その日は一か月前ほどというわけではないが町中が色めきだつ日。

 といっても悲喜こもごもの感情が渦巻くバレンタインほどではなく、どこか緩んだ雰囲気が流れるようになっている。

 バレンタインは告白をするという意味で使われているのに対してこちらはすでに済んだ後である場合が多く、そうなるもの必然であるかもしれないが。

(……玲奈ちゃん、どうしたんだろう?)

 そんな重くないはずの日に、結月は自分の恋人の様子を心配していた。

 玲奈は朝はいつも通りだったのに、帰ってきてからは暗い顔をして部屋にこもったままだった。それは夕飯の時も続き、ついには毎日のようにしている夜の語らいもなく一日を終えようとしていた。

(さすがに気になるよねー)

 自分のベッドで横になる結月は恋人のことを思う。

 いつもであれば帰りは特別なことでもない限りは一緒に帰っているが、今日は特別なことがあった。

 玲奈はホワイトデーのお返しをすると言って一緒には帰ってくれなかったのだ。

 そして落ち込んだ様子で帰ってきてからも、一人にしてくれと部屋に引きこもってしまった。

 何があったのかすぐに聞きたかったが、玲奈から話してくれるのを待つことにした結月だが、そろそろ我慢の限界だった。

「恋人が落ち込んでるのを見過ごすわけにはいかないよねぇ」

 そう呟き、結月はベッドから立ち上がると玲奈の部屋へと向かっていった。

「玲奈ちゃん入るよ」

 ノックもせずに部屋に入った結月は

「……む、結月、か」

 珍しくベッドにあおむけに体を投げ出しており恋人の到来にも反応が鈍い。

(思ったより深刻なのかな)

 玲奈はそこまで感情豊かな方ではなく、喜びも悲しみもあまり表には出さないタイプだ。

 その玲奈が自分以外のことでここまで落ち込みっぱなしということに意外の念を隠せず、結月はゆっくりとベッドへと近づいていく。

「玲奈ちゃん、どうしたの?」

 もしかしたら深刻な悩みなのかもしれない。だからといって玲奈に対し遠慮することはなく結月は、ベッドに腰を下ろして玲奈を見下ろしながら問いかける。

「いや……」

 玲奈は見下ろされるまま結月に視線だけを返す。

「……今日のことで、な」

「今日って、ホワイトデーのお返しのこと?」

「……あぁ」

 玲奈は力なく頷くと

「っ……!?」

 陽菜の膝の上に頭を乗せた。

「め、珍しいね、玲奈ちゃんがこんなことしてくるなんて」

 膝に玲奈のサラサラな髪を感じ少し動揺してしまう結月。

「私だって落ち込む時があるんだよ」

 落ち込むことは誰にでもあるだろう。ただ、結月はそのことよりも自分に甘えてきてくれたというこに玲奈の変化を感じ、

「なにがあったの?」

 自分も玲奈へと歩み寄った。

「今日お返しをして回ったのは知ってるだろ」

「うん」

「その時に【返事】もしたんだがな……」

 それはバレンタインに合わせて玲奈へと向けられた告白についてだろう。玲奈は相手がわかるものについてはすべてにお菓子を手作りし、手紙をくれたものには手紙を、言葉で気持ちを伝えてきた相手にも返事を返すと言っていた。

 よくよく考えればそれは愉快な出来事になるとは想像にしくい。何があったかまではわからないが玲奈が落ち込ませてしまうことがあったということだろう。

(なんだろ。断るくらいなら返事なんていらなかったとか逆切れされたりしちゃったのかな)

 まだまだ未熟な年であるしその可能性を考える結月だったが。

「喜んでくれた子もいたが……何人かに泣かれてしまってな」

 玲奈からは予想外の言葉が返ってきた。

「泣かれた…?」

「あぁ、返事をもらえたことを感謝するとも言われたことには言われたが……ずっと泣きっぱなしのものもいてな」

 結月を見つめていた玲奈だったが、ふと顔を横にする。

 それから少し自虐的に「こういう言い方は自惚れかもしれないが」と続け

「彼女達は、私のことを本気で好きだったんだろうな」

 これも今までなら口にすることはなかった言葉を発した。

 昔から玲奈は人に想いを寄せられていたが、それを本気にすることはなかった。親に捨てられ、自傷行為をしている自分の価値を認められずに自己否定ばかりを繰り返していた。

 その玲奈が自分が本気で好かれていたということを口に出せたのは、この場では不謹慎かもしれないが、結月は嬉しく思う。

「私は……余計なことをしてしまったんだろうか」

 だが、結月の想いとは裏腹に玲奈は罪悪感を抱いていた。それを感じるのも人として正しいことであるが……

「そんなことはないって私は思うよ」

 玲奈の持つ罪悪感も正しいとしても、いつまでも心を俯かせたままではいることはできず結月はそう口にする。

「しかし、私があんな返事などしなければ必要以上に悲しむこともなかっただろう」

「それはそうかもしれない。けどね、そんなことは誰にもわからないんだよ。玲奈ちゃんがはっきりお返事をしてあげたからこそ、区切りがつけられたかもしれないじゃない」

「それは……」

「なにがよかったかなんて、わからないの。玲奈ちゃんは向けられた想いにちゃんと答えた。あとは、告白してきた子たちがどう受け取るかだよ」

「…………」

 玲奈は結月の言葉に思案しているのか何も返さなかった。そんな玲奈を結月は瞳に慈愛を宿らせ、膝の上にある玲奈の頭を撫でる。。

「告白されたのに、誰も悲しませないですまそうなんてその方が傲慢だよ」

「…………ふふ、お前は意外に厳しいだな」

 ようやく視線を結月へと返した玲奈は「だが」と続け。

「お前の言う通りだ。私は私が彼女達のためにと思ったことを信じることにするよ」

 手を伸ばし結月の頬に手を添える玲奈。

「ありがとう結月」

 ようやく玲奈は結月に視線を返した。

 自分の気持ちが伝わったことを理解した結月は、うんと頷くと玲奈の膝枕を外し

「どーん」

 あおむけになっていた玲奈の胸に飛び込んでいった。

 柔らかな肢体を味わいながら結月はふふふと笑う。

「ん? なんだ?」

「嬉しいなぁって。玲奈ちゃんもそういうこと考えられるようになったんだなぁって」

「っ……」

 玲奈は一瞬気まずそうに固まる。自覚はあるのだ。今までがどれほど無神経だったかということは。

 だが

「……お前のおかげだよ」

 それがわかるからこそ自分を変えてくれた結月を愛しく想いぎゅっと強く抱きしめる。

 互いに愛しい相手の熱を感じ、体だけでなく心を重ねる喜びを味わう。

「ねぇ、玲奈ちゃん。今日一緒に寝よっか」

「あぁ」

 そして、これから何度でもある幸せの一幕を今日も過ごすのだった。

 

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