私はせつな先輩と付き合っている。 付き合ってるということは、つまりは恋人同士といってもいいんだろう。 少なくてもただの先輩と後輩の関係ではないし、友達というわけでもない。実際、私やせつな先輩を知っている人が私たちを見れば、私たちをそうは見ないだろう。 ただ、恋人であるように見えるかといえば、
(たぶん……そうは見えてないわよね) 春休みも半ばに入る三月の終わり。 私は普段の何倍も広く感じる寮の食堂で一人、昼食をとっていた。 六人がけのテーブルに一人で座り、周りでもせいぜい二、三人程度のテーブルしかない上に、あいているものもかなり見かける。 三年生は卒業し、休みということもあって一時的に寮を離れる寮生もいて、さすがの私も多少寂しさを感じる食堂。 心なしかいつもより味気なく感じる食事を食べながら私は、ふとした考え事をしているのだった。 (……付き合ってはいるわよね) それを疑っているつもりはない。告白はしたし、されたし、バレンタインにはチョコをあげたし、もらった。 もっとも、手作りに挑戦するほどの勇気はなく買ったものだったが。 これまで誰にもあげたことがなかったことを思えば、それだけでも特別というものだ。 (でも……私と先輩は……) こんなこと考えるのもくだらない。一年前の私なら絶対にそう切り捨てていた。だが、人は変わるもので、変わっている私はふとしたきっかけからそんなことを本気で悩んでしまっていた。 「ここ、いいかしら?」 と、そんな私の正面から凛とした声が聞こえてきて、顔を上げるまでもなく誰かわかった私は 「えぇ、どうぞ」 と、丁度悩みの種になっていた人に頷いていた。 私の意中の人物であるせつな先輩は、この一年切ったのを見たことがない髪を軽く抑えながら私の正面に腰をおろした。 「一人で食べるくらいなら声かけなさいな。月野さんは今帰ってるんでしょ?」 「……そうですが、一人で食べたい時もありますよ」 「まぁ、そうね」 私の皮肉った言い方にもなれたものといった様子で、せつな先輩は持ってきた昼食を食べ始めた。 「…………」 特に会話を弾ませることもなく私たちは、黙々と食べていくが 「……………」 私は時折せつな先輩の顔を見つめては、思考へと入っていってしまう。 透き通った目、すべすべの肌。背の高い鼻、ふっくらした唇。 (……恋人、か) 思わず視線を外せなくなっていた私は、それを考えさせるきっかけになったことを思い出すのだった。
自慢にはならないけれど、私は友達が多くはない。 今、親友と言えるのは陽菜だけだし、この場所で友達といえる存在は五人に満たないだろう。 それにこれも大声で言うことではないけれど、普通の女の子がするような話はあまりできないし、集まってかしましく騒ぐのも好きではなく、そうした集まりに参加することはめったになかった。 ただ、まぁこうした寮にいる以上そういうものからまったくの無縁でいることも難しく春休みに一年生の集まりに参加することとなった。 「えー、うそー」 「ちょっとそれってほんとなの」 ある一年生コンビの部屋でのパジャマパーティ。管理人さんの暗黙の無視をしてくることを知っている秘密のお茶会。 「……うん」 「はぁ〜。最近の若い子は進んでるね〜」 「同じ年でしょうが。っていうか、誕生日はあんたのほうが早いじゃないの」 こういう集まりに私が参加しなかった理由。 「っていうか、あんたはどうなのよ」 それは、何かの不文律であるかのように恋の話題になってしまうことが多いからだ。 普段であれば、共感も肯定も否定もできなく、その場にいるのにいないような気分になる。 こうしたところに来たくなかったのはそれも一つの要因だった。 ただ、この日は実は、それほど億劫でもないつもりだった。 何せ、私はせつな先輩と付き合っているのだ。こんな好きな人がいるからどうしようとか、振り向かせるにはどうすればいいか程度の話なら、むしろ上から見ることすらできるのではと内心高をくくっていた。 「え、まぁ……あたしの場合は、ね。っていうか、小学生のときにはキスすませてるし」 「はぁ。何が若い子はよ。小学生でって」 「あ、あれは事故みたいなものだったのよ」 「で、その人とは?」 「……さぁ。何せ小学生のときだからね。もう昔過ぎて覚えてないわ」 「お、これは何かあるのかな?」 しかし、ここで登場する話題は私の【知っている範囲】をはるかの超える話ばかりだった。 (……小学生でキスって……) 結局ほとんど話に入れずお茶を飲んで、お菓子を食べるだけだった。 「あ、そういえば、水谷さんはどうなわけ」 「っ!!?」 せつな先輩が淹れてくれるお茶のほうが数倍おいしいななどともはやほとんど別の思考をしていた私に急に矛先が向いた。 「わ、私は……」 急に振られてしまった話題に私は、なんと答えればいいのかわからず言葉を濁してしまったが、 「聞いても無駄じゃない。水谷さんってこういうのって興味なさそうだし」 「あぁ、まぁ、ねー。でも、それでいいんじゃない? 結構付き合いとかって面倒だしさぁ。休みの日とか寝てたいのにデートしなきゃなぁとか思うときだってあるし」 「あ、それ、あるよね。一緒にいるのも楽しいんだけど、タイミングが合わないっていうか」 「そうそう。