コンコン。 「望? いる?」 その日は部活が早くきりあがった日で、着替えを終えると玲は望の部屋を訪ねていた。 「…………」 だが、部屋の中から返事はない。 「……今日も、遅いのかしら?」 望は最近、門限のぎりぎりに帰ってくる。それも、死んだような表情で。 その理由を望が教えてくれることはない。いや、玲が深く聞かないようになっていた。 何でもないといわれてしまうのがわかりきっているから。 なんでもないわけがないのに。 あんなに傷ついているくせに。 (望………) 疲れている。正直言って。 玲が何を言っても、何をしても望は沙羅のためにそれを拒む。 沙羅の、ために。 (……許せない) 望が沙羅を好きなんだと気づいたときには、そこまでの感情は思わなかった。望がそれを望むのなら、それでいいのだと思った。その時にはもう望は【盗られて】いたし、姉としては妹の幸せを願うのは当然だとも言い聞かせていた。 なのにあの女は望を踏みにじった。 望に好かれているくせに。 望を好きなくせに。 絶対に、許せない。 「……このままで、いいの?」 望の部屋の前から離れられない玲は自分に問いかける。 望は大事にされることはもちろんのこと、今の関係に誰かが入ってくることすら嫌がっている。 だが、望が望むことを見守ることだけが姉として、親友として正しいことだろうか? その問いに絶対に答えはないだろうが、すくなくとも玲は…… 「あれ? 玲? なにしてるの?」 悔しそうに唇を噛んでいた玲の耳に同じ寮生の声が聞こえてくる。 「あ、」 とっさになんでもないと答えようとする前に 「望なら、まだ帰ってきてないけど。今日も教室にいるのみたし」 所在についての答えが来てしまった。 「教室?」 望のことは心配していても、自分の生活もある以上この十日ほど、望が放課後に何をしていたのか詳しく知らない玲はそのことを反応してしまった。 「教室に、いるの?」 (何?) 「ん。そだよ。なんか知らないけど、最近放課後になるとずっと教室に残ってるらしいの」 「ずっと……?」 ざわざわと心で何かが騒ぐ。 「まぁ、詳しくは知らないけど。忘れ物取りに行こうとした友達が、近寄れる雰囲気じゃなかったとかも聞いた、かな?」 「それ、一人、だったの?」 その光景が浮かんでしまう。 薄暗くなった教室の中で、望が独りでいるところを。独り? いや、違うおそらく望は…… 「うん。誰か待ってるような感じだったらしい、け……ど?」 そんな胸のざわつきに耐えられなくなった玲は気づくとその場所へと走り出していた。 そして、その不安、ざわつきは正しかった。
「っ!!! なにしてるのよ!!!」 嫌な胸騒ぎのままに望の教室を訪れた玲は、その光景を見た瞬間に声を荒げた。 半裸の望を組み敷き、押さえつけるように唇を奪う沙羅。 激昂した。 いっきに頭が蒸発してしまいそうなほどに真っ赤になって、気づいたときには ガシャン!! と、沙羅の体が机にぶつかる音が聞こえていた。 「なに………してるのよ」 望のことを心配してここに来たはずの玲だが、自らの手によって開放した望よりも無我夢中で突き飛ばした沙羅をまるで、害虫を見るかのような目で見下ろしていた。 「望に、なにしようとしてたのよ!!!」 「…………………」 「答えなさいよ!!」 沙羅は何も答えず、ただ無感情な瞳を涙で濡らし玲のことを見上げていた。 (ふざけるな!) 泣いている? ふざけるな!! 何があったのかなんて知らない。興味もない。だが、この状況で沙羅が泣くということ事態が玲の逆鱗に触れた。 しかも 「ふ、ふふ……」 沙羅は、すべてをバカにしたかのように笑うと 「あんたが想像したとおりのこと……っ!!?」 言い切ることはできなかった。 その前に沙羅の体は固い床に打ちつけられていた。 「っ! は、っ、……はぁ……」 荒い息を吐きながら玲はその原因を作った自分の手を見つめていた。 殴った。生まれて初めて、本気で人を殴ってしまった。 だが、痛みも、罪悪感も感じない。今あるのは熱さだけ。激情に支配された熱さだけ。 「ふふふふ、なに怒ってんの。望が何されたって、あんたには関係な、っ……!!」 二度目。今度は平手で。 「ふざけるな!! なんなのよ、あんた! なんなのよ!」 あまりに感情が高ぶって何を言えばいいのかわからない。ただ、はっきりわかった。自分はこの女を絶対に許せないということが。 