望は沙羅に感謝をしていた。

 元々、気が弱くまた人のいい望は人に頼まれごとをされてしまうとめったなことでは断れなかった。

 そのことを特に不快に思っていたわけではないが、沙羅と初めてまともに話したときのようにほとんど一人で教室の清掃をさせられるようなことになれば、不快というのはさておくとしても大変でないはずがなかった。

 だから、それを手伝ってもらえた事はもちろん、その時沙羅が少し過激なことをいっていたのを実行したのかそれ以降、全員というわけではないが望に仕事を押し付ける人間も減ってはいた。

 それだけが要因でもないが、とにかく望は沙羅に感謝をし、また、いつしか恩返しをしたいとも思っていた。

「あ、……?」

 放課後、学校の敷地内の寮に住んでいることもあり遅くまで校舎内に残っていることも多い望は特に用事があったわけでもないのに校舎内をぶらぶらとしていた。

 そんな中、下駄箱の近くを通りかかった望はそこに友人の一人を発見する。

 それは沙羅で少しくたびれた制服に身を包んで、何をするわけでもなく下駄箱の前でたたずんでいた。普通は通り過ぎるだけの場所という以外では一見、不自然な光景ではなかったが

「さ……」

 なぜか望は声をかけるのを戸惑ってしまった。

「……?」

 特に変わったところがあったようには思えないのに、いつもの沙羅とは全然違う印象を受けてしまう。

 ただ、まだ友人になってからそれほど時が立っていないこの時はそれが何なのか見ることができなかった。

「望」

 声をかけることができなかった望ではあるが、少しすると沙羅は望の気配に気づいたのか名前を呼んで早足に寄って来た。

「望、どうしたの? こんな時間まで? あ、今日英語の再テストだっけ?」

 気のせいか普段よりも少し高く、早口でまた必要以上に明るく聞こえた沙羅の言葉。

「あ、ううん。テストは合格、だったから……その、なんとなく残ってただけ、だよ?」

 沙羅の様子がどこかおかしいとは思っていた。しかし、沙羅の明るい様子に逆に聞くことができない。

「そ、ところで望って今時間ある?」

「え、うん……平気、だけど……?」

「なら、どっか寄ってかない? って、まぁ、望はどこ行っても遠くなっちゃうけど」

「ううん、別にそんなの気にしなくても」

「そ、あんがと。じゃ、どっかいこっか」

「うん……」

 いつもより少しだけ、早口で、おしゃべりで、まるで何かを紛らわすかのような沙羅の態度。

(……ありがと?)

 そして、あまり不自然にも感じない言葉を望はなぜか印象に残していた。

 

 

 結局、望の行き着けの茶屋に軽くお茶をした二人は小一時間ほどで店を出た。

「それじゃ、望。また明日ね」

「あ、うん。またね、沙羅」

 そんな当たり前の挨拶をして沙羅と別れた望は、先に歩きだした沙羅の背中をしばし見つめていた。

 普段と変わらなく見えるはずなのに、まるで広大の原っぱの中でただ一つ咲く花のように儚げにも見えた。

(……沙羅、どうかしたのかな……?)

 ただのクラスメイトではなく友達である望にはそれが気になった。沙羅がこうして寄り道を誘ってくる事は多くはないが珍しいことでもない。

 しかし、今日はどこか不自然だった。

「それに……」

 あることを思い起こしながら望も寮へと帰るために歩を進め始めた。

 考え事をしているせいかいつもより少し歩幅を小さくしながら、やはり沙羅のことを考える。

(気のせいじゃ、ない、よね……?)

 放課後に会ってから、ずっと感じていた漠然とした違和感。それを一番強く感じたこと。

 それは、望がお手洗いから席に戻ってこようとしたときだった。

(沙羅、なんか怖い顔、してた……)

 怒っているようにも見えたのに、今にも泣き出してしまいそうにも見えてそれで立ち止まってしまっていたら望に気づいた沙羅は、そのことをおくびにも出さずに不自然なほどに明るい笑顔を向けてきた。

 さらには、やけに口数が多くなり、はしゃいでいるような様子でまるで、何かを隠しているかのようだった。

(どうしたんだろ)

 そう不思議に思う望だったが、そのことを知るのはそう遠くない未来のことであり、二人の運命の一瞬が大きく近づくことでもあった。

 

 

 望と友達になってから数ヶ月。親友とはまだまだ呼べないかもしれないが、学校だけの付き合いではなく休日に遊びに行ったりもする仲のいい友達にはなれていた。

 その休日である今日は久しぶりに望の部屋に遊びに行く約束をしていて、沙羅はお昼を過ぎた頃、望の部屋がある寮へと向かっていた。

(……なんか、変な気分)

