沙羅は昔から曲がったことが嫌いだった。
昔、それこそ幼稚園のときから沙羅は漠然とした正義に憧れていた。
それが何に影響されたものなのか今となってはもうあまり関係のないことだが、小さいころから己の中の正義を貫いてきた。
望と友達になった件に関しても沙羅からすればそれの一環だったともいえる。
当たり前だが、沙羅が歩んできた道は平坦で楽なものではなかった。むしろ、並みの人間が歩んできた道よりも困難であったといえる。
しかし、沙羅はその困難を通ってきたからこそ、なおさら自分を貫こうとしていた。考えたくはないがそれが半ば意地になってしまっているのをわずかに自覚してはいる。認めようとはしなくてもそういう自分がいるということをわかっている。
今さら、その生き方を変えてしまったらそれまで貫いてきたことが無駄になってしまうような気がするから。
だから沙羅は今もわが道を歩んでいくのだった。
「ぅ、う、ん……」
朝、カーテンからもれる日の光に沙羅は意識を覚醒させる。
頭自体ははっきりしているが、沙羅は半身になっていた体を仰向けにして天井を見つめる。
「……朝、か」
友達、いや家族にも見せないような陰のこもった声。
体が重く、気だるさを感じる。その原因がただの疲れではないことは知っている。知っているが、そうだなんて自分で認めたくもなく沙羅はただ、白い天井を見つめていた。
「……………」
寝るためでなく目を閉じ、何かを考える沙羅。毎日、というわけではないがたまにこうしてしまう日があった。
友人や家族に見せない姿。それは別に自分に限ったことでなく誰にでもあるのだと沙羅は考えている。というよりも、意識的にそう考えるようにしていた。
「……ふぅ」
しばらく、頭の中でまとまらない思考をしていた沙羅はその過程で体に溜まった気持ちを吐き出すかのようにため息をついて
「さ、って今日も一日頑張らないとね」
先ほどとは別人のような明るい声を出して、普段誰にでも見せている自分へと戻るのだった。
望は昔からおっとりとしていて、友人やクラスメイトからは鈍いと思われてしまうことが多いが、実際のところ周りから思われているほどには鈍くはなかった。
だから、ある相手に普段と違う一面を見ることがあれば、それをその相手がすぐに取り繕おうとしたとしても、裏側に何があるのかということはわかってしまう。
それはおそらく、知り合いレベルならその通りだし、まして、クラスでもトップクラスに仲のよい相手ならば何かあるということに気づくだけでなく、何とか力になってあげたいとすら思うのが望みだった。
「おっはよ、望」
「っ!!?」
朝、いつものように遅刻ぎりぎりで登校してきた望は校舎の中に入る寸前で後ろから声をかけられた。
「お、おはよう、沙羅」
急に挨拶をされたせいで少しまごついてしまうが望はとなりへ並んできた沙羅に挨拶を返す。
(……今は、普通だ)
望が力になってあげたいと思う相手、沙羅は今日はいつも通り望のよく知っている姿を見せていた。
基本的に望が沙羅をどこか妙だと思う時は、沙羅が一人でいるときだ。
それは当たり前といえば当たり前のこと。望の想像通りに沙羅が何かを抱えていてそれを隠しているとするならば、おいそれと人前で弱さを見せるはずもなかった。
「はぁーあ、一時間目が数学だと学校着たくなくなるよねぇ。ま、望はできるから気になんないのかもだけど」
靴を上履きへと履き替えた二人は、もうすぐ遅刻になってしまうというのにだらだらと廊下を歩いていっていた。
「そ、そんなことないよ。私なんか……」
「謙遜しないでよー、逆こっちが落ち込んじゃうじゃないの。あーあ、なんかもう早くも帰りたいんだけど」
「うん……」
「しかも、二限は英語だし、ったく、はぁ……」
「…………」
どこか大げさに落ち込んでいるように見える沙羅を望は会話もそこそこに好奇心というよりも興味を持って見つめていた。
「ん? 何? 顔になんかついてる?」
「あ!? う、ううん。何でもない」
気づかれてしまったことでどぎまぎとしたことを返す望だったが、見つめていたと言うのは明らかにばれているのであまり意味のない言い訳だった。
