私は、この学校が嫌だった。
家を出てわざわざ寮に行かなきゃいかないのも、見知らぬ地ですべてを一からはじめるのも、他人との共同生活でいらぬしがらみや、不必要なかかわりを持つことも。
今思えば、人と深くかかわることを避けようとしていただけかもしれない。
昔から私はどこか冷めていて、友人、知人、クラスメイトたちがしていること、言っていることに賛同できず、表向きは取り繕いつつも誰にでも一歩引いて、なじめない世界にいる自分を感じていた。
しかし、人は意外に簡単に変わるもの。
たとえば、親友ができるだけで嫌だったここの生活を受け入れることができるようになるし、
ある先輩に恋をすれば
これまで意識的に遠ざかってきた理解できないものに囚われていく自分をおかしく思ったりも、悔しく思ったりもした。
しかし、それでも恋は私を変えてくれた。
そう、【くれた】と表現していいほどに私は恋を受け入れ、今の自分を好きでいる。
まだ恋が実ったわけではない今でさえ。
「渚、明日私と出かけて」
それを言われたのは夕食を食べているときだった。
最初は一人で、それからはルームメイトである陽菜と一緒にとるようになっていた食事を、今はいろんな人ともするようになっていて、このときはたまたま一人だった。
「え?」
周りの喧騒から離れてイスに座っていた私は、突如想像もしていなかった提案に箸を持ったまま、その提案をしてきた人を見上げた。
そこには長い髪が美しい、落ち着いた雰囲気の先輩が涼やかな瞳で私を見つめていた。
朝比奈せつな先輩。
私の恋の相手。
私の好きな人。
「私と出かけてって行ったのよ。聞こえなかった?」
「い、いえ、そういうわけでは」
聞こえていた。もちろん、聞こえてはいた。
だからこそ、聞き返してしまったのだから。
「で、返事は?」
(せつな、先輩? なんだかいつもの違う、ような……?)
いえ、違ってて当たり前ね。何せ
(デートに、誘われたのかしら?)
本当にそういっていいのかどうかはともかく、そんなこと今まで一度もなかった。あの日から、先輩がそんなことを言ってくるなんて一度も。
「それは、もちろん。かまいませんけど。あ、でも委員会がありませんでしたか?」
別にだから断りたいと言ってるんじゃなく、ただ確認のようなものだ。たまたま、今期せつな先輩と私は同じ委員会に入っていて、そういうのを休むことを先輩はよしとしていなかったはずだ。この時期学校が終わる時間ですら日が落ちてくるのに、委員会など出ていたら真っ暗になってしまう。
先輩が何を想っているのかわからない私は、単純にそんなことしか考えられない。
「サボって」
「は?」
しかし、また普段の先輩の口からはなかなか出ない台詞が飛び出してきて私は感情をそのまま声に出してしまった。
「まぁ、委員会休むくらいなら」
「違う」
「? 違うって、何がですか?」
「学校サボって。朝から出かけたいから」
「へ!?」
またも先輩からは考えられない言葉。さすがにこんなこと言うのはおかしいし、しかもそんなことを淡々と口にするせつな先輩に私はデート? に誘われたということも忘れ、ドキドキを通り越して現実感を喪失していた。
「……私が好きなら、そうして」
「っ!?」
らしくなかった先輩が、いきなり胸のうちから気持ちをもらした気がする。
唐突なデートの誘いから、らしくなかった先輩の本音が今こぼれてきた気がする。
「明日、十時に寮の入り口で待ってるから」
「せん、ぱい?」
「……それじゃ」
「あ………」
好きな人からのデートの誘い。
初めてのデートの誘い。
それはたぶん、嬉しいことのはずだけど、あまりに唐突で意味がわからなくて、私はただ呆然と長い髪の揺れる先輩の背中を見つめるのだった。
それは初めての年越しを向かえ、一年生の最後が近づこうとしていたある冬の日のことだった。