 休みだというのに学校の敷地の中に入るというのはなんだかあまり良い気分にはなれなかった。と、同時に私服で学校に行くというのもやはり妙な感じがするものだった。

 陸上用のトラックやソフトボールの球場、テニスコートなどが一まとめにある大きなグラウンドの横を、部活に取り組む学生たちを尻目にして寮へと続く小道へと歩いていく。

 寮は外観は普通のアパートと同じような感じで、大きめに作られている扉を開けると入り口の周辺は少し凝ったつくりになっている。

 まず、あるのはホテルのロビーのような広間でそこにはいくらかのテーブルとイスが置いてあって、人が集まれるようになっている。広間の置くには階段があって、右の端と左の端、双方から上へと上がれるようになっており、さらには一階の広間ほどではないが二階の階段を上ったところの少し突き出た部分がまた人の集まれる広間となっている。

「……やっぱ、静かなんだ」

 休みの日に訪れるのは初めてだった沙羅は何気なく周りをぐるりと見回すが、寮の中にあまり人の気配が感じられないのを一人で納得していた。

 この寮はもともと、スポーツの特待生をとるのに利用していたものだ。今は希望すれば誰でも入れるようになっているが、それでも寮生の大半はその類であり休日には部活に精を出しているのだろう。

「あ、望」

 望の部屋があるのは二階でそこに向かおうとした沙羅は一階を見下ろせる二階の広間に望がいるのを発見した。

 望はまだこちらには気づいていない様子で、一緒にいる誰かとなにやら楽しそうに会話をしていた。

「…………」

 望に会いに来ているのだからすぐに階段を上がって望の元に向かっていいはずだがなぜか沙羅は楽しそうに話をしている二人を見つめてしまう。

 多分、寮に住んでいる相手なのだろうが、沙羅もここに来たのは数えるほどで、今望と話している相手の名前に心当たりはなかった。

(けど……確か)

 ただ、長身、長髪、鋭い目つきというその外見には見覚えがあったので同学年の誰かなんだろうと察する。

 大体そうでなくては望が親しそうに話すとは勝手ながら思えなかった。

「……ていうか、友達、いたんだ」

 ようやく階段へと向かっていった沙羅は小さくそうつぶやくが。

「って、当たり前か」

 次の瞬間には軽く頭を振って誰に聞かれたわけでもないのに先ほどの発言を撤回するかのように頭をふった。

 望に友達がいるのなんて当たり前。当たり前なはずだ。大体、クラスでも沙羅の目から見て望の友達と見える相手は見かけている。なのに、さっきの発言が口から出てしまったことが沙羅に困惑を与えていた。

 なんというか、望のことをよく知りもせず、休日に遊んだりするのは自分くらいしかいないと勝手に思っていたような気がして沙羅はかぁあっと体を熱くした。

(でも、寮の住んでるんなら、別に遊んでるわけでもないから友達ってわけでも、ない、かな?)

「って、だからなんでそんなこと考えてんの……」

 どうにも自分の意識と外れて、自分の中の何かが勝手なことを考え出す。それは誰にでもあることなのかもしれないが、あまりそれを認めたくもなかった。

「望―」

 階段を上がった沙羅はこれも不思議ながら少し大きな声をだして望を振り向かせようとした。

「沙羅」

 望はすぐに気づいてそういってくれるが、望の隣にいる相手は沙羅を誰だろうと値踏みでもするかのように窺ってくるだけだ。

「おまたせ」

 少し早足になって望の元へと歩いていった。

「いらっしゃい、沙羅」

「うん」

 そう頷くながらも自然と望の隣の相手に視線が移ってしまう。

「あ、沙羅。えーっと、ね、この子は玲、私のお友達」

 望はそれをすぐに察して、というよりもこの状況では当然だろうが隣にいる友達とやらを紹介してくれる。

「高坂玲よ。よろしく」

「玲も寮に住んでるの。あ、玲それで、こっちは沙羅」

「知ってるわよ。さっき待ってるって言ってたじゃない」

「あ、うん……」

 こちらも和やかによろしくという場面だったが玲と呼ばれた望の友人にそれを阻害されてしまった。

 そのことは別にいいのだが目の前で友達がこちらの知らない相手と会話しているところを見せられても面白いはずはない。

 もしかして、このまま玲も望の部屋に来るんじゃなんてことを考えていた沙羅だったがそれは本人が否定した。

「さて、じゃ、私はそろそろ部活行くわね」

「あ、いってらっしゃい」

 玲は別に沙羅を見るためにいたわけじゃないだろうが、ちょうど挨拶が済むと軽く沙羅にも挨拶をして階下へと向かっていった。

 沙羅はどこか安心した自分がいるというなんともいえない気分でそれを見送るのだった。

 

