玲にとって望は妹のようなものだった。 玲がここに来ることを選んだのは自分の好きな部活をするためだった。本気で今の部活は好きだったし、ここでそれだけに集中して続けていける、それは玲にとって理想の環境だった。 しかし、ここに来るのに葛藤がなかったわけではない。 まだ二十歳にもなっていないのに、親元から離れて独立した生活をする。寮ということもあって、食事も洗濯も完備しているし、一緒の部屋ではないが共同生活をする仲間もいる。 だが、そういうものがあったからとそこで生活を送る不安とは別物なのだ。 別に今までだっていつも誰かと一緒にいたわけでもない。でも、一緒にいれば楽しかった友達も、一緒にいるだけで安心できる親友もいた。それらと別れて、ここにきたのだ。 だから、この寮に来たときには心にぽっかりと穴が空いたような空虚な気持ちになることもあった。 表向きは明るく振舞えていても、ふと家族や友達のことを考えては正直ホームシックになっていた。 そんな時期だった。 望と出会ったのは。 いつも食事している席がたまたま空いていなくて、他の場所を探していた玲は、隅に一人で食事をしていた望を見かけた。 ちょっとうつむき加減で、食べているのかぼーっとしているのかわからないといった感じで席についていて、正直近寄るのもはばかれるような印象だった。 たぶん、ただそれを見ただけだったら話しかけることもなかった。たまたま他の席を探しているところでそんな望を見たから 「ここ、いい?」 と、初めて望に声をかけた。 話しかけられた望はびっくりしたようではあったけど、すぐにうんと笑顔でうなづいて初めて望と話すことになった。 基本的に人見知りなのだろうが、話してみると意外に積極的でもあって、玲自身それほど仲のいい友達もできていなくすぐに仲良くなり、いつのまにか一緒に過ごす時間も多くなっていった。 一緒のクラスではなかったため、玲が知るのは寮での望だけだったが、望は自分のことを多く話してくれた。実は、地元の人間でしっかりするためと寮に通っていることや、緑茶や和菓子など以外に和風な趣味であること。 何かあれば大体話してくれたし、友達の少ない望に頼られているという自覚は【姉】という自尊心を刺激した。一人っ子であったこともあり、無意識のうちに望は玲の中で妹になっていき、ますます望と一緒にいるようになった。 そんなある日、クラスで友達が出来たと聞いたのは。 それが沙羅だった。 友達の話をしてくるのは初めてだった。 沙羅のことを話す望はうれしそうで、なぜか玲自身もうれしくなったのを覚えている。 望にも自分以外にそんな友達が出来た。望から聞く沙羅の話はだいぶ主観が入っていたのだろうが、よいものばかりでイメージはよかったし、最初あったときは悪い印象など持たなかった。 望が沙羅のことで悩んでいたこともあるというのも知っている。珍しく思いつめた顔をしていて、詳しく聞いたわけではないが沙羅の力になるにはどうしたらいいのかと悩んでいたのは知っている。 その時軽々しく、言ってしまったことを今は後悔している。 望は望の思うことをすればいい。 ありきたりな言葉だった。誰でも出てきそうな言葉だった。 だが、望はおそらくそれを実行して、沙羅の力になったのだろう。 その時を境に望の話に沙羅の名があがる比率がどんどん増えていった。 沙羅がこんなこといった、こんなことした。 そんなことが増えていって、望にとって自分より沙羅の存在が大きくなったのだということを寂しくも、うれしくも感じた。 そこまではよかった。 自分の手から離れていく日が来たのかなとそんな風に軽く考えていた。 望の気持ちに気づいたのは、そんなころだった。 年が変わって、沙羅と同じクラスになって一緒に三人で過ごす時間が増えてきたころ。 沙羅と一緒にいるときの望。 沙羅のことを話すときの望。 その時の望が、沙羅を大きな存在としてみていることになんとなく気づいてしまった。 そのころには話せば、望から沙羅の名を聞かぬことはほとんどなかったし、沙羅と望が二人でお昼を取ることはあっても、玲が望と二人でお昼を取ることも少なくなっていた。 沙羅といるときの望は自然で、笑顔で、玲と二人きりの時には見せない顔がそこにあった。 だから、もしかしたらと思っていた。 望は、沙羅を好きなんじゃないかと。 それがほぼ確信になろうかというときだった。 あれが起こったのは。 最初は何をしているのかわからなかった。 望と沙羅がベッドにいるということしか認識できなかった。 玲も、望も固まってしまっている間に沙羅だけが動きだして、その場から逃げていった。 そして、やっと我に返り望に事情を聞こうとしたが。 沙羅は悪くない。 その一点張りだった。 状況を判断できないほど間抜けではない。理由までは知らないが、沙羅が望を襲ったのだ。 悪いのは誰か。 そんなもの考えるまでもない。 沙羅だ。 沙羅が望を傷つけたのだ。 自分が望に好かれているくせに、その気持ちを無視して一方的に望を傷つけたのだ。 許せなかった。望に沙羅は悪くないといわれるたび、沙羅に対する憎しみは高まっていった。 しかも、沙羅は望に対しなんら謝罪の気持ちがあるようには思えず、玲のやり場のない思いは高まっていく一方だった。 さらにある。あの時から少したったあと、二人がまた一緒にいるようになってから望の様子は変わっていった。 最初は、元気というわけではなかったが前を向いていた気がする。 だが、それも最初だけで日に日に望は、望の心はうつむいていった。 誰の目にも元気はなくなり、笑顔は消えうせた。玲に対しても、ほとんど会話をしなくなり独りを好むようになった。 いや、好んだわけではないのだろう。 望は誰かといられなかったのだ。 理由は知らないし、それほど重要でもない。 ただ、沙羅がそうさせているというのが玲にはこの上なく不愉快だった。 それでも、これまで誰にも話さず、問題にしなかったのは、望のためだ。 望がして欲しくないというから。 それは当然の感情だろうし、望のことを考えればそうしないのもありえる選択肢ではある。 しかし、それは沙羅のためなのだ。 沙羅と離れたくないから。 いらいらさせてくれる。 以前確信に近かったものは、百パーセントの確信となっており、それは玲をこの上なくイラつかせた。 望は沙羅が好きなのだ。 沙羅も……望が好きなのだろう。 一見、二人の好きには隔たりがありすぎるように思える。 おそらく二人もそう思っている。 だが、玲の考えは違う。 沙羅が望を好きな気持ちと、望が沙羅を好きな気持ち。 そこに大きな隔たりは、ない。 望はたぶん、ずっと前から沙羅のことが誰よりも好きだったのだから。