(……っぅ……)
激しい頭痛で目覚めた麻美は、まだもやのかかる頭でゆっくりと目を開けた。
白い天井に白い壁……?
(……私の部屋ってこんな風だったかしら? 見たことのない家具があるような、それに、いつの間に朝に……)
っつ!
また鈍痛を感じて思わず頭を抑える。まるで、木槌かなにか鈍器でガンガン叩かれているような気にさせられた。
麻美はとりあえず水でも飲もうと、体を起こす。
「!!!!???」
と、体にかかっていた布団がはだけて己の姿をあらわになった。
(な、な、なんで、はだか、な…の? そ、それにこの部屋、どう見ても私の部屋じゃ……)
頭痛なんてふっとんでしまうほどの衝撃を受けた麻美は咄嗟に掛けてあった布団を体に巻きつけて身を竦めた。
自らがどうなっているかさっぱりわからない。何故、一糸纏わぬ姿で寝ていたのか。何故、見たこともない部屋にいるのか。何故、こんなにも激しい頭痛がするのか。すべてが何もわからなかった。
家具や、その配置、置いてあるものからすればこの部屋の主はおそらく女性。麻美もよく読むファッション誌や、これまた麻美が持っているものと同じドレスがブティックハンガーに掛けられている。やはり女性の部屋ということは間違っていないだろう。
麻美の疑問は何故自分がその女性の部屋にいるのかということ。
「あっ、先輩。起きました? おはようございます」
と、部屋を注意深く観察していた麻美の耳に聞き覚えのある声が響いた。声の方向へ顔を向けると、ドアを一つ挟んだ場所から顔だけだした会社の後輩、舞の姿があった。
「まい、ちゃん……」
「丁度、ご飯できたところなんですよ。着替え、先輩の洗濯してるところなんで、あたしのですけどそこに置いておきましたから、早く着替えて朝ごはん食べましょう」
「え、えぇ……ありが、とう」
今だに状況が飲み込めない麻美は舞の言葉に生返事してベッドから、降りようとしたところで自分があられもない姿だったということを思い出した。
「ま、舞ちゃん。む、向こう向いていてくれないかしら?」
「あ、はーい」
舞が用意してくれた朝食は、白米に味噌汁、ベーコンと目玉焼きの簡単なものだったが品物がどうというより麻美は、頭痛と胸やけでとても食欲など出ない。
「先輩、お口に合いませんか?」
麻美と対照的に舞は、元気良く、幸せそうに朝食を平らげていく。
「そういうわけじゃないの。少し、気分悪くて……」
「あー、昨日ものすごい飲んでましたからねぇ。無理もないですよ」
「昨日……?」
「あ、先輩が昨日結婚式に出た方の名前って『楓』さんっていうんですか?」
「!!?? ど、どうして、楓のこと……?」
舞には楓のことなど話したことはない。そのはずなのに、舞の口から楓の名前を聞いた麻美は驚きを隠せない。
「そっか……やっぱり、覚えてないんですね。昨日のこと」
予想だにしていなかったことに動揺していた麻美は、舞がどこか悲しそうにそういうのに気づけなかった。
「あたし、これからすぐに出なきゃいけないんです。先輩は二日酔いひどいでしょうし、疲れてるでしょうからもう少し休んでいってください」
「………………」
「先輩? 聞いてます?」
「あ、えぇ、ありがとう。そう、させてもらうわ」
その後舞は自分の分の食器を片付けて身支度を整えだすが、麻美は頭の鈍痛、全身の気だるさのせいで頭が働かず、なにより楓の名前を出され錯乱していて、昨日自分がどうしたのか聞けずにいた。
(何で、楓のこと……)
大体、どうしてここにいるの? どうして裸で寝ていたの? 舞ちゃんの言った覚えていないってなに?
麻美の頭の中に次々と疑問が浮かんでくるのに一つも舞に問いかけることが出来ない。
「じゃあ、あたし行きますね。あ、今日は遅くなるので、大丈夫になったら気にしないで帰ってください。合鍵ここにおいておきますから」
そうこうしている間に舞は身支度を整えて、玄関先にたってしまった。チャリっと合鍵を下駄箱の上に載せるとドアを開ける。
「い、いってらっしゃい。舞、ちゃん」
「……そうだ、その前に一つ聞いてもいいですか?」
「え、えぇ。なに、かしら?」
舞はドアから一歩踏み出したところで急に先ほどまでの明るい雰囲気とは一転し、妙に迫力を込めた言葉を発してきた。
「昨日の夜は……あたしじゃなくても、ううん誰でも……よかったんですか?」
舞の背中から伝わってくる言葉にならない感情の波。表情は見ることができないはずなのに、何故か麻美には舞が泣いているようにも見えた。
「えっと……夜?」
な、なにを言っているの舞ちゃんは?