 

 玲が去った後二人は、望の部屋へと入っていった。何度か訪れてみてもやはり、簡素というか色気のない部屋でいつもの歓待を受ける。

「はい、どうぞ」

 飲み物はやはり緑茶で、お茶うけにはせんべいかたまにようかん。おいしいと言えばおいしいのだが最近では望に影響されてしまったのか、自分用のおやつを買う際にも和菓子を買うことも多くなってしまった。

(……どうでもよすぎるけど)

「ね、望」

「なぁに?」

 沙羅の呼びかけにおいしそうに湯飲みをすすっていたあと答える。

「大したことじゃないけど、さっきの、玲、だっけ? とは仲いいの?」

 特に他に話す話題がなかったわけでもないのに沙羅が部屋に入って初めて出した話題は何故か今日初めて知った望の友人、玲のことだった。

「玲?」

 望はここでまで玲のことが出てくるとは思っていなかったのか茶碗をテーブルに戻すこともしないまま首をかしげた。

「うーん、と、そうだね。好きだよ、玲のこと」

「へ!? す、好き!?

 仲がいいのかって聞いたはずなのに思いもかけない返答に沙羅も自分が飲もうとしていたお茶をこぼしそうになった。

「? どうかしたの、沙羅?」

 しかし、望は何故沙羅が驚いているのかわからないといって様子で落ち着いて湯のみの口をつけた。

「え、どうしたっていうか……」

 予想外、あまりにも予想外だった。

 青天の霹靂とも言えばいいのか、とにかく驚いたという意外に評しようがなかった。さらには、こんな衝撃的なことをカミングアウトしておきながらきょとんとしている望の態度も沙羅にはわからなかった。

(望って……そういう、人、なの……?)

 そういえば思い返してみると、やけに仲良く見えた。気弱な望と、背の高く気の強そうな玲。

 しかも、寮での共同生活。

 状況はそろっているような気がする。

「? 何?」

「っ、な、何でも、ない」

 思わず望を注視してしまっていた沙羅はほんのりと赤くなっていた顔でぶんぶんと首を振る。

「あ、もちろん、沙羅のことも好きだよ」

「えっ!?

(ちょ!? 好き、って……え、えぇぇええ!?

「『えっ』……って、沙羅は、私のこと、嫌い……?」

 しゅんと、急に不安そうな表情を浮かべて望は俯いてしまった。

 友達を落ち込ませてしまったということにずきんと胸に痛みを覚えるが、突然こんな告白をされてもまともに答えられるわけがなかった。

「き、嫌いじゃない、わよ……」

 しどろもどろになりながらでもと続けようとした沙羅は次の望の一言に、自分の先走りを思い知ることになる。

「よかったぁ。やっぱり、友達に嫌われたりなんかしたらやだもん」

「あ、え……と、友達……?」

「うん? それが、どうかしたの?」

(……友達……友達……っ!!

 体の中、そのどこからか吹き上がるように勘違いという名のマグマが血管を通って体中にいきわたる。

(つまり、ラブじゃなくて……ライク)

 考えてみれば、いや、考えずとも当たり前なことなはずなのに、何故かラブだと勘違いしてしまっていたということが人生でも最大級の恥辱を沙羅に与えていた。

「……ごめん」

「え? な、何が?」

「とにかく、ごめんなさい!

 真っ赤になった顔を見られぬようテーブルに突っ伏して沙羅は通じぬであろう謝罪を繰り返した。

「???」

 望はもちろんそれが何なのかわからず二人は不思議な時間を過ごしてしまうのだった。

 部屋に来たときこそ、沙羅は勘違いもあってまともでいられなかったがその妙な空気が長続きすることもなくその後は何気ない二人のいつもの時間が流れていた。

「あ、そうだ、沙羅」

「ん? どうかしたの?」

「ありがとうね」

「は? 何が?」

「最近、みんな掃除サボらなくなったから、沙羅が何か言ってくれたんだよね?」

「……あぁ、それ……」

 沙羅は望に気づかれぬようわずかに視線をそらす。

「まぁ、掃除何てするのが当たり前なんだからお礼言われることじゃないわ」

「ううん、ありがとう」

「…………どういたしまして」

 照れ隠しをしているわけではない。しかし、沙羅は望を見ることができなかった。

 

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