だから、水谷さんはそのままのほうがいいって」 なんだか、小ばかにされたようなのがどうにも面白くなく 「……別に付き合ってる人くらい、いるわよ」 拗ねたようにそういってしまっていた。 「は………?」 一気に場の空気が固まり、 「えぇええええ!!」 はじける。 「うそ! うそうそうそうそ!!」 「え?! じょ、冗談でしょ」 「いやいやいや、でも水谷さんはそんな冗談言わないっしょ」 (な、何を言ってるのよ。私は……) そりゃ、おもしろくはなかった。最初からどうせなどと決め付けられたようにして、なら最初から声をかけるななんて余計なことも考えたりはしていたし、それにこの感覚 先輩と付き合い始めた日に、陽菜に必要以上に話してしまったときと同じような感覚。そんなつもりはなかったはずなのについ言ってしまう自分でも制御できない気持ち。 「……ゴク」 内心は驚いていても、表面上は平静なふりを装ってお茶を一口飲む。 「か、確認だけど、それってほんとなの」 周りの総意を代表し、私の正面にいた相手が私におずおずと尋ねてきた。 「私がこんな嘘を作って思う?」 「思わない、けど」 「なら、そういうことよ」 あくまで私は冷静に、この待てをされた犬みたいな相手たちに答える。 「えぇえええ!!」 そして、また空気がはじけ 「だれだれだれ!!」 「どこまでいってるの!?」 「いつから付き合ってるの?」 「告白ってどっちからしたの?」 待てを解除された犬たちがえさに食いついてきた。 「そんなにいきなり聞かれても答えられないわよ。まぁ、そうね。付き合いだしたのは年が明けてからよ。告白したのはもっと前だけれど」 離れていたメンバーたちもそろって私を囲み、私はその中心でなぜか、満更でもない気分だった。 「告白したってことは、渚さんからしたの?」 「そう、ね」 「それっていつごろ?」 「だから、だいぶ前で……六月くらいね」 「え、でもでも付き合い始めたのは今年になってからなんでしょ」 「そうね、二月になるまえくらい」 「半年以上も待ってたってこと?」 「そういうことになるわね」 「それって、なんかすごくない?」 「まぁ、色々複雑だったから」 私は矢継ぎ早に迫る質問を一つ一つかわしていく。 「はぁ、でも、うまくいったならよかったじゃない」 (……まぁ、その通りよね) 結果がよければすべてよしというつもりはないし、その過程で私はもちろんせつな先輩も苦しんできた。葛藤して、不安にもなって、押しつぶされそうにもなった。 けれど、今がある。 それは嬉しいことだ。 「で、どこまで進んでるの?」 「っ」 一人悦に入っていた私はさっきは意図的に無視した質問を繰り返され思わず、ぴくっと反応してしまう。 「キス、した?」 (キス、か……) あれは、ノーカウント、よね。 あれは勢い、とかいう言い方は嫌だけれど、そんなようなもの。今されたりするのは、たぶん、無理。まぁ、一応したといえなくはないけれど、陽菜相手ならいざしらず、さすがにここにいるやつらにはさすがに話せない。 「やー、いくら付き合ってるからって水谷さんにはまだ早いでしょ。せいぜい手を繋ぐくらいじゃない?」 「まぁ、そうね。で、どうなの渚さん」 (そういえば………) ふと、答えるために私と先輩の関係を思い出した私はあることに気づく。 「手、繋いでないわね」 「え!? 一回も」 「そう、ね。付き合ってからは、ないわね」 「え? 付き合ってるん、だよね。もう二ヶ月くらい」 「そうだけれど?」 「それで、手も繋いでないの?」 「だから、そうだけど」 「それは、変じゃない? いえ、変ではないかもしれないけど」 「変? そう、かしら?」 だって、まだ付き合い始めてから二ヶ月なんだし。手くらいはつなげていてもいいかもしれないけれど、変って言われるほどのことじゃないと思うけれど。 「だって、二ヶ月って言ったら、もう結構進んでたっていいと思うよ。キスしてたっておかしくないくらいじゃない? ねぇ」 と、彼女が周りに同意を求めると、ほとんどの人が頷き、否定をする人はぱっと見当たらなかった。 (なっ……) 対して私はそれに驚きを隠せない。 (だ、だってまだ二ヶ月よ!? 手を繋ぐのはともかく、キ、キスなんて……ありえないでしょ) 「ふ、普通は、するもの、なの?」 私としたことがまるで少女のように不安げに周りへとたずねてしまった。 「ま、キスはともかく、二ヶ月付き合ってれば手くらいは自然でしょう」 「それって、もしかして相手の人が遠慮してるんじゃない? 渚さんってたぶん、その人にもそんな感じなんでしょう?」 「まぁ、特別、変わってるつもりはないけれど」 「じゃあ、やっぱり遠慮しちゃってるんじゃない。今だって、キスなんて考えられないって感じだし。触ったりするのためらってるのよ。きっと」 「……そんな、ことは」 ない、と数十分前の私なら言えていたと思うけれど、この数十分で私の恋愛に関する常識と自尊心はかなり揺らいでいて。 「ん〜、っていうか、二ヶ月で手もつなげてないってそれって付き合ってるっていえなくない? いえなくはないかもしれないけど、付き合ってるって恋人ってことでしょ。だと、やっぱ違う気がするなぁ」 (……………) こんな言葉にも動揺を隠せないでいるのだった。 そして、その後も私の感覚とは異なる話をされながら、今の関係について考え出してしまったのだった。