「っ……は、……っはぁ」 胸にある熱すぎる感情をどうすればいいかわからず、なぜか自分にもあふれてきた涙をどこか遠くに感じながら玲は 「ま、って……」 もう一度を振り上げたところで、蚊の鳴くような声に動きを制止させた。 「やめ、て……玲」 衣服が乱れたままの望が弱弱しく玲の服を掴むと、やはり泣いたまま玲にそう訴えかけた。 「沙羅は……沙羅は、悪く、ない、の。だから……お願い、やめて……。ね、玲」 「…………っ」 頭に上った血が引いたわけではない。相変わらず、沙羅を憎たらしく思う気持ちは心を支配している。 だが、それでも望から発せられた言葉だということが玲をとどめた。 「……沙羅は、沙羅は……何も、悪く……」 「じゃあ、誰が悪いの?」 しかし、ここで玲が続けた言葉はある意味望に対し絶大な威力を持つものだった。 「え………?」 「こいつが悪くないなら、誰が悪いの?」 「それ、は……」 「望?」 「……え、あ……」 「……なんで、いえないのよ。違うでしょ! 誰が悪いか? そんなの決まってるじゃない!? こいつ以外誰が悪いっていうの!?」 「…そんな、こと…さら、は……」 望もまさか自分が悪いとは思っていない。いや、それどころか、悪い悪くないはともかくとしても自分が原因だとは考えられていないだろう。 それでも望は沙羅を、かばおうとしてしまい玲の服を掴む手に力を込めた。 「望!! よく考えてよ!? 今何されそうだったのかわかって!? 私が来なきゃどうなってたかわからないのよ!? なのに、こいつは悪くないっていうの!?」 沙羅に背を向け、望の両肩を掴んで玲は必死に訴えかけた。今まで、言うべきとわかりながらも言えていなかったこと。 「…ぁ、ぅ……」 「ね、望? なんで、こんなのと一緒にいるの? こいつは……、望のことを…………」 「……ふふ、ふふふふふふ」 いうべきでないことを口にしようとしていた玲の背中に、また沙羅の嘲笑が浴びせられた。 「なにが、おかしいのよ」 自分でも驚くほどに不機嫌で、不満のこもった声。感情の高ぶりがここまで自分を変えるのかと思うほどに玲は沙羅に対し憎しみを込めていた。 「誰が悪いか? ふふふふ、バッカじゃないの? 望に決まってるじゃない」 「っ―。さ、ら……?」 「望が最低だからよ。残酷だからよ。人の気持ちも考えられないで、自分勝手なことしかいえない。自分のことだけしか考えられない。何されたって自業自得じゃない」 「え、……ぇ……」 うつむいたままあまりに望に対し、厳しいことをいう沙羅に望は呆然となっていった。沙羅が何故自分にあんなことをしようとしてきたのかはわからない。しかし、自分が原因だとは考えていなかったのだろう。 「っーーー。沙羅!!」 さっきまで玲を制止するために掴んでいた手が、震えるのを感じ、玲は激情のままに声を発した。 「本当のことじゃない! 私が今までどんな気持ちでいたと思うの!? 私がどれだけ望に傷つけられたって思うの!?」 「え、え……? わ、た、し……? え……?」 「ふふ、なに? なにその顔。何でこんなこといわれてるのかわからない? わからないでしょうね。あんたには。わかるわけがない。わかるくらいなら、こんなことにはなってないのよ。でもね! そんなあんたが、どれだけ私を追い詰めたかわかる? どれだけ私を傷つけたのかってわかる?」 「や、ぁ……」 ぶるぶると震えながら、声にならないような声を出す。 「わ、たし……? 私が、沙羅を……?」 「そうよ! 全部、望が……」 「やめて!!!」 これ以上は沙羅に何かを言わせてはいけない。望と沙羅に話をさせてはいけない。そんな思いに駆られ玲は大声を出したが、すでに遅かった。 「私が、沙羅を……傷つけた、の? え……? 私が……? え……」 何を言われているのかはわからないだろう。自分が沙羅を傷つけていたなど考えたこともないし、そんなことありえるわけないと思っていた。 だが、沙羅の言葉は、迫力はあまりに真に迫っていて、自分の思っていた世界と今目の前にある現実との差が今になって望に押しかかる。 「そん、な……わたし……」 「望! 落ち着いて! こんなやつのいうことなんて……」 「いや、私……そんな……ちが、う……私は、沙羅を……」 「望!」 玲は必死に望を自分へとひきつけようとするが、 「…あ、ぁ。い、や……わた、し………」 あまりの唐突な衝撃に望は意識を失ってしまうのだった。