夏休み。
児童、生徒、学生にとってなにより甘美な響きをもたらす言葉。
私は正直そんなにはしゃぐタイプではないけどそれでも毎年楽しみにしていた。
特に今年は例年になくこの休みを待っていたんだけど………
「え? だめ、ですか………」
夏休みに入って一週間後のある日。
私はせつなさんとの電話の中で、乾いた声をもらした。
「そう」
せつなさんは私とは対照的に落ち着いた声を出す。
今の状況を説明するとこう。
はっきりと約束していたわけじゃないけど、私は夏休みせつなさんに会いに行くつもりだった。しかし、それを駄目とたしなめられてしまったというところ。
現象を説明するのは簡単だけど、私の心はそんなに簡単に整理できない。
「べ、勉強はちゃんとしてますよ」
私は珍しく焦ったような声を出して引き下がる。
泊まりに言ってはだめという理由として真っ先にうかぶのはこれ。
私は今受験生。この学校は進学校で三年の夏休みといえば、へたをすれば人生を左右する期間と言ってもいいかもしれない。
「それはわかってるつもり。でも、やっぱりやめておいた方がいいって思う。いくら渚が優秀でも何があるかはわからないから」
「それは……そうかもしれませんけど」
数か月前にその緊張の中に身を置いていた人のいうことには説得力がある。
どんなにその人が優秀で、絶対の自信があったとしても合格できないことはあるんだと思う。三年にもなれば先生からはそんなような話を耳にタコができるほど聞かされるし、それは事実なんだろう。
誰もが合格するだろうと思っていた人がどこにも受からないなんていうこともある。
今この時を頑張らないことで私もそうなる可能性はある。
それはわかるけど
「で、でも、息抜きだって必要でしょうし、数日くらい」
「……わかってる。渚がちゃんとそれくらい取り戻せる子だっていうのもね」
「なら……」
「けど、やっぱりやめておこう」
せつなさんも残念がっているということは声の調子からわかる。
それがわかってしまったら……
「………はい」
と頷くしなできなかった。
「………はぁああ」
そして、数日後。
陽菜と一緒に部屋で勉強をしていた私は思いっきりため息をつく。
少し問題集と向き合ってから
「………ふぅ」
また。
仕方がない。今日は本当ならせつなさんのところに行こうと思っていた日なのだから。
それが今ここでこうしていることを思えばため息の一つや二つ、というよりももっとだけど、とにかくため息がでる。
せつなさんは気を使ってくれたのかもしれないけど、はっきりいって勉強に身が入るはずはない。
(……せつなさんの方が正しいなんていうことくらいわかってるけど)
受験生はおとなしく勉強をするものだ。
私が反論したように息抜きも必要だろうけど、せつなさんのところに行くのは一日だけデートをするとかとはわけが違う。数日は泊まるだろうし下手をすればもっとっていうこともある。
(……五月の連休は予定より二日も伸びたしね)
二泊三日の予定のはずが連休のほとんどをせつなさんのところで過ごしてしまった。
あの時は学校があったから帰らざるを得なかったけど、夏休みともなればいつまでいるのかわかったものじゃない。
そういうことも考えてせつなさんは大人の判断をしてくれたんだろうけど……
「はぁ………」
だからといってそれをすんなり受け入れられるかは別問題。
「……なぎちゃん」
見るからに集中できていない私に陽菜の呆れたような声が聞こえてくる。
「あ、な、なに?」
「なにっていうか」
「……わかってるわよ」
集中できていないっていうことは誰の目にもわかる。
「気持ちはわかるけど、そんな風にしてたら何のためにここに残ってるのかわからないんじゃない?」
「……わかって……」
れば、そもそも陽菜にこんなこと言われないわよね。
「……………ちょっと出てくる」
こんな状態じゃ陽菜の迷惑になってしまうと思った私はそう言って部屋を出て行った。
どこかに行く気にもなれなくて私はふらふらと寮の中を歩きながらいつの間にか、屋上に出ていた。
「……あつ」
当然の感想を持って私は屋上のフェンスまで行くと遠くに見える青々とした山を見ながら
「……はぁ」
やっぱりため息。
(……どっちが正しいかなんてわかってるけど)
何度も言うように正しいのはせつなさんの方。
せつなさんは数か月前に受験の緊張感の中に身を置いていた。もしかしたら、絶対に大丈夫だと思っていた人が駄目だったという光景も見てきたのかもしれない。
私がそうなるとは思えないけど、中にはそのことで一生の傷を背負うことになるかもしれない人もいるだろうし、もし駄目だったときにあの時せつなさんの言うとおりにしておけばと考えるかもしれない。
だからせつなさんの言っていることは正しい。その言葉に従っておとなしく勉強に集中しなきゃいけないはず。
それもわかってるのに。
そうできない理由を知っている。
私が今必要以上に落ち込んでいる理由。それは、せつなさんに会いたいということもさることながら
(……せつなさんの方から会わないほうがいいって言われたのがショックなのよね)
理由があるのがわかってるのに、ショックを受けた。
せつなさんの気持ちを疑うとかそういうんじゃないくて、なんていえばいいかよくわからないけど。
もっと会いたいっていう気持ちが欲しかった。冷静に大人ぶってあんなこと言うんじゃなくて会いたいって言って欲しかった。
そんなこと言われたらそれこそもっと会いたくなっちゃったかもしれないけど、でもそんな風に言ってもらえたらもっと気が楽だったかもしれないのに。
(……まぁ、何にも変わらないかもしれないけど)
会えないっていうことが同じじゃ結局は変わらない。
「……はぁ」
泊まりに行くのは無理だったかもしれないけど、せめて少しでいいから会いたかった。
大体受験を理由にされちゃうんじゃ、これから先になんてもっと会えないんだから。
下手したら受験が終わるまで会えないっていうことじゃない。
「……っ」
その想像に涙が出そうになった。
これから先を思えば、というよりもむしろこれから先に一緒にいるためにも今を頑張らなきゃいけないってわかってるけど
「……せつなさん………」
会いたい気持ちが止まらなくてつい好きな人の名前をつぶやいた私の耳に
「なーに?」
ありえないはずの返事が返ってきた。