「いや、見てたでしょ」
「え、えと、きょ、今日も可愛いなって思って」
「……………」
沙羅の表情が固まる。
言い訳に妙な理由をつけてしまい、望はさすがに少し赤くなって少しだけ早歩きになった。
「嬉しいって言えば、嬉しいけど……まぁ……、いっか。望も可愛いってことで」
「あ、ありがとう」
言い訳の言い訳ということは沙羅にばれていたのだろうが、沙羅はそれには深く触れることなく朝から妙な会話を交わしてしまった二人はその後は当たり障りのない会話をして教室へと向かっていった。
(……沙羅)
その間も沙羅が何を抱えているのかを気にしてしまう望だったが、その気持ちこそが二人の転機点だった。
「はぁ……」
望は疲れた顔で職員室から出てきた。
疲労を感じる体で何度かこった肩をさする仕草はよく沙羅や玲に本当に年寄りみたいとからかわれるが、癖になってしまっているようなことなので自分ではどうしようもない。
「また沙羅に怒られちゃうかも……」
今は放課後だが、授業が終わってからそれなりに時間が立っている。というのも、職員室で担任の手伝いをしていたからだ。
本当は望とその他数人で頼まれていたのだが、他の生徒が望みに押し付ける形で帰ってしまったので一人で手伝ってきたのだ。
何故沙羅のことを気にしているのかといえば、沙羅はこういったことを知ると押し付けた相手ばかりでなく望にも多少きつい言葉を投げかけていた。
いつも断ったり、文句を言えないから相手も調子乗って押し付けてくるのだと。
それはおそらく正しい。
押し付けるほうの感覚からしても、反発されるよりも何も言わない相手のほうが都合いいに決まっているのだから。
(まぁ、ばれなきゃいいよね)
もう結構な時間だから沙羅だって帰っているはず。
遅い時間に一人でいるだけで沙羅はなんでこんな時間まで残ってたかと、まるで姉のようにしつこく聞いてきたりするのだから。
もう沙羅はいないだろうと楽観的に考えながら荷物を取りに戻るため教室へと向かっていく望。
「あ、れ……?」
と、教室に着いた望は中に人の気配、というか沙羅の姿を見つけて足を止める。
それは、さっき考えていたような理由からじゃない。
(沙羅……、だよね……?)
それは疑いようはないはずだった。
少なくても外見では。
ボリュームのある綺麗な髪に羽のベレッタ。すらりとした体躯。外見はどうみても沙羅。沙羅だが……
「…………」
怖い。
そう感じてしまった。
薄暗い教室の中、電気もつけず机の前に佇む沙羅は今まで望が見たことのない沙羅だった。
普段明るく、真面目で、強い沙羅。そんな沙羅が今は恐ろしいほどに暗く、また体中から怒気を放っているようでもあって、なのに今にも折れてしまいそうにも見えて……
「っ!!??」
教室の外から望に見つめられていることを思いもしない沙羅の取った行動に望の混乱はさらに拍車がかかる。
沙羅は指を目元に当て、ぬぐう。
それは誰がどう見ても
(……泣い、てるの……?)
涙をぬぐったようにしか見えなかった。
(え……? ど、どうしたんだろう……沙羅)
沙羅が泣いたところなど見たことがない。というよりも、この歳にもなれば中々学校の中でなど泣けない。
なのに沙羅は今明らかに泣いているようだ。いや、正確には泣いているのにそれを我慢しているようだった。
「…………」
悩んでいた時間はそれほど長くはなかった。
(……友達、だもん)
漠然と沙羅が何かを抱えているということを知っていた望はそう心で呟き、教室のドアに手を
バン!!
「っ!!!???」
かけようとした瞬間沙羅はいきなり机を叩いた。
やり場のない気持ちを少しでも発散させるかのように。
そして、沙羅は望がいる側と反対のドアから出て行ってそのまま廊下を行ってしまった。まだ教室に入っていなかったこともあり、沙羅は望に気づくことなかった。
それがどういった意味を持つのか今はまだわからないが、少なくても望にはこれまで漠然と沙羅の力になりたい恩返しをしたいと思っていた気持ちを、はっきりしたものへと変えるのだった。