私は渚よりも一つ年上で、一年先に卒業してしまうのだと。

 だから、渚との証が欲しかった。確かな、絆が欲しかった。

 キスとか、そういうことをしなければそういうものが手に入らないわけじゃないし、気持ちが通じるのなら言葉だけでもいい、手をつなぐだけでもいいはず。

 そんなこと、頭ではわかっているけれど……渚を欲しいと思うのも事実だった。

 そういうことの重さは知っているつもりだから。いい意味でも、悪い意味でも。

 でも、私は渚に手を伸ばせない。

 そういうことを私からは求められない。そんなこと……できるはずがない。

「っ………」

 あることを頭によぎらせた私は、一瞬で涙を流した。

 それは、私の運命を決めた出来事だったかもしれない。

 涼香との夜。あの運命の夜。私のはじめての、夜。涼香に触れた、夜。

 そして、泣かせてしまった夜。

(………あの日さえ、なければ)

 それは後悔に後悔を重ね続けたこと。

 もしかしたら、そのせいにしたいだけかもしれない。あの夜がなくても、結果は何も変わらなかったかもしれない。

 それでも、思う。

 あの日さえ、なかったらと。

 あの日さえなければ、私がこれまでに経験した苦しみは、絶望は存在しなかったかもしれない。

 一方的な想いで、涼香を困らせ……自分を傷つけるような日々はなかったかもしれない。

 渚と恋人になった今、それを思うのは罪でしかないのかもしれないけれど、私は今でもあの日を……後悔している。

 だから、渚に手を伸ばせない。そんなことできるわけがない。

 ……また、傷つけ……傷つけられるなんて怖いから。それが怖くてたまらないから。

 私には渚を待つという選択肢しか初めからなかった。

 なのに渚を求める気持ちは卒業が近づくにつれ、日々大きくなっていて……それが渚の寝込みを襲うなんていう浅はかな行為に走らせた。

 ……実際にする勇気なんてないくせに。

 だが、結局はそれがばれて……渚を傷つけた。

 しかも私のせいのくせに、私は逃げてしまった。

 渚に話せるわけがない。

(……話したら、いいっていうでしょうね)

 キスを受け入れてくれると思う。わからなくても、私にならと身をゆだねてくれる。と思う。

 けれど、それは想像。そうなるなんていう確証はどこにもない。それにそんなもので受け入れてもらったとしても、それはきっと、嬉しくはないはず。

 だが、それよりも万が一拒絶をされてしまったら、あの時の涼香と同じように泣かれてしまったら。

「っ……」

 私は芯から震える体をぎゅっと抱きしめる。

(……それだけは……嫌)

 それだけは耐えられない。もしそんなことになったら壊れてしまう。あの後悔の日々をもう一度味わうなんて絶対に嫌だ。

(……でも)

 身を縮めて震える私の心に渚の姿がよぎる。

(私は渚の恋人なのよ。なのに……)

 それでいいの? 恋人を信じず、ただ自分を守って殻に閉じこもって。そんなのはきっとおかしなこと、恋人のすることじゃない。

(でも!)

 合判する感情が心で暴れ、結局私はほとんど眠ることができず朝を迎えてしまうこととなる。

 

 

10-0 なぎさ

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