しかし、麻美には舞の気持ちに応えるどころか質問の意味すら理解することが出来ない。
「………………」
しばらく待っても麻美からの言葉をもらえなかった舞は、待ち続けても答えが来ることがないと悟ったのか、麻美には気づかれない程度に肩を落とした。
「あ、いえ、気にしないでください。それじゃ、あたし行きますから。ゆっくりしていってください」
そういって舞は今度こそ部屋を出て行った。
一人、舞の部屋に残った麻美は激しい頭痛と戦いながらもハンガーに掛けられているドレスを見つめていた。
麻美と同じドレス、楓から送ってもらったドレス。このドレスだけ他の服とは少し離れたところにあり、その分他の服が窮屈に詰められていた。まるで、このドレスのためのスペースを空けているようにも見える。しかし、その割にはドレス自体、そこら中しわになっている。
いや、そもそも普段着と一緒にドレスが置いてあること事態不自然極まりない。
「やっぱり、これ、私の、だ……」
麻美はドレスを撫でながらそう呟いた。
そうして、部屋の中をゆっくりと見回す。まだ、舞とは数ヶ月の付き合いではあるがそれでも、麻美は、らしい部屋だと思った。人を見れば、なんとなく部屋が想像できるように部屋もまた主をわからせてくれるものだ。
麻美はその中の一箇所に注目して、その場所、ベッドに向かった。自分自身からすでにアルコールの匂いがプンプンしてくるが、ベッドからも同じ匂いが漂ってきた。よく見ると、白のシーツにもドレスと同じかそれ以上にしわがついている。
『あたしじゃなくても、ううん誰でも……よかったんですか』
そして耳に残る舞の辛そうな声。
麻美は痛む頭を抑え、昨日何があったか必死に思い出そうとしていた。
(…………楓の結婚式から逃げたしたことは覚えてる)
とてもあんな場所に居られなくて、行く当てもないくせに街に飛び出していた。
(……そう、確か舞ちゃんとどっかで偶然会って)
なに話したかは覚えていないが、確かどこか店に入ったのだ。そして、どうしたんですか? と心配する舞ちゃんをよそにほとんど無言でお酒を飲み続けた気がする。
そこまでは思い出せた。が、それ以上ははっきりしない。
はっきりしない? 本当に?
「……ふふっ……」
麻美は自嘲的な笑いを浮かべて、目の前のベッド、掛けてあるドレスを交互にみた。どちらもしわくちゃになっている。
二日酔いの自分、くしゃくしゃのベッドとドレス、洗濯したという服一式、裸で寝ていた私。舞ちゃんの妙な態度、質問。誰でもよかった……?
そして、かすかに脳にこびりついた記憶。
「……っ!」
思い出さそうとしているうちにわずかだが、昨夜の記憶がよみがえってきた。いや、おそらく無意識に自ら封印していたものの錠が緩んだ。
「ふふ、ふふふふふ」
酔いつぶれた麻美は、舞に言われるままにこの部屋に連れてこられ、ベッドの前に来た瞬間、
(…………そう)
舞をベッドに押し倒した。
はっきりと覚えているわけではないが、ぼやけた記憶を埋めるだけの状況証拠は揃っている。押し倒したのだ、相手の気持ちなんて一切考えもせずに、無理やり襲った。
舞の悲鳴のような声を聞いた気がする。
絡まる記憶の糸を辿るとその糸がほぐれていく。楓、楓、と子供のように同じ言葉を繰り返していた。何度も愛を囁きながら、行かないでと強く、強く抱きしめた。
『あたしじゃなくても、ううん誰でも……よかったんですか』
その通りだった。誰でもよかった。ただ、空虚な胸の内を、楓を失った穴を少しでも満たしてくれるのなら、埋めてくれるのなら誰でも……そして、たまたまそこにいたのが舞だった。それだけの話。
「……………」
麻美はそこまで思い返すと、愕然となって膝から崩れ落ちた。
「は、は……ふ、ふふふ」
こぼれるのは自分を蔑む笑いばかり。
最低とか、人でなしとか、鬼畜とか、言葉では言い表すことができない。どんな言葉を重ねようとぬぐいきれないことをした。
無理やりに襲ったことはもちろん、別の人のことを想いながら、体を重ねるなどその人にとって侮辱以上の、人としての尊厳すら踏みにじった行為だ。
そんなものを償う言葉も行為も存在しない。
私は取り返しのつかないことをしてしまった。しかも、自分ではそのことを忘れ何もなかったかのように舞ちゃんと会話をした。
(まい、ちゃん……)
麻美は自らの腕を抱くと、自分でも信じられない力で爪を立て震えた。まだ、酔いの完全にさめていない肌に一瞬で赤い物が浮かぶ。
足りない、足りない、足りない、足りない。こんな痛みじゃ、この程度の血を流したくらいじゃ、私の罪は一パーセントも許されはしない。
「わたし、わたしは……」
麻美はひたすら自責の念に駆られながら、うつろな様子で自らを責め続けた。